【第9章】サムライ・マイティ・ドライブ (7/9)【再動】
【動乱】←
(ああ、でも、砦の連中には迷惑をかけちまった)
湖の底で、ワンオフバイクの車体の曲線をなでながら、ナオミは胸中でつぶやく。安らぎを覚え、緊張が弛緩すると同時に、息苦しさを思い出す。
(あそこは、ツバタの野郎と相打ちを取っておくところだろ……ま、ウチにしては、よくやったほうか……)
酸素が欠乏して、意識が揺らぎ、思考が覚束なくなってくる。そのとき、指先に、奇妙な振動が伝わってくる。エンジンを起動したときのような感触だ。
今際のきわの幻触かと思う。動力源である蒸気瓶の中身は、とうの昔に抜けているはずだ。理屈で考えれば、動きだすわけがない。
にもかかわらず、オリハルコンの鼓動はますます高鳴り、ナオミの全身を揺さぶる。間違いない。蒸気圧なしで、エンジンが回り始めている。
(相棒……?)
赤毛のバイクライダーは、とじかけたまぶたを見開く。タイヤが、空転している。ナオミは、持てる力を振り絞って、車体を傾けてやる。
車輪が湖底に接地し、軟泥をかき回す。やがて、車体はゆっくりと前進し始める。バイクが水の中を跳躍し、ドラゴンの骨格を飛び越える。
(……んぐッ!)
ナオミは、必死に車体にしがみつく。一度は手放しかけた命に、すがりつく。窒息の苦悶がよみがえり、肺腑を苛む。
ふたたび、ゆっくりと湖底に着地したバイクは、水中の下面を疾走する。不安定な振動は、ダメージを負った身にはつらい。
それでも、ナオミは久方ぶりに『自由』の感覚を思い出す。だからこそ、苦痛にも耐えることができる。
──ザバアアッ。
白い水しぶきを立てて、赤毛の女を乗せた蒸気バイクが湖岸に上陸する。ナオミの体感的には、永遠にも等しく感じられる時間だった。
「ゲボッ! はあっ、はあはあ、はあ──ッ」
水浸しの白襦袢をまとった女は、飲みこんでしまった水を吐き出し、荒い呼吸を何度も繰り返して、欠乏した酸素を補給していく。
長い時間をかけて、息づかいは整い、意識も明瞭さを取り戻していく。
自分の尻の下には、間違いなく座席がある。幻ではない。蒸気瓶の中身がからっぽにもかかわらず、エンジンはふかされ、ヘッドライトまで灯っている。
ナオミは、あらためて、自分の現在地を把握しようとする。蒸気灯で照らされた地面は、無数の恐竜の足跡で踏み荒らされている。
自分が、湖に向かって弾き飛ばされた場所から、そう離れていない。ナオミは、そう判断する。
さらに状況を理解しようと、周囲を見回す。篝火は見えない。ツバタ勢はすでに、森のなかに入ったか。
同時に、ナオミは奇妙なものを発見する。ツバタたちが走ってきた方角の先に、遠目だが、緑色の光が円形に輝いている。
見慣れぬ瞬きに目を細めながらも、水浸しのバイクライダーは車体にまたがりなおし、ハンドルを握りしめる。
操縦手の意思に応えるように、ふたつのタイヤが回転を再開する。ナオミは、懐かしい慣性の感触を覚えながら、巧みに車体を操る。
「……グッド」
在りし日と変わらぬ風を切る感覚に、操縦手は思わずつぶやく。フルオリハルコンフレームの蒸気バイクは、ぐんぐん加速していく。
これこそが、動かないはずのバイクを走らせている事実こそが、自分自身に与えられた『能力』なのだろう。ナオミは、漠然と確信する。
赤毛のバイクライダーは、ハンドルを切る。森の茂みのなかに、車体ごと突っこんでいく。ツバタに追いつくべく、スロットルをひねり、悪路のなかでさらに加速した。
───────────────
「ま、名乗るほどの者ではないか……なに、一宿一飯の恩義ってやつをかえそうと思ってな。実際は、三泊三食付きだったんだが」
「ヌッ──ン!?」
樹上の男──アサイラは、跳躍する。
巨体の暴威竜を駆るツバタにとって、自分の頭上を取られるなど初めての経験だ。反応が遅れる。小枝と夜闇が、さらに視界の邪魔をする。
「ウラアッ!」
短い叫び声とともに、ツバタの直上から縄状の物体が投擲される。反射的に払おうとした右腕に、先端が絡みつく。
見慣れぬ道具に、ツバタは視線を落とす。恐竜の革を、細長く加工したものだ。先端に金具が取りつけられて、輪を形作り、手首を締めあげていく。
「……ヌヌッ!」
革鞭の反対側をにぎるアサイラは、ツバタを基点にして半円を描くように、大型肉食竜を飛び越えていく。
遠心力で、武将の身体が引っ張られる。暴威竜の頭上から振り落とされないよう、踏ん張り、引き返す。
