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昼に暮らしてみた、ある平日。

人は時間があれば普段とは違うことをしてみたくなるようだ。

8月に入った平日、わたしは午前中お休みをとっていた。普段より少し長めの睡眠から目覚め、出勤までのあと2時間、何をしようかとあれやこれや考えをめぐらせる。

よし、買い出しに行ってお昼ご飯を作ろう。
そして、これでもかと言うほど照りつける太陽の熱と光を利用してやって洗濯ものを乾かそう。

休みの日は惰眠を貪りがちなわたしにしては珍しく、人肌でぬるく温められたタオルケットから這い出る。

向かったのは家の近くのスーパー。

10時半という、お昼前にはちょっと早い、まだ少し涼しい時間帯のせいもあるのだろうか。
馴染みのスーパーに一方足を踏み入れると、いつものそことは、なんだか違う賑やかさにおののいた。
老若男女、ひしめきあって、いやどちらかというと、小さなお子さんを連れたお母さん、そしてお年を召した方が多かったな。

いつもと違うのは、人の数だけではなかった。
普段見慣れない食品がそこかしこにある。
例えば沖縄産生もずくだったり、お腹が開かれてそのまま氷に乗せられたアジだったり。

このスーパーで売られていたのは、3連のカップ入りのもずくだけじゃないんだ…。魚は切り身になって、綺麗にパッキングされたものだけじゃないんだな…。

野菜コーナーに足を運べば、凹み、小さな傷がついたナスが59円!と跳ねる文字の前で、ダンボールに無造作につみあげられている。

これまた79円、本日限り、という魅力的な単語を携さえたピーマン。
袋に4こ入っていたが、前に買ったときよりも実が大きい気がする。そしてつやつや、濃い緑に光っていて、1年中目にするピーマンも夏野菜なんだよなあ、と改めて思う。

トマトも、本日限り!という言葉のもと、いつもより安い値段でたくさん並べられている。どれもさして大差はないんだけれど、より大きそうな、より赤そうなトマトを目利きして手を伸ばす。

そのうち、あれも作りたいな、これも作りたい。と次々に献立が浮かんできて、なんだかうきうきしてくる。


本日限り、という言葉にわたしもまた踊らされ、いろいろな野菜を手に取り、カゴへ吸い込ませてゆく。

トマト、オクラ、茄子、きゅうり、エリンギ、しいたけ、豆苗、生もずく、鶏肉、豚肉、お豆腐、牛乳。
目当てであったお肉と牛乳など今日のお昼ご飯の材料だけのつもりだったのに、いつの間にかカゴにはたくさんの食材たちが。

賑わうたくさんの人たちを見て、みんな、昼に生きてるんだなあ、なんてぼんやり思った。

昼に生きていない、なんて表現すればあたかもわたしが夜に生きているようだけど、
生きる、を暮らすに変えるとしっくりくる。



わたしは普段、朝、出勤前の身支度が出来るギリギリの時間に起き、着替え、洗顔、お化粧、そして野菜ジュースとかバナナとかコンビニおにぎりとか、ごくごく軽くを流し込み、速足あるいは小走りで、駅に向かう。

そしてすっかり太陽が気配を潜めた頃にスーパーに寄り、少し時間が早ければ食材を、遅ければ出来合いのお惣菜を買う。
洗濯もお風呂の前後にして、もちろん部屋干しだ。

そう、やっぱりわたしは、昼には暮らしていない。

休日は、ゆっくり寝て体力も回復させたいし、したいこともたくさんある。
されど時間は有限。やりたいことやしなければいけないことをこなすと、家事に対する優先順位は必然的に低くなってしまう。

今のところ、家事、すなわち生活を営むためのあれやこれやは、わたしにとって仕方なくやるものであり、積極的には出来ていない。


ふいに、数年前読んだ、俳優の星野源さんが書いた「そして生活はつづく」というエッセイの中の言葉を思い出した。

彼が過労で倒れたとき母親が言ったという言葉、
「あんたは、生活が苦手だから。」

ーああ、わたしもだ。
数年前まだ一人暮らしをしていたとき、このエッセイを読んだ。そのとき、ひゅっと心に隙間風が吹いて、何とも言えない気持ちになったのを覚えている。


結婚し、引越したまっさらな部屋の隅に座って決意した、
ーここから「丁寧な暮らし」に近づこう。
その決意も、時間が経てば自分の余裕の無さに脆く散りゆき、今の雑然とした部屋がある。

…*…*…*…*…*…

スーパーから帰宅し、
先ほどの生のもずくときゅうりをポン酢であえる。
エリンギは、いつもは炒めものくらいにしか使わないけれど、今日はワカメとともにお味噌汁に入れてみることにした。
そして、鶏肉とさっき買った夏野菜たちをざくざく切って焼肉のタレで炒める。

名前もつかないような、なんてことないおかずたちだけど、朝から一仕事終えたような満足感。

たまたま夫が、リモートでお仕事だったので、あったかいうちに食べてもらえて良かった。作り置きとかほぼないので、いつも昼はちゃんとしたもの、食べれてないんだろうな、なんかごめん。


食べ終わる頃に、その仕事の完了を知らせる音が洗濯機から聞こえた。

ベランダに出れば、身体ごと包むサウナのような熱気。
強烈な光の中で、ほんのりと洗剤の香りをまとったタオルやシャツが揺れる。

あっという間に乾きそうだ。


したいこと、に目を向けるだけじゃなく、これまでおろそかだった暮らし、何でもない暮らしの営みにももっと目を向けて過ごすのもたまには良いかもしれない。


#エッセイ  

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