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身の程知らずパート2

現在働いている会社から、僕がフリーになった後も契約したいと話をもらったとき、またスキーマが刺激されてしまった。
その結果、相手の提案より安い金額を提示しそうになったので、冷静になるためにもこの記事を書いている。


仕事の記事では多少フェイクを入れています。特定を避けるためで、意味は変わらないように書きますので、ご承知おきいただければ幸いです。

会社からの提案

キーワードは前回と同じ「身分不相応」だ。今回は話を持ち掛けられた時「自分はこんな契約してもらえる価値がない」と自動思考が浮かんだので、そのことを書いていく。

僕は障害福祉の会社で自社サイトに載せるコラム記事を書いている。上司のほかは僕一人しかいない部署なので、自分で書くだけでなく外部ライターを雇って書いてもらっている。

その外部ライター執筆分を、僕が辞めてフリーになった後に、僕に書いてもらいたいという話を上司から提案された。
執筆の本数と金額は未決定だが、どちらも外部ライターにお願いしていた分と同等を想定している、という内容だった。

その話を受けた時にとっさに「こんな契約していい訳がない」と感じた。「僕にそんな価値はない」と。そして「そんなにいりません」と言いそうになった。
相手の提示が身分不相応と感じたので、居心地が悪くなって低い地点まで下げたくなった。

契約内容の妥当性

ここでそもそも会社からの提案が妥当か見てみよう。でないと僕の感じたことがどのくらいずれているかの判断がつかない。

まず僕はライターを初めて9ヶ月しか経っていない。外部ライターと比べてライティングスキルは下だろう。しかし障害福祉という特殊な環境の記事を書く上では知識も経験もある。障害当事者であり、支援員もしていた。微妙な表現を書くことに適しているといえる。

その上外部ライターは複数だが、僕は一人なので会社にとっても管理やコミュニケーションの手間が省ける。
一人に任せるのはリスクかもしれないが、今の会社で9年働いていて欠勤は1日だけなので安定性もあるといえる。

以上のことから会社からの提案は妥当だと考えていいだろう。
しかしそんなことは関係なく、僕は反射的に「僕にそんな価値はない」と思ってしまった。
そして相手から何も言われていないのに、自分を安く示そうとしていた。

なぜそう思うのか?


なぜ自分を安く示そうとする?これから先こんなことでは生活ができない。生活できたとしても不当に安く扱われるだろう。
そしてそれが潜在的な僕の望みだ。

そんな望みがあるのか?

あるという前提で進めていこう。
僕は自分が選択した(しようとした)ことにはメリットがあると考えている。

生活できない、または不当に安く扱われることのメリットは?
それは「無能スキーマ」と「見捨てられスキーマ」が満たされること。
無能だからまともな契約がもらえず、まともな契約がもらえないようなやつは見捨てられる。そんな図式が見える。乱暴な理屈だが、僕のスキーマには沿っている。

だからそれに反するいい契約を提案された時に抵抗が生じた。冷静に考えたら妥当な内容だとしても。

幸い今回は契約する意思があるかの確認だけだったので、業務内容と金額もまだ「仮」という前提で伝えられた。
そのため僕も余計なことを言わずに済んだ。というか契約内容を明示される前から自分を安く提示したくなるって言うのがそもそもおかしいね。

最後に


書いていてだいぶ整理ができてきた。
やっぱり僕はまだスキーマの重力から逃れられていない。
こんなことで独立できるのか?やめておいた方がいいかもしれない。そう思うのもスキーマの掌。このアラートは無視して進もう。

ここで止まっていたら一生解消しないだろう。僕は本に書かれているような「ヘルシーな大人」になりたいわけじゃない。スキーマに支配されていないそのままの自分が、この社会に通用するのか確かめたい。
たとえそれが失敗に終わっても、死んだふりを続けるような賢い選択はもういらないから。

僕はきっと身の程知らずで、蝋で固めた羽根をたよりに太陽に向かって飛んでいるようなものだろう。
理想の場所へ辿り着くか、それなりの地面に着地するか、真っ逆さまに落ちていくか、今はわからない。

それでもこのまま生きるより、納得して僕は死にたい。

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