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今週の読書「断片的なものの社会学」

図書館で回ってきたので、「断片的なものの社会学」を読んだ。

100分で名著で岸先生のことを、社会学を知った。社会学がある、ということを知ってはいたけれど、実際どういう学問なのかを少し垣間見たのはこの時が初めてだった。何か入りやすそうなものを読んでみようと思って、予約したのがこの本だ。

劇的な物語はないけれど、しみじみと心を揺さぶられた。図書館で借りたのだけれど、これはもう買って手元においておこうか、と思った。心に残る文も多く、本が栞だらけになってしまった。孤独や、差別、暴力、幸せ、居場所、などなど、様々なことが、本を読み進める流れに乗って自然に考えが深まる気がする。こう書くと何か難しそうなのだが、この本が本当に素敵なのは、全く難しくない(それは丁寧に言葉を尽くして書かれているからだ、と思った)、というところだ。

心に残った文をいくつか。

私の手のひらに乗っていたあの小石は、それぞれかけがえのない、世界にひとつしかないものだった。そしてその世界に一つしかないものが、世界中の路上に無数に転がっているものである。
私たちの自己や世界は、物語を語るだけでなく、物語によって作られる。
物語は「絶対に外せない眼鏡」のようなもので、私たちはそうした物語から自由になり、自己や世界とそのままの姿で向き合うことはできない。
強い恐怖を感じるが、いつも思うのは、むこうからしたら私たちも同じように見えているのだろう、ということだ。そしてさらに、「ほんとうにそうかもしれない可能性」について考える。つまり、「実際に」いま生きている私という存在が、根底から間違っているかもしれないのだ。
私たちは、私たちのまわりの世界と対話することはできない。すべての物の存在には意味はない。そして私たちが陥っている状況にも、特に大した意味があるわけではない。 そもそも、私たちがそれぞれの「この私’であることにすら、なんの意味もないのである。私たちは、ただ無意味な偶然で、この時代のこの国のこの街のこの私に生まれついてしまったのだ。あとはもう、このまま死ぬしかない。

これらを読んでいると自分は肥大化した自己を持て余しているのだなぁ、と思う。困ったものだ。

誰にも隠されてないが、誰の目にも触れない

これもなんだかいい言葉だな、と。


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