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学校体育は「学び」に固執しすぎている

「学校は、学びを提供するところ」

この言葉に嘘はない。すべての教員および教育に従事する者が、これを実現するために日々多大なエネルギーを費やしている。

しかし、学校はしばしば「世間知らず」と揶揄される。ここでいう「世間」とは、資本主義に基づく社会を指すことが多く、一般社会の常識と学校社会の常識に「ズレ」があることが指摘されることも少なくない。すなわち学校が持つ判断基準が、市場経済が持つそれとは異なるということだ。

「学校教育はビジネスではない。基準が異なって当たり前だ。」
そんな声も聞こえてくるようだが、本稿ではあえて市場経済の持つ視点=マーケティング視点から、学校教育を捉えることを試みる。

学校は「教育サービス」を提供する組織

世の中には、数えきれないほどの「組織」が存在する。「組織」とは、「ある特定の事業によって社会貢献をする2人以上の集団」と定義される。どんな組織も「特定の事業」を行うには当然ながら活動資金が必要となり、その資金を税金で賄う組織を「公共組織」、自分たちで集金する組織を「民営組織」と区別している。

また、すべての組織は、社会貢献事業の「成果物」として、「プロダクト(商品)」を生産する。プロダクトは、①グッズ(有形物)と②サービス(無形物)に分けられ、有償または無償でそれを顧客(個人消費者や他の組織)に提供している。

「組織」の4分類
①グッズを提供する公共組織
②サービスを提供する公共組織
③グッズを提供する民営組織
④サービスを提供する民営組織

このように分類すると、公立学校は「②教育に関するサービスを提供する公共組織」と位置付けることができる。本稿は、主にこのカテゴリーに分類される学校教育について述べたものである。

「マーケティング」の基本的な考え方

次に、マーケティングの基本的な考え方について整理する。組織が行う活動は「社会に貢献すること」が第一の目的であり、その達成のために「社会に貢献できる良質なプロダクトの生産」「プロダクトを世の中に広く普及させること」の2つを行っている。そして、後者を「マーケティング」と呼んでいる。

どんなに良いグッズやサービスをつくり出しても、それが消費者に認知されなければ意味がない。したがって、マーケティングの1つ目は「広報活動」となる。また、認知されても購入してもらえなければ、知られていないのと同じである。消費者が欲しいと思うプロダクトを生産するために、まずは消費者のニーズを知ることから始める必要がある。これが、マーケティングの2つ目「市場の把握」である。

社会がどんなプロダクトを求めているかを把握し、それを満たすプロダクトを生み出し、社会に普及させていく。この一連のプロセスが、組織が行うべき「社会貢献事業」である。

顧客が「与えられる」公共組織と顧客を「獲得する」民営組織

公共組織と民営組織の決定的な違いは、その組織が提供するプロダクトを消費する「顧客」の存在である。民営組織は、自分たちのプロダクトを消費してもらえる顧客が「ゼロ」からスタートし、社会貢献活動を通じて顧客を獲得していかなければならない。そもそも、顧客からの売上が次の活動資金となるため、顧客がいなくなってしまえば、組織として存在できなくなる。したがって、マーケティングが極めて重要となり、マーケティング次第で常に顧客が増えたり減ったりする不安定さの中で活動する必要がある。

それに対して公共組織は、主に一定の決められた範囲の市民(県民・国民)と顧客が固定されており、組織の発足時に「与えられる」ものである。したがって、基本的には顧客が増えたり減ったりすることはなく、それがゆえにマーケティングの視点が抜けがちになる。本来、自分たちが「抱える」消費者の求めていることを把握するのもマーケティングの1つだが、仮にその把握が不十分でプロダクトの質が低下しても、それによって顧客が減ったり、組織の存在が揺らいだりすることはない。実態把握等はしていても、それがマーケティングだという意識はおそらくないだろう。

経験価値マーケティング

このように、本来はすべての組織にあてはまるはずの「マーケティング」という言葉が、民営組織だけのものであるかのように思われてしまっている現状がある。そこで、公共組織である学校が持つべき、現在民営組織が行っているマーケティングのトレンドを紹介する。それが「経験価値マーケティング」である。

