パン工場はベルトコンベアーとの戦いであった
大学のころ人間関係のトラブルで大学に行けなくなり、人間不信になりかけていたので人とあまり関わらないでいいようなバイトをしたくなった。
いろいろ検討した結果、パン工場で働くことにした。給料がいいので23時から始まり、5時に終わるという勤務体系にした。
しかしパン工場といっても、アンパンマンのパン工場のような牧歌的なところではない。
東京都内のある大手のコンビニに卸すサンドイッチを全て作っている、現代型サンドイッチ工場であった。
まさに大量生産、大量消費という現代社会を体現したような工場であった。
ベルトコンベアーにサンドイッチのパンが流れてくるのであるが、ひたすらそこに具材をのせるのである。ベルトコンベアーの先頭に四角いパンがセットされると、戦いが始まる。
マーガリンを塗る係、野菜をのせる係、ハムをのせる係、チーズをのせる係、パンをのせる係、最後に三角形に切る係。
これらの係の人たちがベルトコンベアーからどんどん流れてくるパンに流れ作業でそれぞれの、役割をこなしていくわけである。
もちろんスキルはそれぞれである。例えばハムをのせる係の人が不慣れで、間に合わなくなることがある。
そうなるとベルトコンベアーがストップする。
これは事件である。
場の空気が凍りつく。熟練工のおばちゃんからの視線が刺さる。
このパン工場では一日で決まった数のサンドイッチを作ればよく、早く終わったら早く帰れるのである。
早く帰れても、遅く帰っても給料は一緒なのでみんな必死である。
だから誰もがベルトコンベアーを止めたくない。ベルトコンベアーが流れているということは、帰宅時間がどんどん近づいている証拠なのである。
ベルトコンベアーがとまると、みんなでハム係のところに行き、ハムをのせきれなかったパンたちの上にハムを置いていく。
そしてまたベルトコンベアーは回り出す。
しばらくして誰もがそれぞれの作業に慣れて、いい感じでサンドイッチがベルトコンベアーの上を流れていくようになると、熟練工のおばちゃんが「あげるよ」と言う。
これは慣れないうちは恐怖の一言であった。「あげるよ」は「ベルトコンベアーの速度をあげるよ」という意味なのである。
確かにベルトコンベアーの速度をあげれば、作業は早く終わり、早く帰れる。
しかし、工場に入ったばかりの私は精一杯の速さで野菜をのせている。これ以上ベルトコンベアーの速度をあげられたらついていけないかもしれない…
しかもこの熟練工のおばちゃんは、どんどん流れてくるサンドイッチを三角形に切るというもっとも難しい作業をしているのである。
コンビニのきれいに並んだサンドイッチは、機械で切ってあると思う人もいるのではないだろうか?
あれは少なくとも20年前までは人が切っていたのである。しかも恐ろしいスピードで。
私が焦りながら野菜をひとつかみパンの上にのせている間に、熟練工のおばちゃんの手にかかれば、四角いサンドイッチが2つのきれいな三角形のサンドイッチになるのである。
そんな困難な作業をしているおばちゃんが「あげるよ」と言えば、たかだか野菜係という大したポジションにいない私が異を唱えることはできない。
ベルトコンベアーをいかに止めないかということを至上命題としつつ、真夜中の戦いは続いていくのである。
しばらく深夜の戦いを続けていたが、行けていなかった大学にもう一度通うことを決めて、バイトは辞めた。
この工場での思い出は私の意識にもうのぼらなくなっていた。
しかし最近ある大手コンビニに入り、サンドイッチを手に取り、ふとラベルを見てみた。
そこには会計用バーコードや使用している食材とともに、私が働いていた工場の名前が書いてあったのだ。
今でもあの工場がサンドイッチを作っている!
思わずレジに駆け込み、家に帰ってサンドイッチを食べてみた。すると、まるでベルトコンベアーが目の前に見えてくるかのように当時の思い出が蘇ってきたのである。
今でも熟練工のおばちゃんがサンドイッチを切ってくれていると信じて、最後の一口までありがたくいただいた。
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