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#10 あれってなんだったんだろう

車旅の帰り道、途中立ち寄ったオウルという街での話。

小さめのショッピングモールの前でコーヒーを飲みながら、ぼくは友達の用待ち。

今日も晴天に恵まれた青空が本当に気持ちがいい。

もうそろそろ車旅も終わってしまうなぁと少し感傷に浸っているていると、向こうから5歳ぐらいの女の子が歩いてきた。

瞳が青く雰囲気からして現地の子のようだ。

東洋人がフィンランドの、しかもサービスエリアにいることがよほど珍しいのか、まじまじとぼくの顔を眺めてきた。

あまりにじっとこちらを見られ戸惑うぼくにその子が何か言葉を発した。

「ホイ!」

、、ほい?

何度か言ってくるその言葉の意味が分からず愛想笑いをしていると、友達がトイレを済ませて帰ってきた。

同じ敷地内にあるガソリンスタンドでぼくたちが車の給油しているときも、その女の子はずっとこっちを見ていた。

あとで調べるとあの女の子が発した言葉は「moi」という言葉。

フィンランド語で「こんにちは」。

ただ、挨拶をしてくれたのだった。

ここまでを今回のマガジンでフィンランド旅のことを書こうと思ったときに思い出した。

そして今、この文章を書きながらなぜあのときのことが今でも心に残っているのかを考えている。

だけど、このエッセイを通じてようやくあの頃の自分の気持ちが分かった。

ぼくはずっと後悔しているのだ。

正直に白状するとmoiという馴染みのない言葉を聞いたとき、瞬間的に物乞いのように感じてしまった。(アジアの国を訪れた時、結構そういう方に遭遇した。という言い訳)

本当に最低だ。

好意的な、言わば「ハロー」のような言葉なのに自分の無知によって勝手にその子に偏見を持ってしまったのだ。

なんか、もう、本当に後悔している。

ただ少し遊んでほしかっただけかもしれないし。

そういった子供の頃の記憶って断片的に心の記憶として残っていて、ふとした時に思い出すかもしれないし。

それにまず間違いなく今後あの女の子と再び出会うことはないし、奇跡的にどこかの道ですれ違ったとしても彼女は大きくなるから分からない。

色々と考えすぎだろうか。

フィンランドで追い求めた景色よりも、あの女の子の顔を鮮明に覚えている。

元気でやってるかなぁ。

少なくとも誰かと違って細かい事を気にしない素敵な大人になってほしい。

そんな事を狭い空の下の、狭い自分の部屋で深夜に考えるぼくであった。

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