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思い立ったが吉日(猫島編 熊本県天草市 湯島)

生粋の猫好きというわけではないが、snsで見て以来、猫島へ行ってみたいと思っていた。

思い立ったが吉日。
前回記事にした、物語(人生)に変化をつけるためにも行ってみることにした。

船の出航場所と出航時刻以外、島に関する情報は何も入れないことにした。とにかく行ってみる。そこで何を感じるのか、自分に少しだけ期待する。
大抵のことは、想像の範囲内で満足してしまう性分だが、実際に行くことでしか、生まれない何かを見つけたいと思った。

出航の1分ほど前に、船のエンジンが始動され、船内に重低音が響く。定員人数が25人程の小さな船なこともあり、エンジン音は割と大きく感じられる。
船に乗るのは、小学生の頃以来になる。
久々の乗船による緊張と船内に響くエンジン音からなのか、僅かに気分が昂っていた。そんなことで、気分が昂る自分に少し驚きもした。それが原因なのか、お酒の力を借りないとできないような、自撮りも初めてやってみた。
しかも、動画だ。
周囲の目を気にしつつ、カメラに向かって笑顔で手を振り、その流れで景色を撮る。YouTuberというのは、こんな気分なのだろうかとしみじみと感じながら、その動画を母に送った。
痛々しいので、その動画を自分で見ることはないが、そんな突飛な行動をその時の僕は、何だか許せた。

島に到着し下船しているときには、既に1匹の白い猫が出迎えてくれていた。
どうやら港周辺が、島の中で最も猫が集まる場所のようだ。
港に設置された看板によると、島を一周できるみたいなので、猫と触れ合うのは、それからにする。当初、猫との触れ合いがメインではあったが、島を一周する方に興味がそそられた。道中には、小学校もあるみいだ。島の小学校というのも、また、猫より興味が勝った。
これが、行くことでしか生まれない何かの1つなのかもしれない。
島に着く前に、船内で1つ決めていたことがある。
スマホは、写真を本当に撮りたいと感じたときだけ手にする。
良し悪しの判断の前に、とりあえず写真を撮ろうとする癖がついている。目にしているものに意識を置いて楽しむことが大切で、今の自分には必要だ。
そんなふうに考える僕は、自分に酔っている。その行為は、この日を少しでも良い日にしようと、脳が活発に働いてくれている気がした。

港と古民家の間を歩き、学校を目指す。
ベンチの下で寝る猫や草陰で涼んでいる猫、進めば至る所で見かける。まるで、ウォーリーを探せのような感じで、様々な物に同化している(同化は、ナンチャンを探せだろうか)


歩き進んでいくと、草木が覆い茂った道幅の狭い通りになっていく。その道を行けば行くほど、猫も人通りも減った。数分前までは、原付に乗ったヘルメットなしの、おじいさんおばあさんが行き交っていたのに。

人取りが全くない、僅かに長い登り坂を進むと、やや広いグラウンドと校舎が見えた。
島の学校というと、年季の入った校舎を想像していたが、綺麗に整備された印象を受けた。
卒業した子供たちは、どんな気持ちで島を出ていくのか、どんな大人になるのだろうかと感慨深くなった。

島は、40分ほどで回ることができた。
残り僅かな出航時刻までの間、港に設置されたポール(柵)の横で眠る、1匹の猫を観察する。
毎日同じように、寝たいだけ寝て自由に生きているのだろうか。それとも、ただやることがないだけなのだろうか。
人間からすれば自由気ままに見えても、猫からすれば毎日忙しいのかもしれない。
そんなふうに思いながら「楽しいか?」と綺麗にお腹をみせて眠る猫に話しかけた。
耳が数回細かに動き、お腹を撫でる。
声に反応しただけだろうが、自分の問いかけに答えてくれたようで嬉しい気持ちになった。

今回の観光で、何を得たという明確なことはない。
ただ、充実した日だったことは確かだ。
色々試して、自分を知る。これからも、そんな使命感と向き合う時間は、もう少し続きそうだ。


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