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物であろうと向き合わないと

 某番組で、長年続けて来たお店が火事にあい、全てを失くした店主を放送していた。店主は、火事により使えなくなった機械を掃除していた。その姿を見た番組のスタッフさんが「捨てるのに掃除してるんですか」と訪ね、それに対して店主は「これまで、この店を助けてくれた機械だから汚いまま捨てるわけにはいかないでしょ。人間と一緒で最後はちゃんとして送り出してあげないと」と応えていた。
 僕だったらどうせ捨てるんだから掃除をしなくてもいいと思うし、掃除をしようとすら思わないだろう。まず、その時間を別の事に費やそうとする。店主と同じような考え方ができないのは、身の生活の物に対して向き合えていないから。
 ぼくはこまめに掃除をして大切に使う性格ではあるけど、それは汚れている事がただ嫌なだけで、助けてもらっているという命ある物として触れてはいない。

 熱狂的ではないがトイストーリーが好きだ。さまざまな個性を持つ独特のキャラクターが面白いしウッディの純粋でストレートな性格が好きだ。
 作中でもあるが、オモチャを処分するとき捨てられない問題がある。これまでの思い出が絡んでくるし、ウッディのような人形、動物のぬいぐるみなどは愛着があって捨てることに罪悪感がある(トイストーリーを観ているからこそ処分しにくのもある)
 物が生き物に模していると、命がなくてもあるかのように大切に扱う。それ以外の物は、大切にする気持ちがあっても人に接するかのような愛情は持っていない。
 そのような線引きが自分の中にある。模しているかどうかは関係ない。
 店主のような人柄の人は、人で接し方を変えず同様に向き合えるんだろう。

 それだけ、商売道具に助けられてきた事だろうし、我が子のように大切に扱っている店主の姿を何だかわからないが容易に想像できた。そのようにできたのは、店主の人間性が何かを介してぼくの心に響いたからかも知れない。
 物に対しても人間と同様に接することができる素敵な人だと感じた。その優しさは、これまで長年お店をやってきて、たくさんのお客さんに触れてきたからなのか。その様な考え方、生き方が自然とできる人を理想としているけど簡単になれないし、なろうとしてなれるものではないのかも。なれなくても店主のような人の側で生き方を感じたいし温かみを自分の人生に取り入れていきたいと思った。

 

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