お手紙の豊かさ。
昨日は「note文通」の投稿をしたが、今日は
それに続き「手紙」について。
先月、仕事で関係のあった方からお礼のお手紙をいただいた。
一言添えてあるカード、ではなく 拝啓ーから始まり、草々ーで終わるような、「お手紙」らしい「お手紙」である。
2年間のお礼とともに、便箋二枚に丁寧に綴られたそれは細やかで温かい人柄をも伝えてくれるようなものだった。
そして、わたしが異動となり、会えなくはなるが今後も関係が続くことを予感させた。
読み返して思う。
何というか、格別だな、と。
デジタルの文字にはない温かさ。
携帯に届いた文字だって読み返せるけど、
封を開けるたびに、
初めて読んだ時の気持ちが、より鮮明によみがえるよう。
いただいた誠意にはきちんと然るべき誠意でお返ししたい。
自分で言うのはなんだけど、わたしはわりと「筆マメ」な方だと思う。
仕事で必要な書類を送る際は、一筆箋に一言書いて入れるし、何かプレゼントを渡すときは、メッセージカードも添える。年賀状も、印刷という恩恵には預かるけれど、絶対に手書きで、それぞれへのメッセージも添える。
でも、先程あげたような「お手紙」を送る機会はなかなかなかった。
便箋選びから始まった、お返事を書くということ。
春らしい草花が描かれたものにしようかな。
相手のイメージの色を使うのはどうだろう。
インクの色は、わたしの好きなネイビーにしよう。
全ての準備は整った。
そうして、クラシックの流れる、アンティークな調度品の並ぶお気に入りのカフェにて、ペンを執った次第である。
可愛い便箋だから、修正ペンなんか使わずに、一発で間違えずに書きたい。
季節の挨拶はどうしよう。
どんな言葉で綴ろうか。
終わりは、どうやって結ぼう。
書く内容は、事前に大まかに考えていた。
が、
ボーン、、、。
壁にかかっている年季の入った時計の、重くもどこか懐かしい音にて、1時間経ったことに気付く。
「親愛なる、がまがえるくんへ」
きみがぼくの親友であることを、うれしく思っています。
〜アーノルド・ローベル 「お手紙」より〜
お手紙をもらったことがないと嘆く「がまくん」に「かえるくん」が書いたお手紙の一文である。
結局お手紙なんて、「かえるくん」の一文のいうところによる、あなたのことを大切に思っています、ということに集約されるんだろう。
手紙をしたためる時間。
すなわち、届くあなたのことを想う時間。
この1時間は、静謐であり、穏やかな温かい時間だった
便箋を選び、どう言葉にするか考えあぐねてペンを執り、そして切手を貼り、ポストに投函する。
メールやLINEにと指先一つにて、言葉を送れる時代に、かかり過ぎる手間かもしれない。
けれどその手間をもっても、豊かで価値ある時間であったと感じる。
手間がかかっても、こういった時間を大切にできる自分でありたいなあ、とふと思った午後下り。
ちなみに。
トップの写真には、今このnoteを書き終えた前に書いていた、リアルわたしのお手紙である。
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