見出し画像

たくさんの「わたし」と生きている

「わたしってどんな人?」を説明するときに、
1人分の話では足りないんじゃないかとよく思う。


下書きの時点では「2人のわたしと生きている」がタイトルだった。
けど、思い返してみたら全然2人じゃなかった。


家にいるとき、
家族と話してるとき、
友だちと会っているとき、
ゲーム中、
文房具で遊んでるとき、
フェスに行って騒いでるとき、

それぞれで違う人格…とまで言っちゃうのは少し大げさだけど、割とそれに近いような感覚になる。



そもそもTwitterとかこのnoteでは「みすず」として文章を書いてるわけだけど、もちろん私の本名はみすずではない。
そういう意味では今これを書いてる私も素ではないのかもしれないし、素顔を知ってる人が見たら「こんなやつだっけ?」って思われるかも。





私はこの状況を面白いとも思うし、厄介だなとも思う。



そのとき何に打ち込んでいるかで自分の性格が変わっているのが自分で分かる気がする。
私は神輿が大好きで担ぎ手を20年近くやってるけど(突然の告白)(本当に好きなので機会があったら語りたい)、担ぐための格好をすると分かりやすくスイッチが入るし、「(私服でいるときと)別人みたい」ってみんなに言われるし自覚もある。

「親友たちになら1回くらいその姿を見せてみたい」と
「あまりの変貌ぶりに恥ずかしさが止まらない」が
だいたい半々くらいで襲ってくるのがいつものこと。

私はこの感覚を純粋に楽しめている、と思う。





その反面、ふと我に返ると迷子になる。


「本当の自分はどれだ?」

「なりたい自分はこの中にいる?」



私は、絶対に、間違いなくその「自分」のはず。
なのに、なんで自分のことが分からないんだ?



たぶんこの問いを、私は一生自分に聞き続ける。



今でもそれが苦しいことはあるし、自分の中に人間がいっぱい潜んでいるようなこの感覚は今までも、たぶんこれからも、付き合っていかなきゃいけないものなんだと思う。



何が正解なのか分からないし、
正解なんてないのかもしれないし、
いっそもうこれが正解なのかもしれない。



わたしはこれからも、
たくさんの「わたし」と生きていくよ。





それでは、みすずでした☺︎


ーーーーーーー


スキ、フォロー、コメント、嬉しいです☺︎‬


自己紹介はこちらから!


SNS、セレクトショップなどやっています!
楽天roomも開設しました!
ぜひ覗いてください⭐︎
↓↓




あなたのサポートをお待ちしています!