「普通」について

こんばんは、みずた まりです。

本日のトピックは「普通」についてです。

私は今日書類申請にしに行ったのですが、役所の人に「普通はこの書類を提示するんですよね」って言われまして、ちょっとイラっと来て、ソウルジュエルが少し濁りましたね。

「普通は」とは???

お返しに「素人意見で大変恐縮ですが、あんまり普通は~や普通に~という言葉は使わない方がいいですよ。」って言い返したかったです。
令和ですわよ~~~!!!!!!!
言い返しませんでした。笑

自分の普通を人の普通と言いくるめないでほしい。日本という国のサービスは大変すばらしいので、役所から丁寧に案内される期待が自分にあったのかもしれない。だからこんなにも腹が立って、言葉がずっと一日中あたまの中に残っていたのかもしれない。

でも私は初めて申請しに行くし、そんな書類があったことは知らなかったです。「普通」は知っているかもしれませんが、私は知らなかったのです。

私が「普通」から外れているような気分になって、あまりいい気分ではないですね。

普通とは

でもこのことをきっかけに、「普通」は存在しないと思いました。

「普通」は内在化された社会規範の一つで、そんなものは人によって違うし、そもそもそんなのは存在しないとかんがえました。

そんなことを意識して配慮したい人になりたいですね。

連想

最後に、「普通」という言葉を聞いて、泥ノ田犬彦先生の『君と宇宙を歩くために』を思い出しました。

「人と同じように生活するのにさ、工夫が必要な人もいるんだよね。」というセリフは今でもとても印象的です。

なので、今日は「普通」は普通でないこと、自分の基準でしかないこと、そして、生活ができるように工夫する人もいるってことを覚えていきたいです。



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