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【第2部10章】戦乙女は、深淵を覗く (7/13)【禁呪】

【目次】

【試練】

「オリヴィネーアさま、王女殿下をお連れしました」

「ごくろうさま。ここから先は、我ら三人のみで執りおこなわなければ」

「心得ております。それでは……」

 アンナリーヤが連れてこられたのは、玉座の設えられた謁見の間ではなく、地下階の奥深くにあるエルヴィーナの研究室だった。

 鉄製の大扉のまえには、母たる女王と姉姫の二人がアンナリーヤを待っていた。近衛を務める戦乙女の姿が見えなくなるのを確認すると、エルヴィーナは閉ざされた入り口に手を這わせる。

「お母さま、それにエル姉さまも……いったいなにを? 自分には、これからなにをするのか全くわからないから……」

「我が娘、アンナ。あなたがつつがなく成人の儀を越える日、いまかいまかと待ちわびていました。母たる我とエルは、このときのために用意をしなければならなかった……」

 おそるおそる尋ねる妹姫に対して、オリヴィネーア女王の返答は理解のおよぶものではなかった。

 困惑の表情を隠せないアンナリーヤを後目に、姉姫は魔法<マギア>による施錠を解除する。鉄と石のこすれる音ともに、淀んだ空気が漏れだしてくる。

「母上、それにアンナも。はやく部屋のなかへ。すでに準備は整っているので」

 オリヴィネーア女王はうなずきながらエルヴィーナの言葉に従い、妹姫は戸惑いつつも母の背に続く。二人のあとに室内へ入った姉姫は、扉を厳重に閉じる。

「ごほ……っ、げほっ」

 光が射しこまず暗闇の満ちた部屋は、ほこりとかびの臭いが満ち満ちている。アンナリーヤは、思わずせきこむ。

 背後でエルヴィーナが短い詠唱を唱えると、魔法<マギア>の灯りがともる。そこは、円形の部屋だった。

 床には、妹姫ではとうてい理解がおよばない複雑怪奇な魔法陣。左右の壁の本棚には、ぎっしりと魔導書が詰めこまれ、いずれの本も禍々しい気配を帯びている。

 なによりアンナリーヤの意識を引いたのは、部屋の最奥だった。そこには自分たちが入ってきたのとは異なる、厳めしい岩製の大扉が鎮座し、閉ざされている。

「我が娘、アンナ。あれは、遠い過去に大罪を犯した戦乙女を、この世の外へと追放した咎人の門……近寄らぬようにしなければ」

「オリヴィネーアお母さま、それにエル姉さまも……この部屋はいったいなんなのです!? 自分には、こんな場所があること自体、信じられないから……」

 妹姫の胸中を見透かしたように声をかけた母たる女王に対して、アンナリーヤはさらなる疑問をまくしたてる。

「アンナ。この部屋は、ヴァルキュリアの一族の禁呪を納めた部屋。わたシが母上にお願いして、研究室として使わせてもらっていたので」

「エル姉さま……そんな危険なものと、ここで……?」

「危険な知識は、貴重な叡智ともなり得ます。だからこそ歴代王女は、禁呪の数々を破棄せず、保管し続けた。娘たちの繁栄のためにも、これを活用せねば」

 顔の色が青ざめ、ふるえ声のアンナリーヤに対して、母たる女王と姉姫は左右から教え諭すよう語りかける。

「でも、でも! 禁呪というものは、封印しなければならいないほど危険だったから……そんなものを使ってまで、オリヴィネーアお母さまとエル姉さまはいったいなにを!?」

「まだ若いから、アンナは気づいていなかったかもしれないけれど。戦乙女の娘たちは、代を重ねるごとに生まれる数が減っていることを知っているので?」

 アンナリーヤは、姉姫のことを唖然として見つめる。すぐ横で、オリヴィネーア女王は深くうなずきつつ、その言葉を引き継ぐ。

