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バリ~あの海できみと

「人生で最良の海の思い出は?」
こう訊かれたら、私は迷わず即答する。
「バリ島の朝焼けの海!」  

20年ほど前、地方の創作コンクールで入賞し、スポンサー主催の海外旅行に招待された。私以外は商店街の福引に当選した人たちで、関係者も含め50名以上いたと思う。

いま思うとかなり贅沢なツアーで、シンガポール・バリ・インドネシア・タイなどアジア各地を周遊。同室の女性とも気が合い、のんびり楽しく観光を楽しんだ。 

バリ島を訪れたのは日程の中ほど。 
宿泊先は熱帯植物に囲まれたリゾートホテル。広々したフロント兼ロビーには石仏のオブジェや色彩豊かなアート作品が飾られ、ゆったりした時間が流れていた。

私たちを乗せたバスは、鮮やかな民族衣装風の制服を着たスタッフに出迎えられた。
〈彼〉を見たのはそのとき。
ひとりだけTシャツに短パン、裸足の少年がいた。
ミルクコーヒー色の肌に縮れた黒髪。年の頃は10歳かせいぜい12歳くらい。
「〇△×◆!」
制服スタッフに怒鳴られ、大きなスーツケースを懸命に運び入れる。
その小さな背中と華奢な手足が目に焼きつき、私は胸がチクリと痛んだ。

バリ島にはたしか2泊したと思う。過密スケジュールでホテルでの滞在時間は短かったが、それでもちょくちょく少年を見かけた。
レストランで、廊下で、ロビーで――汚れた食器を運び、熱心にモップをかけ、あらゆる雑用をこなしている。

(学校は行ってないの?)
(住み込み? 家族はいるのかな・・・)
日本と異なることは理解しつつ、労働に従事する子どもを見るのはやはりしのびない。
「Good morning」
「Have a nice day」
あどけない笑顔で挨拶してくる少年。日本ならランドセルを背負う年頃だろうに――。
そんな彼のことが気になりつつ時間は刻々と過ぎ、ついに出発前夜となった。

(さあ、チャンスは今夜しかない!)
少年に会うためにホテルの探索に出たのは、夜の8時すぎ。
手にはパンパンにふくらんだ和柄の巾着袋。
大目に使い残したバリの通貨とお菓子が詰められている。
キャンディ、キャラメル、ガム、チョコレート、おせんべい――色とりどりのそれらは、日本から持参したものとツアー客からもらったもの。
ついでにシンガポールで購入したボールペンとキーホルダー(どちらもマーライオン柄)も押し込んで。

とはいってもホテルは広いし、彼の名前も知らない。探すのにはかなり骨が折れた。
1時間ほどウロウロしたが、レストランもロビーもどこにも見当たらない。
(あ~無理だったか・・・)
諦めて最上階フロアでエレベーターを待っていると、奥の通路から少年が歩いてきた。手に大きなゴミ袋を下げて。
「Hi!  It’s present for you」
飛びかからんばかりに下手くそな英語で話しかけ、巾着袋を押しつける。
少年はポカンとした顔で私と巾着袋を交互に見て、「・・・Me?」
「Yes!」
そこへエレベーターが開き、宿泊客がドヤドヤ降りてきた。
入れ替わりで乗り込み、小さく手をふる。「Good night」
「 Good night. Thank you!」
彼は巾着袋を掲げ、白い歯を見せた。

その後ツアー仲間とバーで飲み、部屋へ戻ったときだ。
ドアの下に白い紙が挟まれていた。
開くとミミズがのたくったような英文で
「プレゼント ありがとう 明日〇時 ロビーへきて」
一生懸命に書いたとわかる、たどたどしい鉛筆文字。
私はそっと折りたたみ、部屋へ入った。

翌朝、夜明け前にロビーへ降りた。
外はまだ暗く、人けのないロビーは静まり返っている。
(あれ? 早すぎたかな・・・)
不安になってキョロキョロ見まわすと、石仏のオブジェの裏から黒い影が
ひょっこり。
あの少年だ。
「Goo・・・」声を出しかけた私に、口に指をあてて手まねき。黙ってついてこいということらしい。
小さな懐中電灯に照らし出された彼の表情はイキイキして、いたずら小僧そのもの。みなぎるワクワク感が伝わってきて、冒険のはじまりを予感した。
(よーし、ついていこう)
彼にならってそろりそろりと忍び足。ホテルの裏口へまわった。

外へ出ると、空には明星がまたたいていた。
懐中電灯の光を頼りに、くねった土の道をひたすら進む。
突然少年が足を止め、右手を掲げた。
「わっ⁉」
美しい海が、魔法のように姿をあらわした。
一般客は入れないプライベート・ビーチらしい。

ザザ~ ザプ~ン ザザ~
無人の広い砂浜。
おだやかな波が幾重にも打ち寄せる。
境目がわからぬグレーの空と海。
海鳥が舞い、気持ちのいい潮風がほほをなでてゆく。

少年は私の手をとり、波打ち際に敷いたよれよれのシートに
座らせた。
それからつたない英語と身ぶり手ぶりで、
「ここ ぼくの ひみつの ばしょ」と得意げに胸を張る。
「きれいだね」
 私が答えると満足げにうなずき、彼方の水平線を指差した。
「もうすぐ おひさま のぼる」
アーモンド形の瞳にくるんとカールしたまつ毛。なかなかハンサムな
顔立ちの少年は、よいしょっと膝をかかえて体育座り。裸足の指先を
サラサラした砂に埋めた。
私もサンダルを脱いで裸足になり、同じポーズをとる。
少年はアハハと嬉しそうに笑い、海に顔を向けた。

そのときだ。
正面の水平線に、ナイフで一気に切り裂いたような金色の光が走った。
(あっ!)
光は金色から淡いすみれ色、ピンク、オレンジ色と変わり、グレーだった空と海を鮮やかなグラデーションへ染めていく。
(これは、なんと・・・)

やがて巨大な朝日が顔を出し、ゆっくりゆっくり上昇。
見る者を圧倒するとてつもない大きさ。
荘厳な美しさに息をのむ。

これが同じ太陽? 日本の日の出とは比べものにならない。
空と海が灼熱の炎に包まれ、ジュージュー音を立てそうだ。

それはまさに<世界のはじまり>。
バリの神々が天を駆け上がり、いのちを、世界を祝福している。

その中に私もいた。
光を、神々からの贈り物を全身に浴びて――。

気づけば私は泣いていた。
泉のように涙が溢れ出し、ほほをつたい流れていく。
感動で全身が震え、「えっえっ」と嗚咽。
その背中を優しくトントンする少年。
わかるわかるとうなずくその顔も、オレンジ色にキラキラ輝いていた。

これが私の『人生最良の海の思い出』
いま、あの少年はどうしているだろう。
バリの地で幸せに暮らしているだろうか。
あの頃の澄んだ瞳のまま、笑っていてほしい。
家族や大切な人と、美しい朝焼けの海を眺めていてほしい。
バリの神々へ、祈る私がいる。

#わたしと海 #バリ島 #海外旅行 #エッセイ






























 

 

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