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たまたま出会った「みんな」が、今の「わたし」を作り上げてくれた。

#一人じゃ気づけなかったこと  に参加中…



パラリンピックが終わってもう半月。


観れば観るほど楽しくて、あっという間で、
何より本当に考えさせられる大会だった。

大会が終わるか終わらないかの頃、
これまでに書いた中でもトップクラスのいいテンポでパラ水泳を見て思ったことを記事にした。



…と同時に、私が今までに出会ってきた、
いわゆる「ハンディさんたち」について改めて考えてみたくなった。


(「ハンディさんたち」という表現、どうするべきかものすごーーく迷って、理由は後で書くけど「障がい者」と括るのは何か違う気がして、今回はこれで統一することにしました。
ご意見あるかもしれませんが、考えて決めた表現であることは先に伝えておきます。いい表現ないんだろうか。)



とか思っていたらこの投稿コンテストが開催。
まさに書こうとしていた内容で、偶然にしてはタイミングが良すぎて驚いた。

なかなか長めの前置きになってしまったけど、
本題に入って「わたし」を作り上げてくれた「みんな」について書いていこうと思う。




片耳がニセモノな血の繋がったA


私が人生で初めて出会った「ハンディさん」がA。

出会うと言うより、血縁者なので「産まれた時から近くにいる」が正しい表現だ。

ちなみに「ハンディさん」という表現にしたのは
A本人が自分のことを障がい者だと考えていないから。

Aは産まれつき片方の耳が聞こえず、自分の身体のパーツを使ってニセ耳を作った。

私が接していて困るということは滅多にないんだけど、
Aが電話すると(受話器で片耳が塞がれるから)こちらの声はほぼ聞こえてないし、
ニセ耳側から話しかけられるのは聞き取りにくいらしい。

2人で並ぶとなぜか私はいつもニセ耳に立つみたいで、
話しかけるとAは顔をぐるんと回してくれる。
申し訳ない。

我ながらAのおかげで「ハンディさん」に対するいわゆる偏見みたいなものが減ってるのかなと思う。
でも次に話すBにも幼い私は確実に影響を受けている。




 あまり話せないけど割と話せる同い年のB


小学校に入るずっと前から中学年あたりまで、
ダウン症のBとは同じ集団で生活していた。

特に小学生になってからは、それまで一緒に過ごしてきたこともあって何回も隣の席になった。

私はみんなと授業を受けながら、ときどき隣で自習用(発達に遅れが出るので持参していた)のドリルを解いているBの様子を見て、声をかけたりかけなかったり、みたいな記憶がぼんやりとある。

当時のBと会話をするのは難しかったけれど、コミュニケーションを取るのはそこまで大変じゃなかった。


「おはよう」「ばいばい」の挨拶、
いま何をしたいのか、
どういう感情なのか、
指さすものが好きか嫌いか、

周りの友達はあまり分かってなかったみたいだけど、
私を含め数人はちゃんとやり取りが出来ていた。

幼いなりに「分かってないんじゃなくて、分かろうとしてあげてないだけじゃないか」とか思ったりもした。

「相手を理解しようとする」ことに関して、
ハンディさんであろうが無かろうがそんなの関係ない。


結局は、自分が、「相手を知りたい」と思うかどうか、
「想いを受け取りたい」と思うかどうか、

これに尽きる。絶対に。

Bから得たものはとても大きい。
今は少し離れた所にいて何年も直接会っていないけど、
「ダウン症」という言葉を目にする度にBを思い出す。


元気にしてるかな。



活発すぎて驚きが止まらないC


Cとはかれこれ10年以上前からの付き合いだ。

「10年目だね~」「人生の半分すごしてるよ」
他の親友たちも一緒になって…顔を見るたびそんな話をする年齢に…なってしまったんだなあ…早いなぁ…



それはさておき(?)、Cは車いすで生活している。

AやBも含め、その他さまざまなハンディさんとの関わりを経験してから出会ったCだから話しかけることへの抵抗感は皆無だったけど、最初の頃はどうしても「車いす=行動制限」みたいなイメージはぼんやりあった。

そのイメージをぶち壊してくれたのがC。
「壊してくれた」んじゃなくて「ぶち壊してくれた」、
うん、ここはこの表現が妥当だ。



Cはよく旅行先で買ったお土産をくれた。
我が家はあまり遠距離の旅行をしない家庭で(飛行機はもちろん、新幹線にもそんなに乗りません笑)、なおさらその頻度と移動距離に驚いた。

今でこそ、例えばCが地球の裏側に1人で行ったとしても「ほ~ん、気を付けて行ってらっしゃ~い」って感じだし、むしろ海外旅行経験値の低い私のガイドになってほしいくらい。


公共施設のバリアフリー化も差はあれど進んでるし、当然のことだと言われたらその通りだ。
それでも驚いたってことは、きっと当時の私には心のどこかに「バリア」があったんだと思う。


私がそんなCと遊ぶときは、
①エレベーターがある駅の出口かその近くで待ち合わせ
②移動中はなぜか私が車いすを押す
 (Cはタイヤに触りもしない)
がいつもの光景だ。


①に関しては「行った先(カラオケとかごはん屋さんとか)でも車いす利用が出来るか」とかも含めて確認する必要はあるが、そんなの私からすれば、

「それさえ確認してOKなら一緒に問題なく過ごせる」

ということに他ならない。


幼い子でも遊べる遊園地を探したり、
アレルギー対応のお店を選んだり、
そういうことと同じ。
全く同じなのだ。何も変わらない。



それと②に関しては、私からすれば移動中に車いすを押すことは足を預けてもらうこととほぼ同等だから、それくらい信頼してもらってるのかなって(勝手に)思う。
どうなんでしょう。

コロナ禍でなかなか直接は会えていないが、私はCとのこの関係が結構好きで、この先も変わらないことを願っている。



たまたま出会った「みんな」が、今の「わたし」を作り上げてくれた。


今回は3人の話しかしていないが、
これまでに私と出会ってくれた「みんな」が、「わたし」という存在を少しずつ形にしてくれていることは紛れもない事実だ。

私は「自分には人運(って呼んでる)がある」と事あるごとに周りに言い張っている。
他の方も含めて、自分から出会おうとせずこんなにたくさんのハンディさんたちと出会えたことは、私にとって財産以外の何物でもない。

もしもこの出会いが無かったら、考え方も、世の中の見方も、きっと全く違うものになっていたはずだ。

今の私と同じように知り合いや友人に素直に寄り添えていただろうか。

その「違う考え」の人はまだまだ多いし、
私も完全な理解には至っていない。
(と思う。さすがに。)



でも、だからこそ、既にハンディさんに出会えている私は結構ラッキーだ。


考え方が変わる。
たくさんの視点をもらえる。
あらゆる場所が違って見える。


絶対に「一人じゃ気づけなかったこと」だ。


やっぱり人運はいいらしい。





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