キム・ジヨン氏と私とあなた(『82年生まれ、キム・ジヨン』感想文』)

こんな世の中になる以前から、生来出不精の私は殆ど外に出ない生活を送っていた。毎日の通勤もないし、せいぜい近くのスーパーで食料品の買い物をする位、居住地域からさえ出ない人間には海外など当然行く機会もない、実際

「飛行機に乗ったらすぐだよ、国内旅行と変わらないよ」

そう言われるお隣の国の韓国でさえ、私にはうんと遠い外国だった。それでも、流石に韓国はお隣の国、日本には私たちの隣人として韓国の人達が大勢暮らしている。それで私もこれまで韓国人の女性には3人出会ったことがある。

ひとり目は大学の同級生、と言っても彼女はうんと年上の聴講生だった。母親程年の離れた頼もしいオモニ(お母さん)という風情の人で、夫の仕事で来日してそのまま、あの当時で20年近く日本に住んでいると言っていた。生活の為に覚えた日本語は勿論、それ以外にも英語やドイツ語も堪能なとても素敵な人だった。

2人目は、真ん中の娘の幼稚園の同級生のお母さんだった人。年少クラスの最初の保護者会の日に、彼女と息子の姓が違う理由を「韓国では父親の姓を子どもが継ぐことが一般的なんです」とクラスの保護者皆に説明してくれた。彼女もまた夫の海外赴任に伴って来日し、短期間で日本語を日常会話に困らない程度まで習得し、幼稚園の保護者会ではいつも堂々と発言していた。朗らかでとても怜悧な人だった。

私は彼女達をとても特別な、自分とは違う人達だと思っていた。海を隔てた言葉も文化も違うお隣の国からやってきて、ひとりは最初は言葉も碌に分からなかった異国で子どもを育て、ひとりは年齢を重ねても大学で学ぶ意欲を失わない、理知的でバイタリティに溢れた女性、自分とは少し違う人達。

そして3人目、それが韓国で2016年初版、日本では2018年に薩摩書房から翻訳出版された『82年生まれ、キム・ジヨン』の主人公であるキム・ジヨン氏。

彼女は私より4つ年下の、架空の女性だ。

私はこれまで古典的な定番以外は殆ど翻訳文学に手を付けた事が無かった。あっても岩波少年文庫の『モモ』や『はてしない物語』『星の王子様』と言ったおとぎ話的でジュブナイル小説的な作品か現代文学の中でも定番で古典的なもの『ライ麦畑でつかまえて』『グレートギャツビー』『老人と海』それも簡単に表面を撫でた程度で、全て欧米の物だった。韓国も中国も、自身の暮す東アジア地域の文学作品は自分の国のもの以外読んだ事が無かった。

その理由はとても簡単で、行った事もないアメリカやヨーロッパの事はなぜだか何となくわかったような気でいる癖に、東アジアという地域の生活や文化、そういうものを自分の生活している日本以外はよく知らなかったからだ。

例えば韓国の現代文学を読もうにも、文化的背景、そこに登場する暮らし、食べ物、伝統的な習慣、宗教、教育制度、世界史で習った程度ではわからない事が多すぎる。これはごく個人的な考えではあるけれど文学というものの骨子は書き手の経験と生活ある、それを知らなければそこ書かれたものを正確に読み解くことができない。大体私はBTSが何なのか最近まで知らなかった。

その文化的方向音痴の私に思わぬ助っ人が出来たのは最近のこと。外出も外食も、日常の楽しみを自重して自粛して生きる事が常態化した今、せめて子ども達に好きなアニメや幼児番組でもと思って契約した『Netflix』が思わぬ助け手になった。Netflixは説明するまでもなく、有料で映画やドラマを配信するコンテンツ・プラットフォームだ、世界中の映画やドラマやライブ映像を見ることが出来る、当然韓国の映画も。

韓国の映画が世界的に高い評価を受けているということは以前から知っていたし、ポン・ジュノ監督の『パラサイト』がカンヌ映画祭やアメリカのアカデミー賞でいくつも賞を取ったことも知識としては知っていた。それで視聴環境も整った事だし、この機会にちゃんと見てみようと思い立った。私が視聴したのは、他にもいくつかあるがここでは下記の4作品。

