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【中編小説】金色の猫 第28話(全33話)#創作大賞2024

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読了目安時間:約3分(約1,700字)

「2022年2月22日は〈スーパー猫の日〉」
 家電量販店の前に並ぶ大小様様な液晶へ上目遣いで寝転がる縞の猫が映し出される。行き交う人波の中ふと歩みを止め、俺はじっと画面に見入った。時折、冴えた光を放つ琥珀色の瞳に、しばし金之助をおもう。
「鼈甲飴みたい」横たわる俺の胸で寛ぐ金之助を眺め、琴乃は言った。「べっこうあめ?」聞き返したら、ジェネレーションギャップだと落ち込んでいた。
 琴乃の家を出てから一週間が過ぎていた。彼女は月浜亭つきはまていの住所も連絡先も知っているはずなのに、店へ訪れるどころかSNSのDMすらなかった。出て行ったのは俺なのに、日日のあちこちで琴乃の気配を拾ってしまう。
「ノモスのクラブキャンパスっすよね」
 三日前は客の腕へ蜜柑色の文字盤を認め、思わず彼女に教わったばかりの名を口にした。二日前は流れていた音楽を店のトイレで口遊み、彼女がよく聴いていた古い外国の歌だと気づく。そして昨日は寝間で冴えた御香の匂いに包まれながら、琴乃の部屋を満たす気怠い香りを懐かしくおもった。

 搔き集めた気配を両手で握ってもぬくもりはおぼろで、ざらついた掌の感触だけが残る。ふらっと通り沿いのコーヒーショップへ入り、持て余した片手を三百円の珈琲で埋めた。
「お兄さん、錨七斗いかりななとに似てるって言われませんか」
マスクを下げて紙カップへ口をつけたら、ダスターを手にした若い男の店員に声をかけられた。「ええ、ああ、まあ」軽く受け流したものの、店員はなお興奮気味に話し続ける。
「ですよね! いやーーまじでそっくりで本人かと思っちゃいました! 俺ファンなんですよね……あの、『とりつく愛もない』知ってます?」
 首を傾げたら店員はひどく驚いたようすだった。水曜の夜十時は題名を略した〈とり愛〉と、それに関連する単語がSNSのトレンドを埋め尽くすほど人気だったらしい。そこで俳優の錨七斗は主人公の不倫相手を演じていたらしく、その「大人の色気」から沼に陥る人が続出したそうだ。ふといつかのペットショップで聞いた黄色い喚声を思い出し、やっと合点がいった。
 やがて店が混み合ってきて店員がカウンターから呼ばれ、俺はようやく解放された。残った珈琲を飲み干し、入口付近のゴミ箱へ捨てた。一年前まで個性派扱いされていた俳優が知らぬ間にイケメン扱いになり、一か月前まで八十四円の強炭酸水を飲んでいた俺が三百円の珈琲を飲んでいる。変わりゆく日日のまにまに漂う俺がなんだか滑稽に思えた。

 店を出たらスウェット一枚でも充分暖かく、俺はコートを片手に抱えたまま白日の滲む街を歩き出す。もちろん目指す場所は決まっていた。
「どうだ? 月浜亭は? うまくやれてるか」
 幻音堂げんおんどうへ入るなり帳場から店主が出てきて、俺を心配そうに見上げた。
「はじめて店に行ったときはどうなるかと思いましたけど、今は……まあ、たのしくやってます。まじでほんと、椿山つばやまさんには、感謝してます」深深と頭を下げる。
「やめてくれ、たまたまなんだから」
 椿山はぶっきらぼうにそう言って、俺の腰を叩く。俺は首を振りながら顔を上げ、一時的に椿山の家に居候していると話した。すると椿山は腰を反らし、老眼鏡の奥で目を見開いた。
「そりゃあまあ……ずいぶんと気に入られたんだな」
「そうっすかね、そうは見えないっすけど」
 客間で寛いでいれば欄間らんまからお手玉が降ってきたり、風呂へ入っていたら寝間着が蟷螂かまきりの衣装に変わっていたり、時には布団の中へ巨大な大山椒魚おおさんしょううおのぬいぐるみが入っていたりした。俺はそれらすべてを羽衣石ういしのしわざだと思っている。そう伝えたら椿山はまるで孫を見るように目を細め、「それはきっと……歓迎だな、彼なりの」と頷いた。
 椿山が帳場へ戻ると、俺は近代文学が並ぶ棚へ移動した。琴乃の家に須東零四風すとうれいしふうの本を置いてきてしまったので、手元には夏目漱石の『三四郎』と中原中也の詩集しかない。中也の詩集もほとんど読んでしまい、次に読める本が一冊欲しかった。せっかくなら月浜亭に置いていない本がいいだろうと考えながら棚へ目を走らせていたら、後ろから透きとおった声で名を呼ばれた。振り返って辺りを見渡せば、下から服の裾を引く人がいる。ふと視線を落とし、喜びのあまり破顔した。

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