気分と実際の落差:暴露療法的な試み
僕は気分と現実の間にギャップがあって、それが生きづらさにつながっている。
そう仮定して、仕事の前後の気分と実際にこなした業務を書き出す試みを行った。
具体的には下の図を用いて日々記録をしていった。
仕事前の気分、実際行った業務、仕事後の気分を書いていった。月曜日は仕事前は「やだな」と感じていても、業務はこなして、仕事後にはテンション上がっている。なるほど。これを1週間続けるとこうなった。
びっしり埋まった。仕事前は「(何かあったら)どうしよう」とパニックになっている時もあるが、業務はしっかりこなしている。仕事後にテンション上がったのは月曜だけで、あとはほぼ「やる気なかった」と書いている。
これまで僕は「気分」が全てだった。どれだけ仕事をこなしていても「何かあったらどうしよう」と「やる気がなかった」という前後の気分だけで自分を評価していた。やったことを無視して、自分はダメなやつだと。
今回はうつ明けで基本ローテンションだったが、業務は十分やっている。記録することでそれがハッキリした。さらにここに先々週行った、朝の活動の記録を見てみよう。
すごいな。朝の支度から運動までやっている。
これは先々週の分だが、先週もほぼ同じことができている。仕事前も、仕事中もやることやってる。
僕は気分と現実の間に大きな落差がある。そして気分優位で生きてきた。どれだけ行動を積み重ねても、気分一つで崩れてしまう、賽の河原のような状態だった。自分が子どもで、そして鬼でもあった。
できてることがあるのに、なぜ恐怖が消えない?
おそらくカラクリを考えてみる。
暴露療法はそもそもパニック障害の人に行われることが多い。今回は電車恐怖を例にして解いていく。
ある日通勤電車で倒れた人が、それ以来電車に乗るとパニックに陥るようになった。原因は電車ではない。その前から過労や人間関係で99のストレスがかかっていて、最後のきっかけが電車内だっただけ。
しかし「電車で倒れた」という記憶から、過労や人間関係が解消されても電車恐怖は残ることになる。大元の原因は除去されているのに、場面への恐怖だけが心にこびりつく。
僕もそれと同じ状態だろう。この10年仕事ができなかった日はない。あったとして、それは他の人が病気や怪我で休むのと同じような確率だ。それは頭でわかってる。
それでも躁やうつの激しかった時の恐怖が頭をよぎり、黒い霧として心を覆ってしまう。まだ払拭できない。
だから記録を続けようと思う。電車恐怖もそう、まずは駅に行き、ホームに降りて、各駅停車に乗る。そうやって一つずつ確かめていく。足元が崩れないか。そしていずれ、遠くにも行けるようになる。
同じように僕もこの暴露療法を続けて、足元を確かめよう。
電車恐怖の治療では、誰かと一緒に乗車することもある。僕はひとりだから、自分と二人三脚のつもりで歩いていく。
僕にはもっとやりたいことがある。もう恐怖に恐怖している暇はない。
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