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バイオと最近の類似性雑記

例えば、バイオハザードのゲームの世界に突如投げ込まれたとして、ギリギリの精神状態と体力で生き残るのと、さっさと噛まれてゾンビになるのと、どちらがより"良い"のだろうか。

いま私が現実世界で取っている戦略は、ゾンビになるほうだ。
私はただの凡人だ。生き残る術のないしんどい状況下なら、ゾンビになって思考も痛みも放棄した方が楽になれる。(ゾンビに痛覚や思考がない、という確証は無いけれど。)
過度に絶望しないために、日常的にちょっと死んでおく。常に自分を傷つけて、痛みに慣れておく。いつ切られても首を絞められても線路に落とされても良いように。
痛みを先読みしておく。これが平素の私だ。

バイオハザードの世界も現実の世界もそう違いはない、と思う。

特に最近は。ゲームの災害の状態と大差ない。
わけも分からず、先の見えない状況が続く。その中で、無力感を覚える人も多いだろう。襲ってくるのがゾンビだろうがウイルスだろうが(ゾンビもT-Virusか…)、人々を混乱に陥れているという点では共通だ。

私は頻繁に無力感に襲われる。特にコロナ後は酷い。自分には何もなくて何もできない、そんなひどい虚無感に囚われる。まぁ実際何も持っていないのだから仕方ないけど(資格、職位、配偶者、財産、とか)。


例えばバイオなら、生き残るために身体能力や銃の技術、格闘技術などが必要だろう。モブにはそれがないからモブなのだ。

だからモブはゾンビになる。
バイオハザードの世界にとってゾンビは必要不可欠だ。ゲームの主要なマトなんだから。(それを倒すゲームなんだし。)

現実でいう、私がこの文章で言うゾンビとは、上記した無力感にとらわれた人間のことだ。そこに関連があると思った。
鬱にしろパーソナリティ障害にしろ何にしろ、それに完全に喰われて無力感に囚われれば生きた屍も同じ、ゾンビみたいなものだ。
最悪、酷い虚妄によって人を襲いかねないし。

私は今、ゾンビだ。
まだ人は襲っていない。ずっと自分で檻の中に閉じこもっているゾンビだ。

あの世界で生き残れるのは主人公、プレイアブルキャラだけだと思う。
(一般市民ってちゃんと避難できてたっけ?)

すごく話は飛躍するけど、今、みんなが何とかプレイアブルキャラになろうと必死で努力させられている気がする。焦らされて、それでゾンビになってたりもする。

最初の質問、「例えば、バイオハザードのゲームの世界に突如投げ込まれたとして、ギリギリの精神状態と体力で生き残るのと、さっさと噛まれてゾンビになるのと、どちらがより"良い"のだろうか」。
ゲームとして・人間としての理屈としては、何としてでも生き残るべきだろう。だが、警察官でもSTARSでもないモブが生き残る術なんてあるのだろうか。ここで生き残る術があるとするならば、それはプレイアブルキャラになることしかない。要するにモブではなく"主人公"になる、ということだ。

ある人が言う、ユーチューバーが、啓蒙者が、「主人公になれ」と。

それは本当にみんなができることなのか?
ゲームの話だから飛躍しすぎてはいるけど、でも本当にモブではない何かになる必要はあるのだろうか、この現実に生きている私たちも。

(まぁ、自分自身の物語の主人公になれ、ということで、この世界の物語ではないよね、ということは頭に置いておくべきなのだと思うけど。
それにしても、何だかわからないときもある。その物語は本当にあなたの物語か?)

現代は病んでる。
現実も違う意味でバイオハザードに侵されていると何となく思う。
巧く文章にできていないけど、そんなことをぼんやりと考えているゾンビです。

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