『スウィング キッズ』
『タクシー運転手 約束は海を越えて』
『サニー 永遠の仲間達』
『パラサイト』

この並び順には少し意味がある。

ひとつ目の『スウィング キッズ』は朝鮮戦争の最中の1951年、韓国・コジェ島捕虜収容所を舞台にした作品。史実に基づくとは言え、ラストの視聴者への「おもねらない」感じが個人的には衝撃だった。そして次の『タクシー運転手 約束は海を越えて』は1979年5月18日から27日にかけて、韓国の光州市(現:光州広域市)で起きた民主化を求めた市民の蜂起「光州事件」を1人のタクシー運転手と実在のドイツ人ジャーナリストを中心にして描いたもの、その次『サニー永遠の仲間達』の舞台は2011年と1980年代後半。これは6人の女性達それぞれの人生模様の物語だ。ソウルオリンピック直前の全斗煥大統領時代、大学生のデモ隊と警察が衝突することが日常だったソウルの街を背景に、彼女達の高校時代が描かれている。そして最後『パラサイト』は半地下に暮す家族と、使用人を置いた広い庭付きの豪邸に暮す家族、富めるものとそうでないもの、現代韓国の二元論的な社会の分断構造を音と光と本来映像では伝えられない筈の「臭い」まで駆使して描いている。

舞台になっている時代の並び順に映画を見る事で、1951年から今日までの韓国をおおまかに履修できた。とは言えこれらは映画なので仮に史実に基づいていたとしても演出やフィクションの部分は多い、それでも映像資料とは有難いもので、私にとって海を隔てた遠い外国だった韓国が突然、親しみのある隣国になった。

そうやってようやく私が挑むことができた人生最初の韓国文学『82年生まれ、キム・ジヨン』。私はこの作品を現代韓国女性を描いたフェミニズム小説だと思っていた。そういう解説をどこかで目にしていたからだと思う。だからここにはただ1982年生まれの韓国人の女性のことが描かれているのだと思っていた。

でもそれは違った。

これは私とそして私と同じ性別を持つあなたの物語だと思う。

フェミニズムの文学であると同時にシスターフッドの文学。

今、物語は『私』という主観に寄りすぎている時代だ。物語は『私』が共感できるものであるべきで、そこには『私』のことが書かれているべきだと読み手が求めすぎる傾向がとても強い。逆に言えば『読まれるため』の文章はキャッチーであることと読み手の共感を誘うものであることが第一に求められるということだ。インターネットを媒体にして書かれるものがまさにそれで、ネット媒体の文章は主たる存在理由が広告収入にあることもありPV数が何より重要視される、そこから書き手が読み手に筆致を一部明け渡すという現象が起こる。書き手と読み手の自他境界は今、向こうが透けて見えるような、脂取り紙ほどの薄さになった。

その現象をこの作品の著者であるチョ・ナムジュ氏は逆手に取っているように思う。彼女の文筆家としての出自、スタートは報道番組の放送作家なのだそうだ。なんだか分かる気がする。

表題にもなっている『82年生まれ、キム・ジヨン』の主人公のキム・ジヨン氏は作中、冒頭の2015年の秋の時点で結婚3年目、1歳の女の子を育てるごく普通の韓国人女性だ。作中、これは意図的なものだとは思うがキム・ジヨン氏の容姿については深く言及されていない。分かるのは少しやせていること位、でも取り立てて美しい訳ではないと推測できる。育児と家事で忙しい中、綺麗に髪をブロウしたりする暇もなくひとつにまとめ、コットンやジャージ素材の動きやすい衣類を身に着けた普通の子育て中の女性だと思う。夫のチョン・デヒョン氏は3歳年上の中堅のIT企業に勤めている会社員で、毎日深夜まで仕事に追われている、土日もどちらかの日は仕事だ。キム・ジヨン氏自身は出産のため広告代理店を退職、いずれ再就職することを考えながら、よくある大規模団地で、よくある家庭を作り、よくある33歳の女性としてソウルで生きている。

その経歴にも特筆するべきものは何も無い、公務員と言っても末端で高給取りとは言い難い父親と、農村から出て来て工場に勤め夜学で学んだ母親の間に3人姉弟の中間子として生まれ、公立の小中高を経て、然程有名でもない大学に合格し、特に優秀とは言えない成績で卒業、真面目でひたむきだけれど積極性に欠ける性格とパッとしない学歴のせいで難航した就職活動を何とか乗り越え、小さな広告代理店に勤めた。そして30歳で結婚。現代にありがちでキャラクターそのものの輪郭がぼやけている分、彼女は誰でも「この人は私かもしれない」とフォーカスしやすい、そういう女性として描かれている。

そしてこの物語は82年生まれのキム・ジヨン氏だけの物語ではない、その上の世代の母親のことも描かれている。この点で私が映画でここ70年程の韓国の歴史を履修したことがとても生かされた。

