見出し画像

夢日記 死後の世界

 何も無い白い空間に、何故かいる。夢を見ているのだという自覚がある。ここまでシンプルな空間を夢に見ることは珍しい。夢は大抵、街中や海辺など景色が作られている。ここからどうなるのだろうと暫く突っ立っていると、どこからか声がした。「貴方は死にました。」なるほど。今回の趣向がなんとなく分かった。

「ここは死後の世界です。風景や登場人物はすべて貴方の思うままになります。飛ぼうと思えば空だって飛べますし、100キロのダンベルを持とうと思えばいくらでも持てます。」

 相変わらず何も無い空間で声がするだけだ。試しに声の主を想像してみる。若い喪服を着た男になった。自然と声も姿に準ずる。

「貴方は自由です。」

 だからもういいんですよ。そうか。もういいんだ。


 それから、たくさんの場所を想像して旅をした。太陽の光が差し込む海底で人魚とボードゲームをしたり、どこまでも無限に広がる雑貨屋をさ迷ったりした。自分が死んだと言われた時は戸惑ったが、慣れてしまえば素晴らしいシステムだ。生前の私は善い人間とはお世辞にも言えないだろうに、どうやら天国に招いてもらったらしい。

「お楽しみ頂いているようですね。」

 若い喪服姿の男が不意に現れた。私は丁度我が家として想像した日本家屋の縁側でゆったりと池の錦鯉を見ていたところだった。男は私の隣に座り、一緒に鯉を眺めた。

「始めにこの世界では貴方は自由だと申しましたが、実は一つだけ制限がございます。」

 出した覚えのない湯呑みで茶を啜りながら、男は言った。
 男が言うには、この世界ではどんな想像でも実現させることができるが、生者の世界にあるものは再現出来ないということだった。つまり、私がこうして死んでいる間にも生きている人や実在する建物はどこか違和感を感じる程度にしか再現出来ないそうだ。そういえば、スカイツリーのてっぺんから街を見下ろそうとしたときはスカイツリーに限りなく似た別の建物という認識だったし、好きな俳優に会おうとしても全くの別人が出てきてしまった。まあ、ここは死後の世界なんだから生者の世界のものが干渉するのは無理だろう。

「ご家族や友人の方々とお会いしたいでしょうに、その望みを叶えられず申し訳ありません。」

 男の謝罪に対して抱いたのは、違和感だった。
 私は今の今まで生前関わってくれた人たちのことを少しも思い出さずにこの世界を謳歌していたのに、なぜそのようなことを言うのだろう。まるで、忘れていたことをわざわざ思い出させるために現れたようじゃないか。

 ふと気が付くと縁側も庭も池の錦鯉も消え、生前住んでいた家にいた。いや、生前住んでいた家に限りなく近い家だ。居心地が悪い。飾ってある写真や家具の微妙な位置や散らかり方、全てに真似して再現しようとした努力を感じる。そんな強烈な違和感に包まれながら私は生前の家を強く思い出そうとしてなんとか再現しようとした。でも、できない。家族を再現しようとしても知らない人が親しげに出てくる。誰だ。
 男は愕然とする私に対して初めて微笑みかけてこう言った。

「改めまして地獄へようこそ。お待ち申し上げておりました。」

 私はこの知らない我が家と他人になった家族に想像を囚われてしまった。もう、どこへも行けない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?