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仕事に守られてきた

「こんなこと恥だ」と感じることを言葉にしてみて、傾向がわかってきた。そこから原因を探っていくと、これまで僕は仕事に守られてきたということにも気づいた。
そしてこれはきっと好転反応だろうと前向きに捉えている。

書き出しはこんな形で行った。認知行動療法のカラム法を参考にしている。きっかけ、恥(自動思考)、他の視点、それに感情の変化を記録していった。

2日でこれが4枚になった。大漁だ。その中でもこれは見せてもいいシート。固有名詞が出てくるものやエロいものは別に記録している。

書いてみて共通する自動思考は「こんなんじゃだめだ」というもの。理由は何だってよさそうだ、自炊ができないでも今日ゲームしかしていないでも。

僕は仮説で「欠陥/恥スキーマ」つまり「オレには何かが欠けていて、それは恥ずべきものだ」という意識が先にあり、当てはまりそうな出来事を探している。としたが合っていたようだ。

内容としても0か100思考が強く出ている。「何もしていない」と断じることが多い。
そして他の視点を考えることで、かなり感情は落ち着いている。なんだけど、引っかかることがある。「なぜこんなわかりやすいものをまた悩んでいるのか」である。

ここまで0か100になることは珍しい。それに気づけないことも。過信するわけではないが、僕は認知行動療法などを以前から行っていてある程度身についていると思っている。
最初は「今になってこんなことで悩むなんてダメなやつだ」とも感じたが、違和感が勝ったのでもっと考えてみた。そうして「仕事に守られていた」ことに気がついた。

どういうことだろう。自炊を例に取ろう。料理をするつもりでできなかったら多少落ち込むだろう、そこはいい。最近はそれに加えて「こんなんじゃダメだ=恥」という追い打ちをかけている。そこがポイントだ。

何でこのままじゃダメなんだ?と考えていくと「フリーになるのに」が枕詞にあると感じた。そこがこれまでとの違い。
これまでは「仕事」が基準になっていた。ストッパーと言ってもいい(この場合の仕事は勤めている会社のという意味)。
また自炊を例にしてみる。自炊ができなかった時、多少ヘコんだとしても「仕事が忙しかったから」「体力を温存できて仕事に力を使える」という理由が浮かんできて、気分の下げ止まりができていた。

そのストッパーがなくなって、自分で何でも判断しなくてはいけなくなった。そして自分の基準がないからとにかく「何でもできなくてはいけない」となっている。これは「自分には欠陥がある」という意識の裏返しだろう。

これまでは仕事を基準に考えていればよかった。勤めている会社の理念やルール、それに部署での役割、振られるタスクなど誰かが決めてくれた基準だ。
それは制限でありセーフティネットでもあった。そんな蜘蛛の巣が取っ払われた。真っ逆さまに落ちていくのだろうか?怖さとともにワクワクもしている。それを望んだのは僕だから。

そうだね、まずは誰かや何かの基準で生きていたくない、という思いがあったんだ。それが叶った。あとはどうもがいていくかだ。

いい点もある。今回恥を書き出してみてもレベルが低いと感じた。何ていうか、壁がなくなって対象範囲は広がったが、同時に一つ一つは薄くなっているなと。
自炊にしても回数は減ったがカレーを作って3食分にしたりと工夫している。もっと言えばゆで卵をつけたり、濃くなったら牛乳入れて温めてマイルドにするなどバリエーションもつけている。これを「何もしていない」とするには無理がある。書き出してみるとすぐ感情が落ち着いた。

範囲が広がったことで些細なきっかけにスキーマが発動しているので、一つ一つを解消するのはそれほど大変じゃない。しばらくは個別に向き合っていこう。自分と個別面談する期間だ。そこから基準も見えてくるだろう。

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