キム・ジヨン氏の母親のオ・ミスク氏は、キム・ジヨン氏の年齢を考えると朝鮮戦争直後の生まれだと推察できる。韓国の戦後、激動の時代に生まれた世代だ。そこは高度経済成長の波や、軍事政権に対し民主化を求める民衆達の闘争をものともしない旧来の社会通念、男の子は女の子よりも質の良い教育を受けるべきで、女性はいずれ結婚して母親になるべきで、子どもは必ず男の子を1人は生むべきで、母親は子どもと家庭を第一優先にするべきで、姑には口返答などせずに仕えるべき、そういう価値観がしっかりと生きて呼吸をしている時代だった。オ・ミスク氏は、その中でキム・ジヨン氏と姉のウニョン氏を産み、更に3人目の子を身ごもった時、もしこの胎内の子が男児ではなかったらという強迫観念の中で一度、自ら堕胎を選んでいる。

『女の子はいらない』

そういう堕胎理由がまかり通った時代が韓国の1980年代頃にはあったらしい。そしてそこまで極端ではないにしても私の母親も私の姉と私、2人の女児を産んだ後、年齢的にも体力的にももう出産は望まないと思っていたところに「男がいないのは困る」と父や周囲から言われ、私とは4歳違いで男児、弟を生んでいる。弟は1982年生まれだ。

私とは言葉も文化も違う国の女性であるキム・ジヨン氏の人生には、私と重なる部分が沢山ある、男の子が絶対先だった出席番号、意識しないまま何となく男の子と区別されていた子ども時代、痴漢に遭い怖い思いをしたのに「アンタが気を付けないといけない」と言われた思春期、男子学生と同じように学んでいた筈なのに就職というステージの段が微妙にずれているように感じていた学生時代、男女同じように採用されて同じように働いているのに、上司の殆どがダークスーツを着た男性だった会社員時代。

そして何より、妊娠と出産にまつわる記述に共感する女性はきっととても多いはずだ。日本のそれよりもっと濃度と密度があるように読み取れる韓国の親戚づきあいの場面、結婚したキム・ジヨン氏は夫側の親戚から「子どもはまだ?」とせっつかれ「やせすぎが良くないんじゃないの」「血液の循環が悪いのでは」とまるで子どもができないことがキム・ジヨン氏に原因があるようなことを言われ続ける。仕事だってあるし、子どものことは夫婦でタイミングを計っているだけで、今とりたてて不妊に悩んでいる訳ではないのに。夫であるチョン・デヒョン氏は悪意はないが少し無遠慮な親戚たちにその場では特に反論せず、自宅に帰ってからキム・ジヨン氏に

「子ども1人、持とうよ。どうせいつかはそうなるんだから」

スーパーでノルウェー産の鯖でも買うかのように気軽に提案をする。それが2人の立ち位置の違いを明確に示している。

勿論子どもはいずれ産むつもりだとキム・ジヨン氏は思っていたし、同じように私も結婚当初は誰に言われるまでもなくそう思っていた。そして何なら3人産んだ。でもそうやって子どもを持つ事でキム・ジヨン氏が失った物と夫のチョン・デヒョン氏が失ったものの量の違い、これは日本も韓国もそう変わらないと思う。実際私も息子を産んだ12年前、通勤の都合と業務形態と雇用状態、色々なものが「子ども」とかみ合わず退職した。以来今日まで12年、何度かそれを望んで挑戦してみたものの上手くいかず、結局今に至るまで私は正式にどこかに雇用されて働いたことが無い。私は今、自宅に先天性の心臓疾患児がいる事もあって、夫の扶養から出られない程度の収入の不安定なフリーランスの仕事をしている。子どもの入院や通院がまだまだ日常の今、これはこれでいい部分もあるが、私が夫の収入を越える事は奇跡的な大逆転でも起きないかぎりこの先、私がどんなに努力してもまず起こり得ないと思う。

それでも、キム・ジヨン氏の夫チョン・デヒョン氏は彼女にちゃんと寄り添おうとはしてくれている。韓国の平均的な男性が一体どういう感じなのか、私にはまだ掴み切れていないが、子どもを巡って夫婦どちらかが退職して育児に専念するしか無いと言う場面において、夫のチョン・デヒョン氏はキム・ジヨン氏の話をきちんと聞き、慰め、優しい言葉を掛けている。そうして『どちらの収入が多いのか』『雇用先はどちらが安定しているのか』『父親と母親、どちらが家庭に入るのが一般的か』を考えた上で、結局夫のチョン・デヒョン氏が仕事を継続し、妻であるキム・ジヨン氏が退職する。

この時、夫のチョン・デヒョン氏は妻のキム・ジヨン氏が仕事を辞めて、これまで彼女が仕事から得てきた諸々、収入、友人、誇り、ビジネススキルを全てはく奪される事が一体どういうことなのかを理解は出来ていない、と言うよりもそう読み取れるように書いているのだと思う。夫チョン・デヒョン氏は善人だ、良い夫であり、多分良い父だ、子どもが生まれたら何でも『手伝う』とも言っていた。

