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食育ってなんだっけ?

こんばんは。
のんびりと日常を書きとめる ひとみん です。

今日は食育の話を。

みなさんは「食育」って聞いて
何を想像しますか?


野菜を育てること?

動物の命の大切さ?

料理を教えること?

多分、あなたが想像したもの、
ぜんぶ正解だと思います。

食育は、食に関する適切な判断力を養い、生涯にわたって健全な食生活を実現することにより、国民の心身の健康の増進と豊かな人間形成に資することを旨として、行われなければならない。

食育基本法 第一章第二条より


一応法律もあるので定義はありますが
解釈は人それぞれ。

それでいいのではないでしょうか。

私は管理栄養士として働いています。
(現在は育休中)

今は「食育」というと
学校や保育園の栄養士さんの
イメージがあると思いますが、
まだ言葉になじみが無かったころ
行政がその言葉や概念を拡げる役割をメインで担っていました。

そんな「食育」を拡げる立場にいた私。

その頃は子どもが朝ごはんを食べなくなっている・・とか
家庭でコンビニ食しか食べたことのない子がいる・・みたいな
昭和の時代には信じられない!的なあおり文句で
とにかく子どもの食事をなんとかしなくてはという雰囲気でした。

家庭の食事に課題がある
でも直接介入することはできない
であれば教育として子どもに伝えていけばよいのでは?
ということで学校に栄養教諭が配置され
「食育」は「聞いたことのない言葉」
ではなくなったと思います。

法律ができてから10年以上が経ち、
どの地域でもある程度の成果は出たのではないでしょうか。

それでも雑誌ではダイエット特集やら
〇〇に効く食品の特集が組まれ、
テレビで紹介された食品がスーパーから消える
という事態も日常的に起こっていました。

今は減ってきた気がしますが、
今度はサプリメントなどで
健康被害を受けるケースが出てきましたね。

こういう「食べるもの」に関する話題は
ほぼ毎日どこかで目にすることだと思います。

子どもは「食べること」の教育を
受けられるようになったけど、
大人はその機会がないまま
きているということでしょうか。


「家庭の食事に課題がある」って
なんか嫌ですよね。


「こっちは必死に働いて
子どもに食べさせてるのに!」とか、
「そんなことまで口出しされたくない」って
聞こえてきそうです。

共働き世帯が増えてくるにつれ、
子どもの食事に警鐘がならされることも
増えてきました。

でも、「親は子どものことを考えていない」
からその食事なのでしょうか?

私はむしろ「親は子どものことを考えている」
からその食事になったんだと思います。

子育て全般に言えることかもしれませんが、
何を大切にするかは人によって違います。

とにかく無事に育てばいいという人も
しっかり教育したいという人も
スポーツはできた方がいいという人も
芸術的なセンスを身につけさせたいという人も
さまざまな考えがあって、
大切にしたいものが違うんだと思います。

その中で、
食にかける想いが違うのは当たり前ですよね。


だから
「自分が大切にしたいものを
子どもにも伝えていく」のが
いいんじゃないかと。

家庭によって
食事にかける想いはバラバラだけど、
親が大切にしたいことを共有できる時間
を持てるといいなあって思うのです。


私は、子どもたちには
「食べること」に関して自立してほしい。

これは母が楽をしたいから
という視点も入っていますが(笑)


将来、巣立っていく時に
身に着けてほしい能力の一つ。

だから日々の料理や買い物を一緒にしてほしい。

普段親がどんな視点で物を買っているのか
どんな気持ちで料理しているのか
子どもに伝えていきたい。

上手にできなくていい。
完璧に教えようとしなくていい。

ただ「楽しい」という時間を
共有するだけでいいと思うのです。

子どもは楽しいことをしたがります。
嫌なことを進んでする子はいませんよね。

大人だって同じ。

あなたが食事に関することを「嫌だ」と
思っているなら無理しなくていいと思うんです。

たとえ冷凍食品やコンビニの食品だらけの食事であっても。

でもそれを「ごめんね」の気持ちで子どもに出さないでください。

体は正直です。

「嫌だ」とか「毒だ」と思っていると、
そのように反応します。

だから食べるときは「食べたいもの」を食べる。


みんなで笑って「おいしいね!」って
言える環境が1番だと思います。

自分の食べたいものがわからなくなるくらい
アンテナが鈍るような無理はしない。

もちろん、時々そういうことがあるのは
仕方ないです。

子どもの食べたいものを
優先させることもあります。

でもいつまでも
自分のことを犠牲にして食事をしないでほしい。

もし罪悪感を持ちながら
今の食事をしている人がいたら、
お休みの日は自分の理想とする食事を
してみるというのはどうですか?

自分で作るのか
家族で作るのか
ちょっとお高いレストランに行くのか
その家庭によって、その日によっても違うと思います。


そういう
「時と場合」や「ハレとケ」
みたいなものも含めて、
食事だと思うんですよね。



私は技術や知識だけを
子どもに伝えたいわけじゃないです。

料理って調理することだけじゃないですよね。
食材を買うお金を用意して、
食材を選んで買って、調理して、
食べて、食器を片付けて・・・と
細分化するとかなりの工程が出てきます。

「料理が苦手」という人もいますが
この流れのどこが苦手なのか?
どこがなければ自分でもできるのか?を
考える必要があります。


調理の工程でも
切る作業が苦手なのか
焼く作業が苦手なのか
何を苦手とするかで対策が変わってきます。

ただ、自分が苦手とするかどうか、
どこが苦手なのかは
体験してみないとわかりません。

また、試行錯誤してみないと
ずっと嫌なことを我慢する・・
みたいなことになります。

そう考えると
「自分で食事を用意する」ということは
人生におけるスキルが高い気がしてきませんか?

すでに毎日できている人はすごい!ですし
できていなくても工夫している点がすごい!です。

食べない人はいないわけなので、
みんな何かしらの工夫をして
食事を用意していますよね。

だから自分に対しても「これはだめだ」
なんてジャッジをしなくて大丈夫。

ただ「おいしく、楽しく、食事をする」ために
自分は何ができるか?を考えてみたら
これまでとは違った方法が出てくるかもしれません。

料理が苦手でも、
いかに楽するかという視点で伝えてもいいし
国ごとの野菜の食べ方の違いを教えてもいい。

食べ物の原価について語ることが得意な方だっているでしょうし、
本に出てくる料理を再現するのが得意な方もいますよね。

親が楽しそうに話したら、子どもも興味を持ってくれると思います。


食べることは生きること



それを様々な視点で子どもに伝えていくのが
私の役目かなーと思ったりします。


長くなりましたが、読んでくれてありがとう。


あなたの「食べる」時間が
「おいしくって楽しい」時間になりますように。

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