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監獄の中の<自由>

一昨年の四月ぐらいに、ぼくは処方薬のオーバードーズがやめられなくて精神科に入院した。最初はコロナの感染対策という名目で閉鎖病棟に隔離された。最初の一日はスマートフォンを取り上げられるだけでなく、本までも取り上げられてしまったので本当にやることがなかった。ただ時計を見つめて時が過ぎ去るのを待つのみだった。唯一の楽しみは朝昼晩の食事でその時の飯は本当に美味く感じた。ぼくが初日に言われたのは、制限が厳しいのは今だけで、先生が安全だと判断すればもっと自由になりますからねというセリフだった。自由?この監視カメラとマイク付きで、トイレにドアもついていない外から分厚い扉に鍵をかけられた狭い牢獄に何の自由があるっていうんだ?そりゃ本が読めるようになればいくらかは暇つぶしの手段が増えるのだから楽しみは増えるだろうが、それだからといってぼくが自由になるわけではない。むしろその本を読めるという楽しみを奪われないために自己の行動に自らの意志で制限をかけるようになってしまった。それのどこに自由があるというのだろう。閉鎖病棟を出れば、デイルーム(漫画や卓上ゲームが置いてあって、みんながテレビを見ている場所だ)に自由に行き来できるようになるからもっとじゆうになりますよ。そういう風に看護師に言われた。たしかに唯一の楽しみが本と食事だけだった時よりはましになるだろうが、だからといって僕が自由になるわけではない。相変わらず外出はできないし、患者が逃げ出さないように病棟には二重のドアにカギがかけられている。売店も自動販売機もない。おやつは週に二回7つまでの制限下で注文用紙を書いて受け取ることになっている。それに洗濯など自分でやらなければならないことも増えた。ここに何の自由があるっていうんだろう。監獄の中の<自由>、それは人間を自由意志による自己検閲へと導くささやきなのである。

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