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ストレス HSP

僕は、ストレスと付き合っている。

いや、自分に限った話ではなくて、誰だってストレスと共に生きているはずだ。
もし仮に「ストレスとは無縁です」なんて言える人がいるなら、それは単なる虚勢か自己中心的で能天気な人なんだろうと思ってしまう。
僕の知る限りストレスと無縁なのは、アンミカさんくらいだ。
人当たりが良くて、生き生きとした生き方に憧れるし尊敬している。
もしアンミカさんのような人が身近にいれば、不安なんて感じない気がする。たとえ自分の道を踏み外しても、次の道を示してくれそうだ。


ストレスと付き合うと表現するほど、周囲より飛び抜けて感じやすい性格なんだと、日々の生活の中で感じている。
繊細さんという本がきっかけなのか、HSPという言葉がようやく認知されて「この気持ちは、自分だけじゃない」と少しは過ごしやすい社会になったのかもしれない。
それでも、敏感に感じてしまう癖のようなものが治るわけではない(治るという表現はあまり良くないのかもしれない。悪いことではないし、病気でもないから)
認知されたからとはいえ、人は環境で大きく左右されるものだから、大きくは変化しない。

「人見知りなんで‥」と言うのと同じで、HSPという言葉を自分を守る盾のように使ったり、うまくその場を収めるために利用することは、少し違う気がしている。

HSPでも、全力なHSPか、そうでないHSPかだと思う。
頑張っているHSPの人は、繊細な人でも頑張ってると加味した上で(あなたの性格を理解した)相手は、あなたの人間性を素敵だと、大切に思ってくれる。
でも、ただのHSPのひとは、HSPでない人からすれば被害者ぶっているようで、理解できない面倒な対象として捉えられてしまう。
だから、何もせずにただHSPを公言するのは違うと思うし、ほんの些細な言動で相手の自分を見る目が変わる。
頑張っている人には、素敵な人が自然と集まってくるのは、そういうことだと思う。

繊細な人の中でも、感じる度合いの大小や考え方はまばらで、一括りにはできない。
それは、どの分野でも同じだ。

僕の場合は、声が大きい人(車や物音の騒音は大丈夫)や苦手な先輩、上司を見かけるだけで落ち着かない。
ため息や少し表情が強張っているだけで、怒っていると思い、焦って仕事が手につかない。
そうして、話しかけるタイミングがわからず、報告しなければならないことを後回しにして怒られる。
そうすると臆病になって声も小さくなり、聞き取れず更に苛立たせてしまい、またあたふたしたりと僕もHSP気質ではある。

自分の考え方や受け取り方次第で、気持ちは変えられる。でも、ストレスの原因との距離感が近いほど、完全に取り去ることは難しい。
変化できることは、身をもって知っている。
けれど、長期的な効果は得られないということも経験則から知っている。
気づけば、また同じ様なストレスと向き合っている。
だから、その原因と向き合うことをやめて、自分を労わる日(マイルール)を最近作ってみた。

1記事、1000文字程度と決めているので、マイルール(自分を労わる日)については次の記事で。
毎度、最後まで読んでもらえる自信がない。
探りながら読んでもらう中で、ギリギリ最後まで読んでもらえると思う量が、1000文字くらいだと書きながら日々感じている。






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