「芋粥理論」をくつがえした、夏。
「芋粥」の話をしようと思う。
芋粥、と目にして
え、どんなメニュー?美味しいの?
と思われた方もいるかもしれない。
ここでの「芋粥」とは、芥川龍之介の短編の一つである。
この「芋粥」のお話を読んだのは中学生か高校生くらいだったので、曖昧ではあるが、確かこんなお話であった。
いろいろ計画してからにしよう。
反対されるかも。
お金もかかる。
別に今じゃなくったっていい。
また、いつかできるし、いつかしよう。
わたしは、いつからか、やりたいことや興味のあることがあっても、そうやってしたいことを叶えることをもったいぶるような思考があった。
どんな感じだろう・・・考えるだけでも楽しい。いつか、叶えるから、今は想像していよう。
「いつか」それを合言葉に、実際に叶えるのを先送りにすることを、正当化したのだ。
そういった思考をわたしは、先程の「芋粥」になぞらえて、想像を膨らませることで十分楽しめる、という「芋粥理論」と勝手に名付けていた。
今思えば「芋粥」の主人公のように、やりたかったことをやって、ああなんだこんなものか、って期待や想像を越えないことが、きっとわたしは怖かった。
その「いつか」へ先送りしたうちのいくつかは、「海外旅行」や「ダイビングのライセンスをとること」だった。
お金がかかるし、今じゃなくっていいや。
社会人になってから、しよう。
ところがどっこい。
社会人になり、財布は、大学生の頃より潤ったが、今度は時間がない。
ああ、年2回一月以上自由があるというのは、とんでもない贅沢だったんだ、と気づいても後の祭り。
したいことは、やろうと思って動き出さないと、「いつか」は、永遠に来ないのではないか。
すっと、背筋が冷えた。
今から4年前、25歳の時だった。
「海外旅行」に一人で行くには、英語力と度胸が足りない。今からは、友人とスケジュールを合わせるのは間に合わないだろう。
よし、ダイビングのライセンス、とるか。
これはわたし一人でもいける!!!!
ネットで評判の良い、ダイビングショップを調べ、実際にいくつかのショップに足を運び話を聞き、ここなら安心かな、と思えるところを選んだ。
ちなみに、ダイビングのライセンスも車のと同じように座学を受け、テストを受ける。そしてプールで器材の取り扱いの練習をし、実施練習として、海に行き実際に潜る。
(※プールでの練習がないところもある)
〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*
一歩踏み出すと、あれよあれよという間に、最終日。
浅いところから少しずつ潜ってゆくので、太陽の光を受けて、海底に、波の表面がまばゆく映るのが見えた。
幾重にも重なる光の筋が、波の動きにより、
交差する。ゆらめく波と光の共演が何とも神秘的。
そして目の前に広がるのは、文字通りの別世界。
悠々と泳ぐ様々な魚たち。
珊瑚に隠れるカラフルな熱帯魚。
視界に映る全てのものが、夢みたいで
夢中で目に焼きつけた。
無重力空間の中で、海底付近を漂っていると、自分が、海の中の生き物の一つになったようで何とも不思議な気持ちになった。
少し上に浮遊して見つけたのは、
水面近くに漂い、波に身を任せながら太陽の光を浴びてきらきらと光る魚たちの群れ。
それがあんまりにも美しくて、水中眼鏡の中の瞳が、ちょっぴり潤む。
光る魚たちを見上げるなんて、想像したことなかった。
リアルは、想像を遥かに超えるんだなあ、
なんて当たり前なことを、わたしは海の中で噛み締めた。
〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
そしてその夏の終わり、わたしは改めて日記を見返した。
ダイビングのライセンスを取ったこと。
長らく会えてなかった友人に連絡をとって
会えたこと。
リスニングの勉強を始めたこと。
読んでみたかった本をたくさん買ったこと。
ずっと気になってた美術館に行ったこと。
叶えた「いつかしたかったこと」が、ずらりと並んでいるのを見て、じわじわと喜びが沸き上がってきた。
無敵感とでも言おうか、なんとも言い難い充足感。
やりたいことは、想像するだけじゃなく、叶えてこそ、意味があるんだ!
経験したいこと、知りたいと思ったこと、今、手を伸ばそう。叶ういつか、に想いを馳せるだけじゃなく、やれることは今、やってみよう。
わたしの「芋粥理論」が、打ち破られた瞬間だった。
あれから、わたしにとって夏は、ほんの少し違う新しい自分に出会えるような、わくわくする特別な季節になった。
ご時世、制限されることも多く「やってみたい」の全ては、叶えられるわけじゃない。
けれど手が届く範囲で、自分から生まれた「知りたい」「やってみたい」に素直でいられる、わたしでいたいと、強く思う。
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