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【第2部26章】ある導子学者たちの対話 (5/16)【均質】

【目次】

【披露】

「なんとなればすなわち、こうして数少ない導子理論の担い手同士が、ふたたび顔をあわせたわけだ。存分にディスカッションしようではないかナ、モーリッツくん!」

『ふん、ぼくが貴方と話すことはなにもない……ゼミナールなど、お気に入りの孫娘とでもやっていればいいだろう!』

 白衣をはためかせながら、ドクター・ビッグバンは『塔』の通路を駆ける。背後からはパワードスーツ甲冑兵が追跡しつつ、断続的に銃声を響かせる。それを、白い大柄な人型──『暫定解答<ハイポセシス>』が受け止める。

 脳、心臓、横隔膜……人間であれば急所になりうる正中線上のポイントを狙って、フルオート射撃が叩きこまれる。白い人型は、わずかに身が揺らぐも、明確なダメージを負っている様子は見せない。

「なんとなればすなわち、動力源である核熱球をのぞけば、『暫定解答<ハイポセシス>』は、均質な有機物で構成されている。言わば全身を使って、動き、考え、そして代謝しているのだ。臓器や血管、神経のようなものは、存在しないかナ。さらに……」

 かくしゃくとした老人は、足の動きを緩めることなく、視線をうえに向ける。天井には偏執狂といえるほどの短い感覚で無数の監視カメラが設置され、人間の眼球のようにドクター・ビッグバンの姿を追う。

「『暫定解答<ハイポセシス>』は、このワタシと周囲の状況を知覚し、その時々にあわせて最適な行動をとる。いわば、アミノ酸配列、分子構造レベルでプログラミングされたAIだ。見方によっては、複雑な反射にすぎないとも言えるが……反射と思考の違いとは、なにか。モーリッツくんは、どう思う?」

 白衣の老科学者は、護衛の有機物塊とともに交差路を直角に曲がる。重装兵たちが、そのあとに続く。

『待……ッ!』

「──……ッ!」

 館内放送として響きかけた制止の声は、舌打ちの音に変わる。視線の通らない曲がりかどに身を隠し、待ち伏せしていた『暫定解答<ハイポセシス>』が拳を振るう。

「ミュフハハハ! アサイラくん……キミには『イレギュラー』と言ったほうが通りがいいかナ? 彼のスパーリング相手をできる程度のパワーを、想定出力として確保している。そして……」

 人間型の有機物塊が野太い腕を振りまわし、追いかけっこを繰り広げていたパワードスーツ甲冑兵を、完膚なきまでに叩きのめす。その様子を、ドクター・ビッグバンは興味深げに眺める。

「ふうむ。モーリッツくんのけしかける兵士たち……恐ろしく統率がとれているが、中枢からの指示に対する反応は、やや遅い。連携と独立……ともすれば相反する、ふたつの要素をどうやって両立しているのかナ? 実に、興味深い!」

『黙れ、『ドクター』ッ! ぼくは、貴方とディスカッションなどするつもりはない、と言っているだろう!? 到底、いまさら無意味だ……!!』

 スピーカー越しに響く声を無視して、白衣の老科学者は『暫定解答<ハイポセシス>』と並び立ち、ふたたび走りはじめる。双眸にはめこまれた精密義眼が、興味深げに通路を見やる。

「なんとなればすなわち、さきほどから『塔』内部の様子に既視感を覚えていたが、これは旧セフィロト本社と構造が類似しているかナ? そういえば本社建造もキミの仕事だった、モーリッツくん」

『そうだ……セフィロト社自体のぼくとしては悪くない仕事をしたつもりだが、『ドクター』から見れば児戯同然だったことだろう……そもそも、あのプロジェクトを任されたのは、貴方が社長の延命措置にかかりきりだったからだ。要は、代打ちだ』

