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あの日夢に見た銀河鉄道は僕を迎えには来なかったけど

自動思考の霧が晴れた。そう文章にしたら昔のことを思い出した。

初めて障害者雇用で働いたとき


僕はずっと緊張してきた。
そのことに気がついたのは、ある薬を飲んだときだった。
20代の後半に初めて障害者雇用で働いとき、半年で雇止めを宣告された。
僕はその会社へ勤める前に就労移行支援という、障害のある人が働くための訓練などをする事業所に通った。そこでは優等生だった。数字上の評価は高かった。だからやれると思っていた。

しかし働いてみると業務もコミュニケーションもうまく行かず、上司には明らかに嫌われ、そして萎縮していった。僕は「就労移行の優等生」だった。そして次の契約はないよという宣告を受けて大きく体調を崩し、服薬を調整することになった。
その時に処方された薬の中に「緊張を解く薬」があった。それを飲んで世界が変わった。

例えば人と話すことや、新しいお店に入ることに怖さがなくなった。もちろん多少はあるが、「一言でも言い間違えたら僕は終わりだ」といったような恐怖感は消えていた。
そこで初めて「僕は緊張していた」ということに気づいた。これまではカミソリの森を歩いているようだった。

会社との契約は1年だったので、残り半年は所属できた。業務は雑用ばかりになったけど、僕はその半年を働きながらの体調安定法を見つけるために使うことにした。緊張が解けた状態で色々試したいと思ったからだ。

緊張が解けて

仕事でもいろいろ試しながら過ごしていったが、私生活で初めて一人で旅行に行ったことを強く思い出す。それまで僕は一人ではチェーン店にしか入れなかった。それも食券制でないと不安だった。店員を呼ぶことすらできなかったからだ。

でも緊張が解けて意欲が出てきて、初めて一人で飛行機に乗って泊まりで旅行に出かけた。すべてが冒険だった。そのときに沖縄を縦断するバスの中で聴いた歌を今も覚えている。

あの日夢に見た 銀河鉄道は 僕を迎えには 来なかったけど

そんな歌だった。僕もずっと待っていた。銀河鉄道を。
いつかどこかへ連れて行ってくれる、夢の列車を。

いつかもどこかも待ってるだけじゃたどり着けない。
緊張が解けた開放感とともにそのことも強烈に認識した。
何かにすがるんじゃなくて、自分でたどり着くものだ。
嬉しいのと、もう遅いかもしれないという気持ちで何度も泣いた。

それにその景色は自力ではなかった。薬に頼って見ていたものだった。
薬は副作用も強くて、結局は処方をやめた。
それとともに緊張も戻ってきた。そして冒険は終わった。

自力で

また一から始めた。もう一度就労移行へ通い、次に就職した会社で9年働いている。その中で体調も安定させて、自己効力感も高めることもできた。そうやって次へ進む用意を整えた。

薬が見せてくれた景色だとしても、おかげでイメージはできた。
自分が緊張をしていることは自覚した。緊張が解けた世界も覚えている。
目指す地点はわかった。時間をかけて準備も整えた。
そしてようやく最近スキーマに手を付け、自動思考の霧を晴らすことができた。緊張の根幹となるものが一つ消えた。

蜘蛛の糸のようにか細くても、道が見えたから進むことができた。
それはあの薬のおかげでもある。ありがとうという気持ちだ。

銀河鉄道が来なくても


あのとき聴いた歌はこう続く。

あの日夢に見た 銀河鉄道は 僕を迎えには 来なかったけど
いつか僕は飛べる 心の空を 僕は飛べる 何処まででも

霧は晴れ、カミソリの森は消えた。
僕は心の空を少し自由に動くことができるようになった。
時間はかかったけど、今度は自力でたどり着いた。

薬がいい悪いでもないし、元の職場がいい悪いでもない。そのおかげで見れた景色がある。
無駄な経験はなくて、経験を無駄にするかは自分次第だと思う。
今回解消したのは一部にすぎない。次も結果が出るまで紆余曲折するだろう。それでいい。銀河鉄道が来なくても、これからも一歩ずつ進んでいく。

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