【第2部13章】少年はいま、大人になる (13/16)【墓標】
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「やったんだよ……あの皇帝を……」
導子力を過剰消費し、めまいを覚えたフロルは脱力して、がっくりとひざをつく。そんな少年と対面するように、人間態のヴラガーンが立ちあがる。
赤茶けた岩肌を思わせる褐色の肌、屈強な筋肉、憤怒と闘志をたたえた瞳……人間態でも畏敬の念を抱く姿は、グラー帝との殴りあいの果て、傷と血だらけになっている。
ヴラガーンと名乗った巨龍は、血の混じった唾液をかたわらに吐き捨てる。どじゅう、と音を立てて地面から煙が立つ。
「解せぬぞ、小僧……ウヌがなぜ、オレの味方をしたのか知らんが……」
「それは、こっちのセリフだよ……僕からしたら、なんで助けられたのかわからない」
「結果論だ。取るに足らんと思うただけぞ。ただ……あれには、少しばかり驚かされたが」
フロルと言葉を交わしつつ、人間態の巨龍は背後をあおぎ見る。少年の『龍剣』が造りだした砕氷船は大地に突き刺さり、グラー帝を生き埋めにした。
船舶の自重のみならず、本来であれば氷を砕くためのドリルが回転して土を掘り、地面を揺らしながら、より深く潜りこむような動きで皇帝の身体を圧し続けている。
とっさの思いつきだったが、おおむね少年の考えたとおりにことが運んだ。グラー帝を無力化し、満身創痍であるが、助太刀してくれたヴラガーンも無事だ。
ひざ立ちのまま、フロルは皇帝の乗っていた装甲オープンカーのほうを見やる。そして、眉根を寄せる。
「どうした、小僧?」
「どこか……妙なんだよ」
人間態のドラゴンの問いかけに、少年はつぶやき答える。『魔女』は、オープンカーの運転席にいる。先ほどから変わらず、同じ方向を見つめ続けている。
おかしい。フロルは、思う。グラー帝の最側近である深紅のローブの女が、皇帝の危機をまえにして動かないことはありえない。思わぬ敗北に、茫然自失としているわけでもない。
「あの女も敵か? ならば……かみ殺すだけぞッ!」
「待って! なにかが、おかしい!!」
『魔女』に向かって飛びかかろうとするヴラガーンを、少年は制止する。地面の振動に違和感がある。砕氷船のほうを振りかえる。船体が、不自然な揺れかたをしている。
「船みたいな鉄の塊に押しつぶされても……無事だって言うのか!? さすがにありえないんだよッ!!」
フロルは叫ぶ。重苦しいきしみ音を立てながら、砕氷船がゆっくりと押し戻され、船体が持ちあがっていく。ヴラガーンも気づき、身構える。
「見事である、征騎士フロル……ゆえに、惜しい」
砕氷船の影から、グラー帝の声が響く。ドリルが掘り起こした穴の底に、片手で船体を持ちあげる偉丈夫の姿が見える。
「グオラッ!」
「──ドウ!」
皇帝は、少年と人間態のドラゴンに向かって、掲げた砕氷船を無造作に投げつける。ヴラガーンは、フロルをかばうように動き、長大な龍の尾を現出させて船体を弾き飛ばす。
「助かったんだよ……ありがとう」
「礼など……ほざいている場合ではないぞ! 小僧ッ!?」
人間態のドラゴンは、長大な尻尾を納め、グラー帝に対して前傾姿勢で身構える。その額に、汗の粒が浮かんでいる。
少年も剣を握ろうとして、得物を投擲してしまったこと、自分が丸腰であることを、いまさらのように思い出す。気休めに、徒手空拳の護身術をかまえる。
フロルとヴラガーンは、死の冷たさを背筋に覚えつつ、臨戦態勢となる。対するグラー帝は二人にかまう様子もなく、ゆっくりとそのわきを歩み抜けていく。
拍子抜けしつつ、少年と人間態のドラゴンは皇帝の背を視線で追う。グラー帝は、散歩をするようなリラックスした足取りで、装甲オープンカーへと戻っていく。
深紅のローブの女が気がつき、運転席から降りて、後部座席のドアを開けて皇帝を迎える。
「……もうよろしいので、陛下?」
「フロル・デフレフへの教育は、十分にほどこした。あとは自らの意志で戻り、余に頭を下げれば良しとする……不服か、エルヴィーナ?」
「叛逆者への処断としては……いささか甘いものなので」
「これ以上、あの若人に話すことなど何もない……人格とは、厳しい状況のもとでこそ計られる。人を悩ませ続ける……」
「それでは、あちらのドラゴンのほうは?」
深紅のローブの女の問いに皇帝の眼光が、ぎらりと輝き、巨龍ヴラガーンをひとにらみする。
「余の軍門に下らぬならば、興味なし。さりとて障害としては、一言以ておおうならば……弱敵である」
ぎりっ、とヴラガーンの歯ぎしりする音が少年の耳に届く。人間態のドラゴンの瞳に宿る憤怒の炎が、よりいっそう濃い色となる。
「聞こえたぞ……弱い、と言ったか? このオレをッ!!」
「ダメだよッ! 不用意に飛び込んじゃ……!?」
装甲オープンカーへ、いまにも飛びかかろうとするヴラガーンを、少年は体を張って制する。
「ボロとなった。替えのトーガを」
「かしこまりましたので、陛下」
皇帝の要望に応じて、『魔女』は人差し指で、つつっ、と虚空をなぞる。ぬちゃり、と湿った音を立てて小さい次元転移ゲートが開き、なかかか金糸の刺繍が施された赤い布を取り出す。
「して、エルヴィーナ。前線部隊のほうは、どうなっている。進軍は、順調であるか?」
新品のトーガをまといなおしたグラー帝は、自身を後部座席に促した深紅のローブをかぶる女の名前を口にする。
「……いくつか、悪い報せがございます」
「ふむ、申せ」
琥珀色の液体を注がれたブランデーグラスを受け取りながら、皇帝は横柄にうなずく。『魔女』は、その場でひざまずく。
「まず、ひとつ。『天球儀』をもってしても、『聖地』の詳細な位置を特定できません。高度な聖別と隠蔽の術式が施されているようなので……」
(……『天球儀』?)
フロルは、深紅のローブの女が口にした初めて耳にする単語を脳裏にとどめる。征騎士円卓会議でも、聞いたことの無かった言葉だ。
(下っ端とはいえ、僕だって征騎士……グラトニアの最高幹部の一員だった。なのに知らされていない、隠されていることがあるのか?)
背後で荒ぶるドラゴンを抑える人間の柵となりながら、少年は目を細め、思案した。
→【裏拳】
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