【第2部5章】戦乙女は、侵略にまみえる (5/16)【撹乱】
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「向こうだな! すでに戦闘が始まっている!!」
灰色の雲の下、吹雪が荒れ狂うなか、シルヴィアがヒポグリフの背のうえからななめ後方を指さす。アサイラとナオミも、つられて目を凝らす。
雪煙越しではあるが、散発的な銃火の光が見える。豆粒ほどの大きさの影が地表近くを飛び交っている。
「ナオミ、高度を下げてくれ。ヴァルキュリアの援護には、こちらが向かうのだな!」
「……一人でだいじょうぶか、シルヴィア?」
「マスターとナオミは、敵の指揮官を潰してほしい。おそらく離れた場所にいる。ララが、通信の発信源から位置を割り出してくれるはずだな」
「どっちかと言えば、アサイラのコンディションのほうが心配だろ……ま、こっちのことは任せときな。行ってこい、シルヴィ!」
ナオミはヒポグリフの手綱を操り、地表ぎりぎりをかすめる。シルヴィアは乗騎から飛び降りると、ふたたび高度をとる仲間たちを見送る。
狼耳の獣人娘は、ミスリル鋼線の弦の張られた弩を確かめると、ブーツに包まれたくるぶしまで雪に沈みながら足早に歩を進めていく。
戦場となっている地点までは、ここからおよそ千メートルといったところか。シルヴィアは、ぴんと獣の耳を立て、鼻をひくつかせる。
凍てつく風に乗って、剣戟の音と血の臭いが流れてくる。つまり、自分は風下側にいる。吹雪も手伝って、敵に自分の存在を関知される危険は少ない。
ざくりざくりと凍りついた雪原に足跡を刻みながら、狼耳の獣人娘はもっとも有効に作用する戦術を頭のなかで探る。
上空から見たかぎり敵の数は数十名ほど、ヴァルキュリアも同程度だ。戦闘の規模はそれなりに大きく、自分一人が加勢したところで情勢は動かせない。
「……それならば、だな」
戦場まで五百メートルほどまで距離を詰めたシルヴィアは歩みを止めて、凍原のうえにひざをつく。クロスボウに魔銀<ミスリル>の矢をつがえる。
狼耳の獣人娘がいる地点から見れば、敵はちょうど背後を突かれる形になる。ここから狙撃し、伏兵による挟撃だと思いこませる。
「荒れてきたのだな……」
ぼそり、とシルヴィアはつぶやく。もはや視覚は、あてにならない。獣耳を垂直に立てたまま、まぶたを閉じる。
聴覚と嗅覚、それに皮膚感覚へ意識を集中する。激しい戦闘によって生じたわずかな振動が、凍てつく雪原のうえを伝わってくる。
「この悪条件……一人の敵を標的とした狙撃は、とうてい不可能」
ならば、敵部隊の集団、乱戦状態の複数人をひとつの大きなかたまりとして捉える。敵兵の誰かに当たればよく、急所を貫く必要すらない。
攻撃そのものではなく、「攻撃された」と思いこませることが重要なのだ。狼耳の獣人娘は、狙撃の精度をあげるべくうつ伏せの姿勢になる。
「もうひとつ、気をつけるべきことは……」
シルヴィアが援護するべき対象、ヴァルキュリアたちへの誤射だ。せっかくの攪乱攻撃が、まったくの逆効果となってしまう。
獣耳が拾う音は、発砲よりも剣戟によるものが多い。ゼロレンジの白兵戦に移行している。狼耳の獣人娘は、友翼人たちの戦闘スタイルを想像する。
「もしも……こちらの背に翼があったならば、どうする?」
当然、上空から攻撃をしかけるだろう。なにもない空を考えなしに飛んでは絶好の的だが、それでも高度と引力を味方に付ければ絶大なアドバンテージとなる。
それは、接近戦でも変わらないはずだ。ほんの一メートル浮かんだだけでも、敵は頭を狙うのが困難となるだろう。
「戦乙女たちは当然、そういう戦い方を心得ているはずだな……よし!」
シルヴィアは、結論に到達する。敵の集団をかたまりとして捉え、ヴァルキュリアへの誤射を避けるため可能な限り地表ぎりぎりを狙う。足を射抜けば、敵の機動力も奪える。
若くして歴戦の戦士である狼耳の獣人娘は、うつ伏せの姿勢のまま、呼吸を整える。肺のなかの空気をすべて吐き出し、息を止める。
閉じていたまぶたを開く。しかし、なにかを見るわけではない。もっとも頼るべきは、聴覚と嗅覚だ。左手でクロスボウを支え、右手の指を引き金にかける。
吹雪越しにおぼろげながらも音と臭いを捕まえたシルヴィアは、トリガーを引く。恐るべき張力の弦が解放され、魔銀<ミスリル>の矢が放たれる。
──ヒュオオォォォ。
地面を這うように飛翔する矢が雪の白い幕に消えて、風切り音が遠のいていく。狼耳の獣人娘は、呼吸を止めたままうつ伏せの姿勢を維持する。
「……ぎゃあ」
風に乗って、かすかに悲鳴が聞こえてきた。男の声だ。戦乙女ではない。刃のぶつかりあう音が一瞬、乱れたあとに激しさを増す。
「手応えあり、だな」
シルヴィアは、雪のうえから跳ね起きる。戦場へ近づく方向ではなく、真横に向かって走り始める。
深い雪に足を取られつつも、狼耳の獣人娘は全力で駆ける。移動しつつ、次の矢をクロスボウにつがえる。
同様の攪乱射撃を、離れたポイントから複数回くりかえす。命中すればするほどに敵は、存在しない伏兵を大きな規模と誤認してくれるはずだ。
→【肉薄】
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