自動思考の黒い霧
スキーマに潜ることで、自動思考に左右されなくなってきた。
そのことを実感する出来事が今日仕事であったので記録しておく。
僕は成果を上げるより、失敗したくない。
それは迷惑をかけたくないからと昨日書いたが、他にもたくさん理由があるなと思った。それにはスキーマが大きく関わってくる。
ビデオ会議で「画面共有」というものがある。離れた場所にいる人のパソコン画面を、参加している全員の画面にそのまま映しだす機能で、静止画ではなく操作している動きもリアルタイムで反映される。僕はこの画面共有が嫌いだった。
それは手元が見られるから。足元を見られるという慣用句があるが、僕は手元を見られるのがすごくいやだ。この場合の手元とは「作業している過程」という意味になる。僕は完成品ならある程度自身を持てるようになった。でも過程を見られることが非常に怖い。
それは過程にはほぼ必ずミスが起こるから。よほどなれているものでない限り、何か作業をしていればちょっとした間違えや取り違えが起こる。
「途中にミスがあっても完成すればいいじゃん。」と思うかもしれないが、僕にとっては恐怖になっている。
なぜなのか探ってみよう。まず自動思考として「手元を見られたら困る」が浮かぶ、そこからスキーマを導き出すとこうなる。
「手元を見られたら困る」→「きっと上手くできない」→「無能がバレる」→「バレたら見捨てられる」
というようになる。いつもどおり無能から見捨てられ不安につながっている。このスキーマがあるために、手元を見られる場面が来るとパニックになって仕事も失敗し、またスキーマを強化する結果になることが多い。
今日もビデオ会議で新しい業務を上司から教わっていた。手元を見られるのもお互い初めての業務であればまだ平気だが、今回は上司が行っていた業務を僕が教わるという構図だった。そして一通り説明を受けたあとに画面共有しながら実際に僕がやってみることになった。
スキーマが発動する条件はそろった。いつもならこの絵のように自動思考の黒い霧によって思考が覆い隠されるところだが、今日は違った。
一瞬「やだな」という気持ちは浮かんだが、それよりも上司の目がある中で自分で操作を行いながら「ここはミスしやすいから気をつけよう」「これのテンプレ作っておけば次から楽だな」など、一人で行っているとき同じように、目の前の業務に集中しながら考えることができた。
「人に手元を見られているのに、まともに思考が働いている」。それが自然だったので、いつもと違うことに遅れて気がついた。それと同時に僕は日常的にスキーマと自動思考によって汚染されていることも再認識した。
その汚染は回避になって現れていた。これまで失敗しそうな業務や、自分が過程を見せる業務は意識的にも無意識的にも避けていた。立ち回りは器用なので、なんとなく回避して、なんとなく失敗しないまま過ごしていた。自ら失敗するかもしれないものに飛び込む人を馬鹿にしながら。そしてそういった人が成功を掴むのを悔しさや諦め、自己嫌悪とともに眺めながら。
器用で失敗しない人がいることも悪いことではない。それは安定感となり、他の人がチャレンジしやすい状況にもなるだろう。なんて御託はいくらでも並べられる。
僕はこのままでは嫌だ。
結局はそれが本心で、じゃあ何を目指すのかを考えていきたい。これまでの取り組みの結果自動思考の霧が晴れて、スキーマにとらわれない思考ができるようになってきた。自力でたどり着いたことで自信もついてきた。掴みたいものを形にしてもいい頃だろう。
思えばこれまでの進路はずっと何かの回避だった。これが嫌だからこっちへ進む。あれは難しいから入れそうな方を受ける。賢い選択はもういいかな。
この会社に残るにしても出ていくにしても、回避するのではなく道の真ん中を進んでいきたい。
追記:自分の絵を文章に使うなんてのも考えれなかった。下手な自覚はあるけど、このテーマでは画像検索するより自分で書いた方が伝わるなと思って載せている。
これだけでも僕にとっては進歩なんです。
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