虚構日記「アネモネの手紙」
計画的にレジ締め作業などを済ませ、退勤したのは22:11でした。
アルバイトを終えたわたしは駅に向かいました。大切なあなたに会うためです。
2人きりで飲むのはいつぶりでしょう。
話すべきこと、話したいこと、話してしまいたいことを両手いっぱいに抱えながら、先に改札前に到着してあなたを待ちました。
数十メートル先にあなたが見え、思わず微笑むわたし。手を振る。あなたも手を挙げて合図を送ってくる。
あなたと知り合ったのは1年半前くらいですね。
初めて話したとき、あなたの会話の“行間”に魅力を感じたことをおぼえています。
説明が少なく、洒脱で、それでも親しみやすい話しぶり。あなたの生む広い“行間”に、わたしが解釈を加える。その行為が好きだと思いました。
共通の趣味もあったから仲が良くなるのに時間はそうかからなかったのも記憶しています。
あなたは2歳年上だけど、わたしはあまりあなたに“先輩”みを感じません。
おっと弁解、決して悪口ではないんですよ。
あなたがわたしに向けるまなざしが「後輩の女の子として」なんてものではなく「ひとりの人間として」のものであるという確信があります。
それはとても嬉しいことです。
そのまなざしに、わたしは救われているのです。
駅からほど近い居酒屋に入り、ビールと漬物を注文しましたね。あなたは梅酒を注文しました。割り方はなんだったっけな。
近況を報告しあう。すぐに酔いが回り始める。
時々流れる沈黙。
1ヶ月前わたしはあなたにこう言いました。
覚えていますか。
「相性がいい関係のひとつとして沈黙が苦じゃないことが特徴にあがることってあるじゃないですか。わたし、思うんですけど、先輩との場合は沈黙も会話だと思っているんです。」
あなたは確かになと頷いてくれました。
そして今日も、心地よい沈黙でわたしたちは会話したのでした。
実際にも沢山のことを話しましたね。今まで黙っていたことも打ち明けました。あなたはあまりコロコロ表情が変わらないけれど、流石に驚いた顔を見せてくれましたね。
終電が近くなったので店を出ると、わたしは言いました。
「これでもう、先輩への隠し事は無くなりました。」
そっか、と呟くあなた。
だけどわたしは知っていました。あなたがこの言葉を信じてなどいないことを。
嘘が得意で八方美人、立ち回り上手なお調子者。
それがわたし。言葉に説得力などあるはずがない。
ただこれは想像ですが、あなたはわたしのこの救いのない涯てのなさを好んでいてくれているのではないですか。あなたにとってわたしの発言が正しいのか、嘘なのかというのはおそらくあまり大した問題ではない。平然と隠し事がなくなった、などと言えるわたしの軽薄さも含めて、きっと好きでいてくれている。傲慢ですね。でもそう思わずにはいられないのです。
わたしとあなたの関係を恋だとかのものさしではかるのはあまりにも勿体無い気がします。
大切、なんです。
燃え上がったりしないし、不変だというわけでもない。
ただ一瞬一瞬が大切で、会っている時も離れている時も沈黙を楽しめる。
わたしは本当にあなたのことが大切で、大好きで、大事だと思っています。
*
手元にあった何種類かのもののなかから赤いアネモネの描かれた便箋を選ぶ。花言葉を調べる。これじゃ今から書くこの手紙が変に誤解されるかもしれないなと苦笑いする。それでもいいか。
ラブレターのような、エッセイのような、判別のつかない珍妙な手紙を書いた。あいまいを美とする彼になら、まあ出しても問題はないだろう。
大切で、大好きで、大事な友人に手紙を出したくなったのだ。出すに至る理由はあったのだけれど、ここには書かない。
手紙を書き終えたらすぐに郵便局へ出向いた。
窓口で手紙を渡す。用が済んでなんだか居心地が悪くなりそそくさと外へ出た。
赤いアネモネの花言葉は「君を愛す」。
わたしからのはかりきれぬ愛は、切手一枚で届くだろうか?
帰り道、ふと気づく。今日の空は恐ろしいほど青い。星のよく見える夜になるかもしれない。
1日の終わりがちょっとだけ楽しみになる。
寄り道してから帰ろう。星を見ながらベランダで飲む用のあったかくして飲むお酒を買いに行こう。
路地裏をちょっとスキップしながらスーパーに向かう。今日はいい日だ。
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