 館内放送から、苦虫を噛み潰したような声音が聞こえてくる。白衣の老科学者は、通路のかどを曲がりながら、小さく首を振る。

「卑屈になるのは止めたまえ、モーリッツくん。見事な仕事だったと、このワタシは記憶しているかナ。巨大すぎる構造物を小規模なブロックに分割し、各区画ごとに最低限の維持機能を持たせる。これにより、きわめて高い冗長性を実現していた……」

『ふん。ものは言いようだ。無駄が多い、とでも言いたいのだろう。だから、崩壊したんだ……とッ!』

「なんとなればすなわち、当時のこのワタシであれば中央に機能を集約させるモデルを採用していたかナ。そして、もしそうだったならば、もっと早く本社は崩壊していたはずだ」

 静かな怒気をこめたスピーカー越しの声に、ドクター・ビックバンは穏やかな応答を返す。老科学者の真横を、どたどたと白い有機物塊が走る。

「機能を分割する、冗長性を確保する……キミの考え方は、大いに参考になったかナ。結果的に『暫定解答<ハイポセシス>』にも、その知見が活かされている……」

『真似をするのが簡単だった、とでも言いたいのだろう! 到底、嫌みにしか聞こえないなッ!!』

「ミュフハハハ! 知識と成果の共有は、科学の発展の基盤かナ。モーリッツくん!! そして、この『塔』がキミの経験に基づいて設計されているのならば……」

 白く大柄な人型が、ドクター・ビッグバンのまえに出る。パワードスーツ甲冑兵が1個小隊、進行方向に立ちふさがる。

 白衣の老科学者の意を体現するかのように、『暫定解答<ハイポセシス>』が敵兵の一団へとタックルを叩きこむ。アサルトライフルの照準が狂い、あらぬ方向へと銃弾がまき散らされる。

──ゴガガガ……

 重苦しい音を響かせて、ドクター・ビッグバンの歩みを妨げるがごとく、さらに隔壁が天井から降りてくる。滑空砲の弾丸も受け止められそうな分厚さだ。

 白衣の老科学者は、監視カメラのひとつを一瞥し、にやりと笑って見せる。

「なんとなればすなわち、モーリッツくん。このワタシの進路を、キミは必死にふさごうとしているように見える。これは、図星かナ……そして、すでに『状況再現<T.A.S.>』による演算は終えているッ!」

──……ゴカンッ!

 通路を封鎖しようとしていた隔壁が、中途半端な状態で停止する。パワードスーツ甲冑兵の放ったアサルトライフルの銃弾が、駆動部に巻きこまれ、動作不良を誘発した。

『クソ……ッ!』

 館内放送から、露骨な悪態が聞こえてくる。ドクター・ビッグバンは身をかがめ、白い有機物塊は前転し、シャッターの向こう側へくぐり抜ける。

 壁面にスライドドアを発見すると、白衣の老科学者と『暫定解答<ハイポセシス>』は、そろって歩を止める。

「なんとなればすなわち、かつてのセフィロト本社と構造が類似しているのならば、各区画を制御するためのサブコントロールルームが設置されているはずかナ。そこから、中枢のシステムへ侵入させてもらおう!」

 スピーカーから反応する声は、聞こえない。ドクター・ビッグバンは導子ハッキングにより扉のロックをこじ開けようと、端子部に触れようとして……直前で、指の動きを止める。

「そして、モーリッツくん。キミは当然、このワタシがここまで到達することを想定しているかナ。導子ハッキングによって解錠しようとするだろうことも、ね」

 白衣の老科学者は、少しばかりおどけたような様子で監視カメラに向かってウィンクしてみせる。館内放送から、舌打ちの音が聞こえる。

「なんとなればすなわち、立場が逆だったら、強毒性の電脳ウィルスでも仕込んでいるところかナ……『暫定解答<ハイポセシス>』ッ!」

 ドクター・ビッグバンの声に応じて、白く大柄な人型が野太い腕を振りあげ、拳を叩きこむ。スライド式ドアがひしゃげ、薄暗い室内へ続く穴がこじ開けられた。

【群脳】

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