【第9章】サムライ・マイティ・ドライブ (3/9)【朧月】
【祝宴】←
「──……んっ」
ナオミは、自らの居室、畳のうえに敷かれた布団のなかで身じろぎする。どうにも、目が冴えてしまって、眠れない。
砦の女たちが昼間に干してくれたおかげで、お天道さまの匂いがする寝具のなか、何度も寝返りを打つ。長襦袢のうちで、肌にじんわりと寝汗が浮かぶ。
「バッド。珍しいにも、ほどがあるだろ……」
寝付きの良さは、赤毛の女武者の数少ない自慢のひとつだった。戦場はおろか、野宿であろうとも、眠ろうと思えば、すぐに眠りのなかに入りこめる。
だからこそ、ナオミは余計に、寝つけぬ夜の身の置き方がわからない。短い赤髪を枕にこすりつけつつ、もう一度、寝返りを打つ。
「つい気がゆるんで、悪酔いしちまったか……あるいは、戦場での昂ぶりがいまになって遅れて出てきたか……」
いったん目が覚めてしまうと、頭のなかにはぐるぐると余計な考えが浮かんでくる。
脳裏を空っぽにすることがこんなに難しいとは思わなかった。山寺を訪問したとき、居眠りなんかしていないで、座禅の組み方でもしっかり習っておけば良かった。
──グウゥ。
追い打ちをかけるように、ナオミの胃袋が物欲しげな音を立てる。つい先ほどの祝宴でたらふく食べたはずなのに、奇妙な空腹を自覚する。
これも、戦場で消耗した栄養を、肉体が求めているのだろうか。不摂生にもほどがある生活だ。
「あー。やめだ、やめ! こういうときは、あがくだけ無駄だろ!!」
ナオミは掛け布団をはだけながら、勢いよく上半身を起こす。赤毛のショートヘアを左右に振り乱すと、寝具を乱したまま、立ちあがる。
白い長襦袢を身にまとった女武者は、居室の障子を開ける。冷たい夜風が部屋のなかに流れこみ、火照った肌を優しく撫でる。
「夜食でも、腹に入れるか……」
誰に言うでもなくつぶやいた女武者は、板張りの渡り廊下に出る。何気なく夜空を仰ぐと、薄衣におおわれた朧月が寝静まった砦を照らしている。
月の傾きから見て、時分は丑三つ時といったところか。
とうに女子供たちは寝静まり、地上で動いているものといえばは、砦の四方に建てられた見張り櫓に灯る篝火の揺らめきくらいのものだ。
「真夜中の台所に忍びこんで、盗み食い……ガキのころ以来だろ」
祝宴の主菜として女たちが用意した山盛りのちらし寿司は、結局、食べきることができなかった。残りは朝餉に回されるだろうが、少しばかり失敬しよう。
そう思いながら、ナオミは炊事場に向かって歩く。板張りの廊下に、ぺたぺた、と裸足の跫音が響く。
「……そういえば」
赤毛の領主は、ふと、女たちが口にしていた『保護した男』のことを思い出す。湖畔で漁民に助けられ、この砦の一室で保護されているという──
「溺れるなんて、まぬけにもほどがあるだろ」
白襦袢の女武者は、口元を抑えて、小さく吹き出す。
「ま……ウチも、他人のことは言えないけどな」
ナオミは、自分がこの世界──イクサヶ原にたどりついたときのことを思い出す。自分も、湖の沖合に放り出されて、溺れかけたんだった。
炊事場に向かう道すがら、赤毛の女武者は、イクサヶ原に流れ着いてからの経験をとりとめもなく思い出していく。
自らも土左衛門になりかけたナオミは、例の男と同様に近場の漁民に助けられた。その漁民の村が、落ち武者に襲われたとき、礼のつもりで防衛に力を貸した。
そのとき、賊を撃退した腕前が評判になり、用心棒の真似事のようなことをして、それがきっかけとなって、大御所に取り立てられて……
「あー。やめだ、やめ。湿っぽくなっちまうだろ」
ナオミは、自分に言い聞かせながら、頭を左右に振って連想を断ちきる。目の前まで来た炊事場ののれんをくぐる。
「……グッド」
赤毛の女武者は、いたずらをたくらむ子供のような笑みを浮かべる。
布をかけられた飯台のなかに、ちらし寿司の残りを発見する。瓶のなかには、濁り酒も余っている。
水で手を清めたナオミは、ちらし寿司を手のひらですくい、丸め、握りしめていく。やがて、数個の握り飯が赤毛の女の眼前に並べられる。
「バッド……」
ナオミは、苦笑いを浮かべる。できあがった握り飯は不揃いで、不格好で、お世辞にも良い出来とは言い難いものだった。