「新しく産まれる娘の数は、そう遠くない未来に一族の存亡に関わるほど少なくなるでしょう……そうなるまえに我々の代で、なにかしら手を打たなければ」

 どこか虚ろな視線で遠くを見つめるオリヴィネーア女王の姿に、アンナリーヤはいやな予感を覚える。母と姉は、なにか危ういことを考えている。

「それでも……そうだ! 先々代の始めたドヴェルグの婿入り制度は? 自分は気づけなかったけれど、姉妹の数を増やすはずだから!!」

「我が娘、アンナ……それでも、娘の数の減少にはとうてい追いついていません。それに、醜い土小人との混血を進めるとあっては……」

 沈痛な面持ちで首を振る母たる女王の姿を見て、アンナリーヤはもはや自分の意を差し挟む余地はないと悟る。

 妹姫は助けを求めるようにエルヴィーナのほうをあおぎ見る。かたわらで微笑む姉姫の顔は、このうえなく邪悪に感じられた。

 呆然とするアンナリーヤを意に介することなく、母たる女王は衣擦れの音を立てながら、するりと青いドレスを脱いで諸肌を露わにする。

 ほどよく脂がのりながら、しかし鍛錬を怠ることなく引き締められた白い熟肌がさらけ出される。へその下、子宮のあたりに小さな魔法陣のような印が刻まれている。

「これが、戦乙女たちの母たる証です。女王となり、娘を産むためには、この呪紋を身に宿さなければ……いままでは一子相伝で、『継承』してきましたが」

「アンナ。母上の命でわたシが、呪紋を『継承』ではなく『複写』するための方法を研究していたの。母となる者が増えれば、産まれる娘の数も増える道理なので」

「我が娘、エルとアンナは二人そろって戦乙女の女王の位につき、娘を産むのです。我もまた、太母の位となって娘を産み続けなければ」

 母と姉は、優しく諭すように妹姫へ語りかける。アンナリーヤは二人の声を聞くうちに、くらくらと酩酊したような気分になっていく。

「エル姉さまの研究は……完成したの?」

「ええ、当然。アンナの成人に、遅れるわけにはいかなかったので」

 震える声をしぼり出した妹姫の質問に、エルヴィーナは満面の笑みで首をかしげて言い切ってみせる。ますます胸中で増していく不安の理由を、アンナリーヤは言葉で説明できない。

「さあ、必要なことは伝え終えました。そろそろ、『複写』の儀式を執りおこなわなければ」

「そのとおりにございます、母上……アンナも、何をためらうのです。戦乙女たるもの、魔銀<ミスリル>のごとき挑戦者の精神を持ちあわせているはずなので」

 姉姫エルヴィーナは、母たる女王の言に従って自分のスミレ色のドレスも脱ぎ捨てる。妹姫も、母と姉の無言の圧力に促されるように震える指で脱衣する。

 裸体となった母たる女王と姉妹姫は、魔法陣の所定の位置に移動する。

 正三角形の頂点、咎人の門を背負うようにエルヴィーナ、姉姫から見て左側にオリヴィネーア女王、右側にアンナリーヤが立つ。

「──魔空に生まれし闇夜の星久。溺愛の指を這わせ、不浄を映し出す。太古に眠る果ての光。我が身を包む、闇にありし平行の空。湛然として終に音無し影を落とす道、我は因を律する者。魂の終焉を迎え、永劫の闇へ還し、偽りのともがらを狂艶の贄へと捧げん」

 エルヴィーナが、禍々しく呪文を詠唱する。部屋のなかに満ちる淀んだ空気が、粘り気を増し、いっそう重くなっていく。頭上に灯る魔法<マギア>の光が激しく明滅する。

(オリヴィネーアお母さま……ッ!)

 アンナリーヤは本能に促されるまま警句を発しようとするも、舌が上手く動かない。妹姫の言葉はついに、のどの奥から出てくることはなかった。

【深淵】

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