アサイラは、恐竜製の革が、ぴんっ、と張ったのを感じる。己の対面に迫る樹の幹の側面に両足を付き、再度、蹴る。
「ウラアァァーッ!!」
己の跳躍力に、革鞭の張力、さらに敵の腕力までも利用して、アサイラは流星のごとく飛翔する。猛烈な速度の跳び蹴りが、ツバタの顔面へ一直線に突き刺さる。
「ぶグわーッ!?」
兜に守られたツバタの頭部が、直角方向に回る。大きく体躯を揺るがせながらも、歴戦の武将は踏みとどまり、己の騎竜の頭部に乗りこんできた青年をにらみ返す。
「へえ、いまのを耐えるか……並のセフィロトエージェントよりも頑丈だな、サムライって人種は」
「ヌッ……こなたも、『せふぃろと』を知っているのか──ン?」
「おまえもか。奇遇だな」
ツバタは、少ししゃべりすぎた、という顔をする。アサイラは、革鞭を短く握り直し、相手の動きを制限する。そのまま、己の得意とする殴り合いをしかける。
「ウラアッ! ウラララア!!」
「ホぐッ、ゲぼッ、ぐルはッ!?」
鎧武者の顔に、胴体に、アサイラの重い拳が叩きこまれる。甲冑越しでも十分なほどのダメージが、ツバタの身を突き抜けていく。
「ヌッ、ヌヌッ。やるな、若造……ならば、見るがよい。我が一族に伝わる龍剣、その名も……ぬあッぶッ!?」
「──抜かせるか」
鞘に納められた太刀の柄を握ろうとした武将の左手に、アサイラはひざ蹴りを打ちこむ。ツバタは思わずうめき、青年をにらみ返す。
アサイラは、相手の腕に絡みついた投げ革をさらに強く引き、ゼロレンジの密着間合いにサムライを閉じこめる。
「これで、刀は使えない……」
「おい、若造。言ってくれるな──ン? だが、甘いわッ!」
武将は、己の騎竜の頭を足のかかとで強く蹴り飛ばす。巨体の暴威竜が、大きく身じろぎする。アサイラとサムライを乗せた頭上が、大きく揺れる。
「グヌ……ッ!?」
「……フンッ!!」
足場が激しく振動して、アサイラはバランスを崩し、ぎりぎりで踏みとどまる。対する武将は、騎乗戦闘を心得ており、多少の揺れには動じない。
好機と見た鎧武者は、逆手で脇差しを抜き放つと、眼前の青年に斬りかかる。
アサイラは、寸でのところで身を屈め、皮一枚で刃をかわす。赤い血が、首筋を伝い落ちる。武将の攻勢は、当然、それでは終わらない。
「グヌヌッ」
「フンッ、フンフン!」
闇のなかを、白刃が閃く。急所を的確に狙った短刀の連撃を、アサイラは身を仰け反らせ、柄を手の甲で受け、どうにかしのいでいく。
それでも完全に回避することはかなわず、アサイラのジャケットは見る間に切り裂かれ、肌には浅い傷がどんどん増えていく。
一方、周囲を巡る随伴の騎兵たちは、手をこまねいている。突如、現れた狼藉者と君主が密着しているため、援護射撃しようものなら巻き添えにしかねない。
青年との戦いに余裕が出てきたツバタは、暴威竜『跋虎<ばっこ>』の頭上から臣下たちに目を向ける。
「おい! なにを呆けている──ン? こなたらは、先に砦に向かえ! 身どもが追いつくまえに、皆殺しにしておけッ!!」
「グッヌ……」
アサイラは、うめく。これだけの数、それも騎乗生物を駆っているとなれば、自分一人ではとても進軍を食い止められない。
脇差しを握った武将が、勝ち誇った笑みを浮かべる。眼下のサムライたちが、騎竜の頭を砦のほうへと向ける。
「おい。安心しろ、若造。身どもが、直々に首を切り落としてやる──ン?」
鎧武者の兜の影に、獰猛な笑みが浮かぶ。そのとき、アサイラは鎧武者が見たのとはまったく別の方向、森の茂みの向こうになにかを発見する。
光の輝きだ。篝火の灯より、あきらかに強い光だ。この次元世界<パラダイム>には存在しない技術……強いて言えば、電球に近い。
光は、どんどん近づき、大きくなっていく。アサイラに遅れて、ツバタが気がつく。輝きが無視できない強さになって、ようやく他のサムライたちも顔を向ける。
──ギュルルンッ!
葉や小枝をまき散らしながら、茂みのなかから光源が飛び出してくる。初めて聞くであろうエンジン音の咆哮に、サムライどもや騎竜たちは動揺を隠せない。
砦へと向かう道をふさぐように、真鍮色の輝きを反射させる鉄馬が着地する。
座席にまたがった赤毛のバイクライダーがハンドルを切ると、車体が正面を向く。ヘッドライトの強烈な輝きが、サムライどもと騎竜たちの目をくらませた。
→【鉄馬】
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