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運動音痴がランニングをして変わったこと

私は鉄棒の逆上がりと、縄跳びの二重跳びと4段以上の跳び箱を跳ぶことが人生で一度もできたことがない。運動会の徒競走ではいつも一番最後にゴールしていた。

どう控えめに考えても運動音痴と言われる部類に入るだろう。体育の授業は苦痛以外の何物でもなく、圧倒的な運動に関する劣等感ゆえに自己肯定感が低く育ってきた。 

歳をとり社会人になってしまえば、運動以外のことが社会的な評価の対象となり、今となっては自己肯定感がそのころよりは高くなっているが。

でも小学校で運動ができるかどうかは周囲の評価に大きく関わることであるし、中高ではメージャー競技の部活で活躍できることは学校での立場をあげることに繋がりやすい。

小学校で運動ができることによって評価されたり、中学校や高校で運動部に所属して活躍したりすることは、周りの人とコミュニケーションを取る機会が増え、機会が増えることで学ぶチャンスが多くなり、そのスキルをあげることに大いに役立つ。

自分は周りより低い立場にいて、周りから軽く扱われて、対等なコミュニケーションを学ぶ機会がほとんど作られなかったこともありコミュニケーション弱者でもあった。

そんな自分であるが30歳を少し過ぎたある日なぜだかは忘れたが、急にランニングをしてみようかと思い立った。

辛かったら一回だけでいいかというくらいの気持ちで始めたのだが、初日に5キロくらいをそれほど苦労せずに走りきれてかなり驚いた。1キロ以上走った経験すらなかったので、5キロなんて夢のような距離に思えた。

その後は本格的なランニングシューズを買ってランニングを続けて20キロくらいなら心地よい疲れという感じで走ることができるようになった。

ランニングを始めた日から2年以内に、ハーフマラソン大会にいくつも出て、フルマラソンも走りきることができた。
二十代のころの自分に、30歳をすぎたらフルマラソンを一度も歩かずに走りきれるなんて言っても絶対に信じないと思う。

陸上競技を長くやっていた人に聞いてみると、私は筋肉量は少ないが、その分体重が少ないので体重が軽い方が有利なマラソンに向いているのではないかとのことだった。もちろんこれはマラソン愛好者レベルの話であって、マラソン競技者の方たちは筋肉量も多くて、体重も軽いそうである。

また私は運動経験が全くないので、膝関節など酷使していないのも、痛みなく走れてる要因ではないかとのことであった。
これらの真偽はどうであろうが、フルマラソンを走ったという事実は自分を変えることになった。

きっかけも忘れるほど軽い気持ちで始めたランニング。そもそも自分は新しいことを始めるのが苦手で、出来ることを確実にやっていきたい性格であった。

それが慎重で思慮深い行動であると考え、それが賢さだとさえ考えていた。
でも自分らしくなく、突然始めたランニングは短期間で自分にとって大きな驚きを経験できることとなった。

なんでもすぐにやってみて飽きっぽい人に対して、冷笑的であったがランニングの経験を踏まえて、なんでもとりあえず軽い気持ちでやってみることが大切だと気が付いた。

軽い気持ちで始めたnoteもまだこれで記事を書くのが3つ目ではあるが、スキがはじめて入った時は自分の考えが認められた気がして嬉しくて、もしはじめてなかったらこの喜びを味わうことはなかったんだと思った。

またコミュニケーション弱者であった自分であるがなんでもとりあえずやってみることで、コミュニケーションの機会が増えて、だいぶ過去の自分よりはマシになってきたことも良かった点である。

ランニングをして変わったこと。
なんでも軽い気持ちでいいからやってみる。
嫌だったらすぐやめてもいい。
自分に合うことだったら最初は軽い気持ちでも、どんどん重要なことになり、想像できなかった自分に出会えると分かった。

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