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自分の欲求を満たすよりも相手を尊重する


たとえフィクションだとしても、現実に置き換えて考えてしまいがちだ。

ポケモンシリーズが好きで5歳頃から、お世話になっている作品です。この作品には進化というものがあり、特定の条件を満たすとポケモンの属性や形態が変化する。1回又は2回進化する子もいれば、一度も進化をしない子もいます。可愛らしい姿だった子が強靭で勇ましい姿に変貌する(ギャップ萌え的なもの)それが、ポケモンの1つの醍醐味ではあるのですが、僕は進化の過程で好みのポケモンになると、それ以上進化をさせないんです。
進化後よりも今のポケモンの方がビジュアル的に好きという理由で進化を望まない。ポッチャマ(ポケモンの名前)が好きで進化ができる状態でも、そのままの状態でゲームを進めていく。

しかし現実的に考えると、それはトレーナー側(プレイヤー)のエゴでありポケモンの気持ちを一切考えていない。もしかしたら進化をしたがっているのにも拘らず、私情でポケモンの成長を妨げている。
自分の子供が頑張って何かに結果を出し、次の環境へ挑戦しようとしているのに、親の考えで別の道に進ませようとしているかのような感覚だ。
本来は望んでいる事を応援し自分もそれに習い、各々感じるものがあって共に成長していくのだろう。

結局は考えたところでフィクションであり、サトシとピカチュウとの関係性のようにお互いが進化を望まないというようなことであれば問題はなく、素直に好きなポケモンで、その世界観を味わえばいいのだろう。

現実的にも人間の犬や猫に、服を着せ自分好みに仕立てる欲求のような事も犬や猫側からすれば鬱陶しさ極まりない行為なのかもしれないが、人はお構いなしにその可愛さや世間に合わせて欲求を満たそうとしている。

防寒対策や治療後の皮膚のケア、抜け毛防止などの意味はあるので過度な装飾でなければ良いのではないかと感じる。あからさまに可愛くしたい欲求やsnsに投稿する、自己満足の為だけの行為であれば控えるべきだとは思っている。
これも結局は、動物の気持ちが理解できるわけではないし、沢山の装飾を施しても楽しそうに走っている映像を観る事もあるので一概には言えない。

最近は、生き物の在り方についてよく考える。自分の答えが少しずつでも導き出せたら、また、そうなる為にまだまだ見聞を広めていきたい。


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