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6+3+3地歴学習❶史実をフラットに観る

6+3+3地歴学習プロジェクトでは、『史実をフラットに観る力』を小学生のうちから身につけていこうと提案しています。


観光と地歴学習のちがい

『観光』という言葉を分解すると、『光』を『観る』になります。古くからその言葉や概念があったわけではなく、明治に入って外客誘致のために使われ始めたものです。

1893年、渋沢栄一と益田孝の旗振りにより、日本で始めて外客誘致に取り組んだ民間団体である喜賓会(英: Welcome Society)が設立され、設立目的に「旅行の快楽、観光の便利に」が掲げられた。喜賓会は1912年にジャパン・ツーリスト・ビューローとなり、日本交通公社の前身となっている。

Wikipedia『観光』

語源は、易経に出てくる言葉を用いたとする説が有力だそうです。

旅の楽しさは観光も地歴学習も同じですが、地歴学習はていねいに土地の履歴を一枚一枚はがして理解していく作業です。歴史には『光』があれば『影』もあります。その中で、観光という概念のように光の一面を強調し、美しいものや都合の良いものをのみを観ていくと、どうなるでしょうか。

具体的に例をあげながら、見ていきます。

1. 史実の負の面を見ない場合

広島県西部で育ったスタッフにとって、遠足といえば宮島、昼食のお弁当を広げるのは街から奥まった大元公園が定番でした。秋はモミジがきれいな場所という先生の説明でしたが、何かひんやりとしたものを感じてモヤモヤした気持ちでいつも帰っていたそうです。大元公園が1554年の厳島合戦で陶軍の敗戦した場所であると知ったのは、ずいぶん後のことで、現在では碑が建っています。弥山の尾根の駒ヶ林など島のあちこちには、この厳島合戦の跡が残っています。

宮島の大元公園と紅葉と血仏の碑

今では看板で厳島合戦のことも知ることもがきます。しかしいまや世界中でパワースポットブームやインバウンド・SNSの発信などで目を引くために美しさに寄った発信がされる風潮はますます強くなっています。ここで合戦があり、多くの人が亡くなったと知る人はどれ位居るでしょうか。楽しい遠足の中でも、公教育では史実に向き合う時間をとってほしいと思います。

(『鎌倉遠足』もこうした理由で制作されました)

2. 大きな出来事に対してのとまどい

逆の場合もあります。小学校中学年で原爆資料館に行って原爆の事実を知り、高校の時に来日したヨハネパウロ2世の平和スピーチを目前で聞くことになりますが、広島に第2総軍が置かれ本土決戦に備えた拠点だったことを知るのは後々でした。さらに1894年日清戦争で大本営が置かれ町全体が好況だったこと、1864年第1次長州征伐では幕府軍総督府が置かれその後の新政府内では微妙な立ち位置となったこと、鎌倉末期時代からは安芸門徒と呼ばれる地域だったこと、瀬戸内の海運や銀山への通り道で常に大きな勢力に挟まれた土地だったことなど、被爆地となっていくまでの郷土の重なった地歴を多角的に知るには多くの時間を要しました。

広島平和記念資料館と広島大本営跡

人生は勉強だと言えばそれまでですが、感受性が鋭い時期にショッキングな史実に時代を限定して遭遇すると全体像を把握するのに時間がかかります。心理的にも常にこの事を考えているような状況になったり、逆に考えないようにする、何かのロジックを持って思考を中断するなどといった傾向になりがちです。それが続くと、正確な判断がどこかできにくい状態で時間を送ってしまうことになりかねません。

(広島・長崎の地歴については『東京遠足』に掲載)

3. 史実が人為的に曲げられている場合

西東京市の田無神社には、楠木正成公の石像があります。楠木氏の末裔がこの辺りに移住してきて祀ったものです。コロナ禍下で、中学生が遠足の代替授業か何かで来ており、像の前で説明を受けていました。関東では楠木正成公にはあまりなじみがなく、関連の史跡はほとんどありません。本拠地の大阪府河内地方では金剛山を中心に多くの史跡がありますが、関東からはアクセスしにくい場所になっています。

田無神社の楠木正成公像
(欠けているのは出征する人がお守りとしたため)

また、鎌倉幕府討幕に活躍のあった楠木正成公は、時代が下って幕末に儒学などの影響を受けた学者によって功績が再認識され広められ、のちに新政府は忠臣の模範としました。その時に影響を受けた史跡が全国にあります。

もし中学生が郷土のこの石像に興味を持っても、阪神地域の関連史跡は通常の修学旅行のコースにはないために相当心掛けないと訪問の機会は作れないでしょう。訪れた場合も過去の経緯を知らないで表現をそのまま受け取ってしまうかもしれません。合戦は史実のなかで何度も起こりますが、敵味方どちらかに肩入れし過ぎることになると、フラットで公正な視点が持ちにくくなります。

4. 遠方で思わぬ展開をしている場合

田無神社の隣には別当寺だった総持寺があります。 真言宗智山派の寺院で、境内に真言宗の開祖・空海と、智山派の始祖・覚鑁の像があります。空海は立像ですが覚鑁は座像で、前に脱いだ靴が置いてあるのが印象的です。

総持寺の覚鑁像

覚鑁は空海没後、高野山の僧の腐敗を嘆き、長期間の『無言行』をしたと伝わります。僧たちに高野山から追われ、和歌山県岩出市に根来寺を開きました。しかし覚鑁亡き後も高野山と根来寺の僧の攻防が続き、ひいては阪神地方が戦乱に巻き込まれた時代に、伝来した鉄砲を製造して根来衆と呼ばれ活動することになります。

脱いだ靴は覚鑁の決意の表れの表現のようですが、その後思ってもみない方向に物事が進んでいきました。このように複雑であまり語られないでいる史実を、遠く離れた土地からはなかなか伺い知ることができません。

(楠木氏・覚鑁・根来衆などについては『阪神遠足』に掲載)

地歴を知って判断力をつける

『史実をフラットに観る』とはこうしてみると大変な作業です。地歴学習で周りの大人が環境を整えることが必要です。

日本の歴史は長く、学生の時間は限られていて、学ばなければならないことは他にもたくさんあります。『6+3+3地歴学習』では遠足校外学習修学旅行をできるだけ有効に小学校~中学校~高校と繋げて意識して実施していって地歴学習を織り込んでいくことを提案しています。幸いネットやコンテンツの充実で「調べ学習」は容易になってきました。先生方への負担も新しく増えないで実施できる部分が多いかと思います。次世代に史実を伝える機会にもなります。

小さい頃に「なぜ?」と感じたことをそのままにしないで郷土史で学んで、だんだん視野を拡げながら地歴をつなげて観ていく。歴史に詳しくなるためでなく、この国の成り立ちを体感してから社会に出てほしいと思います。

偏った見方をしていたり大きな疑問を抱えたままで、正しい判断をするのは難しいことです。要るか要らないかの判断を早くどんどん求められてくる中、今がどうしてあるのかを正しく観る感覚を、地歴という教材を通して小さい頃から身につけてほしいと考えています。


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