「ま、人には向き不向きってものがあるだろ」
棚から杯を三つ取り出して、重ねる。一番うえを皿代わりにして、握り飯を載せる。瓶からひょうたんに濁り酒を詰めると、ナオミはふたたび廊下に歩み出た。
「確か、こっちのほうだったか……?」
ナオミは、砦の外縁部に向かって、渡り廊下を歩いていく。
人工的な台地のうえに丸太の壁を突き立てた内にある赤毛の女領主の居城は、狭い敷地のなかにいくつもの平屋が並び、それらが板張りの通路でつなげられている。
砦と呼ばれてこそいるが、実際は、密集した村落といったほうが近い造りだった。戦に巻きこまれれば、生活拠点としての機能も求められるわけで、合理的ではある。
やがて、ナオミは敷地のすみの小屋にたどりつく。障子に、わずかな隙間が開いている。耳を近づければ、確かに男性の寝息が聞こえてくる。
赤毛の女武者は、音を立てないように、そっと障子を開ける。仰向けに身を横たえ、目を閉じる男の顔が、月光に照らし出される。
女たちが口にしていたように、確かに、イクサヶ原には不釣り合いな顔立ちだ。毛の色は黒だが、髪型自体はナオミのものに近い。
男が、月代をそらずに髷も結わぬとあっては、相当に目立つ。
枕元にたたまれた装束を見て、女武者は目を細める。男が着ていたと思しき衣服は、こちらもイクサヶ原というよりは、ナオミの故郷の仕立てに近い。
「──誰だッ!?」
接近者の気配を察知して、男が瞼を開き、跳ね起きる。布団を弾き飛ばし、その場で半回転して、虎のような姿勢でナオミに向かい合う。
「おう、ずいぶんと元気だな。心配してやって、損しただろ」
白襦袢で帯刀もしていない女武者は、それでも余裕の表情で笑う。男の顔をよく見れば、黒い瞳が月光を反射し、わずかに蒼みがかっているのがわかる。
「ウチは、ここの領主だ。土左衛門を保護していると聞いて、わざわざ、夜食の差し入れに来てやったんだろ」
ナオミは、握り飯を載せた杯と濁り酒の詰まったひょうたんを掲げてみせる。男の表情から、拍子抜けたしたように敵意が抜ける。
「ま、こっち来て座りな、月見酒ってのも、悪くないだろ」
ナオミは、小屋の入り口に腰を下ろし、男も横に来るよう促す。
「……失礼した、領主どの。明日にでも、礼に伺おうと思っていたところだった」
「ナオミ。ウチの名前だ。堅苦しいやりとりは、苦手なんだ」
「ナオミ、どの……」
「どの、はいらないだろ」
自分の横に座る男に、赤毛の女領主は笑いかける。二人のあいだに、握り飯を置く。杯を手渡し、ひょうたんから酒を注ぐ。
二人は、しばし、黙って酒をすする。男が握り飯をひとつ手に取り、ナオミもひとつ口に運ぶ。薄い雲の隙間から、月が地上を見下ろしている。
「テメェの名前、聞いてもいいだろ」
「……アサイラ」
「イクサヶ原の人間じゃないんだろ。なにしに来た? 観光するには、物騒な土地だ」
女領主の質問に、アサイラと名乗った男は、しばし、言葉に詰まる。やがて、杯に残った握り酒を一息に呑み干すと、口を開く。
「……ドラゴンの骨を、探しに来た」
「へえ。そいつは、難儀な探しものだろ……」
ナオミは、杯を片手に頭上を仰ぐ。月が、薄雲の向こうに顔を隠す。
「恐竜じゃなくて、真龍の骨だろ? 昔は、ちょくちょく湖畔に打ち上げられていたらしいんだがな。サムライどもが血眼でかき集めたせいで、いまじゃさっぱりだ」
アサイラのつくため息が、聞こえる。だが、男の全身から伝わってくる決意は、いささかも揺らがない。
明確な目的を持って、他の世界から、このイクサヶ原を訪れたのだろうか。どんな事情を抱えているのだろうか。
赤毛の女武者は、真横にたたずむ男にいっそう興味を惹かれる。会話が肴となったか、いつの間にか握り飯はなくなり、ひょうたんの中身も空になっている。
ナオミは、白襦袢の衿をゆるめ、鎖骨をのぞかせながら、アサイラにしなだれかかる。自分でも、意外に思う行動だった。酩酊のせいだと、結論づける。
「おい、おまえ……」
「……ナオミ、だろ」
赤毛の女武者は、男の肩口に顔を沈めながら、全体重をあずける。そのまま、アサイラを部屋のなかへと押し倒した。
→【篝火】
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