見出し画像

スキーマから離れるとき(仕事編)

僕はトラブルがあると仕事がうまくいく事が多かった。逆に言うと通常時はうまく力を発揮できていなかった。
会社勤めだとそれでもいいが、フリーでやっていくにはその凸凹は致命的になるため、何とか解消したい。

そもそもなぜトラブルがあるとうまくいくのか?それを考えていくとまたしてもスキーマが顔をのぞかせてきた。

僕のスキーマは見捨てられ>無能>完璧主義≒恥だ。
無能以下のスキーマはダイレクトに仕事に影響する。例えば仕事でミスをしたら「完璧でないなんて恥だ」「無能と思われる」とスキーマが刺激されて、おおもとの「こんな自分は見捨てられる」につながってくる。

だから僕はミスを異常に恐れる。同僚と意見が違うことも、チャレンジすることも恐れる。そういった様々なことに気が取られて、やるべき業務に集中できなかったり、指摘できないということが起きる。そんな状態だからどこかでミスをして、やっぱり自分は無能なんだ。とスキーマを強化することが多かった。

といってもなんだかんだ仕事はこなしてきた。ときにはスキーマの影響から離れて仕事ができるときもあった。それはトラブルがあったとき。

なぜなのか。それはトラブルがあったときはスキーマが刺激されないから。
トラブルは緊急事態なので、比較的ミスしてもよくて、間違っても恥ずかしくないて、失敗に終わっても無能とみなされない状態と言える。だからスキーマの影響を受けずのびのびとした言動が可能になる。

トラブルといってもその日だけの現象もあれば、感染症の拡大で業務が大きく変わるという中長期的な場合にも当てはまる。
これが仕事をこなせてきた理由だろう。僕はトラブルという煙幕の中で、どさくさに紛れて能力を発揮できるようになる。

思い返すと就職前もイベント系のバイトが一番感触が良かった。イベントはトラブルがつきものだから、多少のミスは許される雰囲気があった。

トラブルがあり、スキーマから解放されることで仕事のパフォーマンスが上がり、そのことで自己効力感が高まる。
しかし通常に戻るとまたスキーマに左右されてパフォーマンスが下がり無能感を強める、そしてまたどこかでトラブルがあり…。きっとそういう循環だったのだろう。自転車操業ともいえる。

ここで大切なのは「(一時的にせよ)なぜスキーマが解消されたのか」であり、それは「失敗してもいい」と思えたということだ。決してトラブルがあってよかったということではない。そこを間違えないようにしないとただトラブルを求めることになる。

今後の目標は「自分で失敗してもいいと思える状態を作る」ことにしよう。

これは「心理的安全性」とも似ている。もともとは仕事のチームや部署に使われる言葉で、「どんな発言をしてもいい」「失敗をしてもいい」という雰囲気を作ることでその集団の心理に好影響がでて、仕事のパフォーマンスも向上するという概念だ。

そりゃだれだって「失敗」や「恥」は嫌だし、ちょっとしたことも許容されない環境だと心理にもパフォーマンスにも悪影響が出るよね。そういった職場環境が多いから、心理的安全性なんて概念もできるのだろう。

僕個人の状態とも似ている点があるので、ヒントはたくさん埋まっていそうだ。心理的安全性を分解して個人に適用する。それを「失敗してもいいと思える状態を作る」一歩としよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?