現代の消費者は、「モノの豊かさ」より「心の豊かさ」を重んじ、「モノ」も消費から「コト」の消費へとシフトしている。大きなテレビや高級車をもつことよりも、通勤中のスマホ視聴や快適なドライブができることを求める。つまり、「自分が満足できる時間の使い方をするためにお金をかける」という消費傾向にある。これは裏を返せば、「よりその時間を豊かにするグッズやサービスが必要である」という社会のニーズを示している。

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人々が消費行動によって得られるベネフィット(便益・価値)は、上記の5つである。「心の豊かさ」を重んじる現代人にとって最も重要なものは「心理的ベネフィット」であり、より快適に過ごせるグッズ、より楽しい時間になるサービスによって「満足な時間」の実現を求めている。現在の民営組織は、その心理的ベネフィットを最大化させるためのマーケティングや商品開発を進めている。これが、経験価値マーケティングである。

【主価値】心理的ベネフィット+【副価値】○○的ベネフィット

となるプロダクトを提供することで、再びそれを購入する「リピーター」を増やすことが、現在のマーケティングの主流となっている。

マーケティングフィールドとしての学校体育

では、ここまでの内容を基に、学校体育をみてみよう。

究極的には、体育を通じて生涯スポーツに参画する態度を養うのが、体育の目標である。

これは、学習指導要領の中に記述されている。以前の記事でも述べたので簡潔にまとめるが、「生涯スポーツ」にはお金がかかる。つまり、お金を払ってでもスポーツの「心理的ベネフィット」を得ようとする態度を養うことを目指すのが体育であり、スポーツ関連のグッズやサービスを提供する民営組織にとっては、体育は子供にスポーツの価値を「無料体験」させられる格好のマーケティングフィールドなのである。
(この点に関する詳細は、以下の記事をご覧ください)

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「心理的ベネフィット」を提供するスポーツ関連組織の消費者になる
=生涯スポーツに参画する

というロジックで考えれば、体育においても「心理的ベネフィット」を最優先にした教育サービスを提供しなければならないということになる。しかし、次の図が示すように、学校の体育指導者が重んじているのは、どれも「知的ベネフィット」や「身体的ベネフィット」ばかりである。

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学校は、学びを提供するところ

冒頭に示したこの言葉は、学校は「知的ベネフィット」を提供する場であることを表している。しかし、これを重んじるがあまり、「楽しい時間」という心理的ベネフィットを犠牲にしすぎているのではないかと思う。感情を無にして行う集団行動、「できない」が露呈する器械運動、苦しいだけの持久走など、体育の授業を通して「運動(スポーツ)はつまらない」というイメージを植え付けてしまうのは、学校という組織に課された「社会貢献」に反しているといってもいい。

消費者でもある私たちは「楽しいことにしかお金を使いたくない」という消費者心理がよくわかる。しかし、自分たちが提供する体育という教育サービスが、消費者である子供から「楽しさ」を奪ってしまっていることを問題視できないのは、まさしくマーケティング視点の欠如である。「楽しいだけで学びのない体育はやってはいけない」と声高に唱える体育指導者もいるが、私は「学びがあるけど楽しくない体育」こそやってはいけないと思っている。

体育が「楽しいこと」が、生涯スポーツにつながる唯一の道であり、体育の「究極的な目標」を達成する唯一の道である。教育サービスが、知的ベネフィットを提供することであるのは間違いない。学びが多ければ多いほど、サービスとしての価値が高まる。しかし、経験価値マーケティングの視点から見れば、その学びは「楽しさ」の上に成り立たなければならない。

公共組織の教育サービスである体育の中で「楽しいスポーツ(運動)の時間」を味わった子供が、再びそれを味わうために、民営組織のスポーツサービスにお金を払って豊かなスポーツライフを実現する。これが体育の目指す「生涯スポーツへの貢献」であり、教科としての最上位目標に位置付けられていることを忘れてはならない。これを担保した上で「学び」をどれだけつくり出せるかが、体育指導者の役割である。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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