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日産自動車男女別定年制訴訟

地歴うんちく判例説明・民法3=公序良俗違反(3)
日産自動車男女別定年制訴訟
最判・昭和56年 3月24日(判例百選Ⅰ-14)
【キーワード】
 元プリンス自動車の女性労組員が男女平等の定年制を勝ち取った判決
【地歴うんちく】
 (歴史的合併)
 この判決の由来は、わが国の自動車産業の歴史的事件にある。その事件とは、日産自動車とプリンス自動車の合併だ。1966年(昭和41年)8月1日のことである。
 プリンス自動車という会社については、もう知らない人も多いだろう。この会社は実は、ただならぬ会社である。第二次世界大戦後、航空機製造を禁じられた飛行機メーカーの技術者らが1947年(昭和22年)、東京都立川市で「東京電気自動車」を創業し、電気自動車の製造を始めた。その後、ガソリン車製造に転換したが、その技術は素晴らしくグロリア、スカイラインなど名車を生み出した。しかし、経営が悪化したことから、日産自動車に事実上、吸収合併された。
(労使紛争)
 この合併で、大規模な労使紛争が起きた。当時の国会質問と政府答弁によれば、両者の合併により、プリンス自動車労組は、日産自動車労組に編入する労働者と、プリンス自動車労組に残る労働者に分裂。合併新会社と、後者のプリンス自動車労組との間には、多くの労使紛争が生じた。これをたどると、膨大かつ複雑なので省略する。この訴訟は、この労働紛争の中で、争われた裁判の一つだ。
(提訴の経過)
 当時、日産自動車は就業規則で定年を男性55歳、女性50歳と定めていた。そして、満50歳となった女性社員の中本ミヨさんは1969年(昭和44年)1月末で退職を命じられた。これに対し、中本さんは従業員である地位の確認を求める仮処分申請を起こしたが、1審、2審とも請求を棄却されたため本訴に及んだ。しかし本訴では1審、2審とも男女別定年制が違法であると認めたため、会社側が憲法第14条、民法90条の解釈の誤りを主張して上告した。
(最高裁の判断)
 就業規則中、女子の定年年齢を男子より低く定めた部分は、性別のみによる不合理な差別を定めたものとして民法90条の規定により無効である、と判決。中本さんは勝利判決を獲得し、この判決はのちの男女雇用機会均等法成立への流れをつくった。
 中本さんは、1996年(平成8年)に『されど忘れえぬ日々―日産自動車の男女差別を撤廃させた12年のたたかい』を出版している。
【文献種別】 判決/最高裁判所第三小法廷(上告審)
【裁判年月日】 昭和56年 3月24日
【事件番号】 昭和54年(オ)第750号
【事件名】 雇傭関係存続確認等請求上告事件
【著名事件名】 日産自動車男女別定年制訴訟上告審判決
【要旨】 〔最高裁判所民事判例集〕
1、会社がその就業規則中に定年年齢を男子60歳、女子55歳と定めた場合において、
2、担当職務が相当広範囲にわたつていて女子従業員全体を会社に対する貢献度の上がらない従業員とみるべき根拠はなく、
3、労働の質量が向上しないのに実質賃金が上昇するという不均衡は生じておらず、少なくとも60歳前後までは男女とも右会社の通常の職務であれば職務遂行能力に欠けるところはなく、
4、一律に従業員として不適格とみて企業外へ排除するまでの理由はないなど、原判示の事情があつて、会社の企業経営上定年年齢において女子を差別しなければならない合理的理由が認められないときは、
5、右就業規則中女子の定年年齢を男子より低く定めた部分は、性別のみによる不合理な差別を定めたものとして民法90条の規定により無効である。

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