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terrestrial①

 数年前、八丈島で戦争遺構を撮影しているとき、帰りのj飛行機まで時間があったので、案内してくれたタクシーの運転手さんが、空港近くではあるが島内を案内してくれた。
その時、「ここ数年は温暖化の影響で、てんぐさが採れなくなった」ことを聞いた。それから数年後、「terrestrial」とういう言葉に出会ったのは、フランスの人類学者 ブルーノ・ラトゥールの著書からであった。
「terrestrial」という言葉をラトゥールは「地上に降り立つ」という意味で使い、現在人は未だに「地上に降り立っていない」と説いた。
産業革命以降、人類は自然を利用して文明を築いてきた。つまり自然と文化の二元論のもとに発展してきた。
その結果、地球温暖化と環境破壊が地球規模で進んでいる。
だからこそ、ラトゥールは「terrestrial (地上に降り立つ)」ことをすすめているのだろう。
身近な例でみてみると、日本の山林の四割は人工林となっている。
工業的に植えられた針葉樹林や竹林が多くみられる。
ここは自然なんだろうか?
自然を人間の文化に取り込む思考と営為を、自然の文化化という。
この文化化という言葉は、cultural appropriation(文化の盗用)と訳される。
appropriation自体は、横領や所有者のないうものを私物化する、などの意味を持つ。つまり、自然の文化化とは、自然を人間の都合の良いように利用することを示すことなので、日本の山林の四割は文化化された自然、人に飼いならされた馴化された自然ともいえるのではないだろうか。
その馴化された自然も、放置されることにより様々な問題を生んでいる。

terrestrialⅡ


 しかし、人類は最初から地上から離れていたのであろうか?
そんなはずはない、古代の狩猟採集時代は決して人間中心主義ではなく循環型社会を形成してきたようだ。
では、「地上に降り立つ」ということは、狩猟採集時代に戻るということなのだろうか?
人口が爆発的に増加した現代では、古代のような狩猟採集時代に戻ることはできないであろう。
では、地上に降り立つ「terrestrial」とはどのようにすればよいのであろうか?
つづく
参考:
地球に降り立つ(ブルーノ・ラトゥール)
自然と文化を超えて(フィリップ・デスコラ)
交錯する世界 自然と文化の脱構築(秋道智彌)



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