彼はここでは男性で、妻キム・ジヨン氏とは決定的に違う世界に生きるものとして描かれる。

そして物語の終盤、1歳の娘のジゥオンちゃんを午前中、数時間だけ預けている保育園に迎えに行った帰り、たまたまベビーカーの中で眠ってしまったジゥオンちゃんを日光浴させようと訪れた公園で日本円で1杯150円程のコーヒーを久しぶりに味わい、ほんの少し深呼吸ができたキム・ジヨン氏は、見ず知らずのサラリーマンらしき男性にこんな言葉を投げつけらる。

「俺も旦那の稼ぎでコーヒー飲んでぶらぶらしたいよなあ…ママ虫(※)もいいご身分だよな…韓国の女なんかと結婚するもんじゃないぜ」

ママ虫というのは韓国のネットスラングで、日本語に翻訳されたこの『ママ虫』という言葉のニュアンスを越えた害虫だとか、汚い虫、のような意味合いを持つとても侮蔑的な言葉らしい、韓国版5ちゃんねるのようなインターネット掲示板から派生した言葉なのだそうだ。日本語のネットスラングだと、母親に限定されないものなら「女さん」とか、もっと侮蔑的で嘲笑的な言葉だと「まん」があると思う、女性の外性器の名称をそのまま使ったあれだ、これは私もTwitterで投げつけられたことがある。嫌な気分を通り越して恐ろしかった。そして同じようにキム・ジヨン氏もひどく傷つく、その日は自宅に帰り茫然としながら家事をし、食事もとらないまま、いつも通り深夜に帰宅した夫に泣きながらこう言う。

「あのコーヒー、1500ウォンだよ。あの人たちも同じコーヒー飲んでたんだから、いくらだか知ってるはずよ(中略)私があなたのお金を盗んだわけでもないのに。死ぬほど痛い思いをして赤ちゃん産んで、私の生活も、仕事も、夢も捨てて、自分の人生や私自身のことはほったらかしにして子どもを育てているのに、虫だって、害虫なんだって。私、どうすればいい?」

今、子どもを持って母親になると言う事は、ただふわふわと幸せなことだけではない、どちらかというと逆だ。勤務先に遠慮しながら妊娠を告げ、悪阻と体調不良に約40週耐えて抜いて産んで、次は生まれたばかりのふにゃふにゃとした無力な赤ん坊を自分のことそっちのけで死なないように育てる。それだけでも母親は倒れる程大変だ。それに加えて母親という立場に置かれた時、あらゆる方向からこんな言葉が飛んでくる。

お母さんなんだからしっかりして
お母さん、もう少し頑張らないと
お母さんなら当然でしょ

ママ虫もいいご身分だよな

望んで母親になった筈なのに、そして目の前の我が子は間違いなく可愛いのに、徐々に絶望と無力感にさいなまれることになる女性は韓国にも、日本にも、それこそ世界中にもきっと沢山いる。キム・ジヨン氏は結局心を病む。キム・ジヨン氏はあの後どうなったのだろう、回復してソウルで元気に暮らしているのだろうか、その結末は書かれていない。

『82年生まれ、キム・ジヨン』は彼女と同じ、女性のだれもが経験したことのある不遇と差別の集合体の物語であり、キム・ジヨン氏は『誰かの娘』でもなく『誰かのママ』でもなく『キム・ジヨン氏』というひとりの人間としてその名前を示されながら、表紙にさえ彼女の顔が描かれていないように、一体どんな顔をした女性なのか具体的には少しもわからない、誰でもその姿を自身に投影できる女性として描かれている。そこにも

『彼女はあなたで、あなたは彼女』

著者の強いメッセージが託されている。そしてこの物語はキム・ジヨン氏の産んだ子が『娘』であることに最後の希望を託される。

これまで母親の世代から今日まで、女性の周辺には本心では承服しがたい理不尽がいくつもあった、女性に対する侮蔑と暴力もまた同じようにずっと存在してきた、でもそれらすべてを次の娘達には引き継がせないでおこう、人は地獄の底をかき分けてそれをしっかりと目視し自覚することで、初めて希望を探すため天上を見上げることになる。

自身もひとりの女の子の母親である著者のチョ・ナムジュ氏は、著者のあとがきをこう結んでいる。

『娘が生きる世の中は、私が生きてきた世の中よりよくなっていかなくてはなりませんし、そう信じ、そのようにするために努力しています。世の中すべての娘たちがより大きく、より高く、より多くの夢を持つことができるよう願っています』。

次の世代の娘達が幸せに生きる世界を私達自身が作ることで、作中ですっかり心を病んでしまったキム・ジヨン氏は回復し、彼女自身もきっと幸せに生きることができる。

私はそう思う。

資料:『82年生まれ、キム・ジヨン』 チョ・ナムジュ著 斎藤真理子訳   
   筑摩書房 2018年

   『韓国現代史』 ムン・ギョンス著 岩波新書 2005年



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