いい状態ってなに?
おそらく今日はいい状態だ。
これまで僕は一年かけて悪い状態を言葉にしてきた。躁、うつ、離人、早期不適応スキーマが発動するとき。
これらの悪影響が大きくて、まずはマイナスに対処することが優先だった。そして悪い状態については納得のいく言語化ができた。
そうしたら「じゃあいい状態って?」という疑問が湧いてきた。その答えがまだわからない。「おそらく」今日はいい状態だし、その「いい状態」の定義もまだ持ってない。
「いい状態」がわかれば、そこと現在を比較してやるべきことが見えてくる。はず。
これまでは例えマイナスがないときでも、どうしたらいい状態にもっていけるかわからなかった。そもそもいい状態がわからなかったから、目指すこともできなかったわけだ。
睡眠時間の確保とか一般的なこととはまた別の話ね。
悪い状態への対処で手一杯だったけど、雑草をかき分けているうちに少し視界がひらけてきた。今度は目指す場所を明確にしたい。
さて、今日は「おそらくいい状態」と感じているので、まずはそれを探っていこう。
「いい」と思った理由は「論理と感情のバランスが取れている」から。
どういうことか仕事で例えてみよう。うつのときは「早く連絡したほうがいい(論理)」とわかっていても「なんかやりたくない(感情)」という感情が強くて動けなくなる。離人でも見捨てられ不安でも似たような状態になる。
躁のときは「優先順位が低いタスク(論理)」だとわかっていても「楽しいから他のことを放ってもやりたい(感情)」と論理を無視して動いてしまう。
あとは連絡が返ってこないと無能スキーマが刺激されて必要以上に催促する、なんてこともある。年度末で忙しいなど返信がない理由はいくらでも考えられるのに、ミスをしたかもしれないという不安に支配された言動をしてしまう。
簡単に言うとこんな感じ。
対して今日は「気が重いけど、早めに手を打ったほうが後が楽だな」や「すぐ動きたいけど、次の会議で流れ確認したほうがスムーズだから一旦やめておこう」など論理と感情のバランスが取れている判断ができた。
それに今日は午後休で定期通院なので、待ち時間にこの文章を考えている。テンション上がったり、思い悩んでいるわけでもない。「時間が空くからゆっくり考えよう」くらいの感覚だ。
とここまで書いて普通のことのようにも感じた。論理と感情のバランスが取れているなんて。
でもその普通が僕にはとても遠いものなんだなということもしみじみ感じる。そして大事なのは僕にとってのいい状態を言葉にすること。普通になりたいとかではなく。
いい状態なのか普通なのか、最後ちょっとわからなくなった。まだ整理できてないな。まずは「論理と感情のバランスが取れている状態」を掘り下げていこう。
なぜその状態を「いい」と思うのか。そしてどういった条件でその状態に至るのか、あたりかな。考えていこう。いい状態の再現性を手に入れるために。
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