【第2部3章】楽園は、雲上を漂う (3/4)【振舞】
【浮島】←
──カアンカアンカアーン。
金属同士がぶつかる甲高い音が聞こえてくる。
ミルク配達帰りのヒポグリフにまたがり、ナオミとリーリス、ララの三人は、音の聞こえる方角へ向かっていく。
浮島の牧場の中心近く、母屋のまえでシルヴィアがフライパンにおたまを叩きつけている。昼餉の報せだ。
その横では、シェシュとエグダルの夫婦が大鍋を火にかけている。ナオミは手綱を引いて、その少し離れた地点に鷹馬を着地させる。
「わあっ! 美味しそうな匂い!!」
ララは、ヒポグリフの毛をつかみながら、草原のうえに飛び降りると、牧場主夫婦のほうへと走っていく。続いてナオミが、最後にリーリスが地面に立つ。
「はああ……まだ、ひざが笑っているのだわ……」
「バッド。スカイダイビングしたほうが、ぴんぴんしているだろ?」
「……あの娘、いろんな意味で大物だわ」
ふらつくリーリスをナオミが気づかうようにしながら、二人も遅れて昼食の場に向かう。鍋のなかから滋味深い香りが漂ってくる。
「さあさあ、お待ちかねの昼ごはんだよ。みんな、配膳は手伝いなよー!」
シェシュは居候たちに声をかけ、エグダルは鍋のふたを開ける。食欲をそそる匂いとともに、もわっと湯気が広がる。
鍋の中身は、具だくさんのシチューだ。横の大皿には、根菜と香草を混ぜこんだオムレツもある。
どちらも、ヒポグリフのミルクと卵を材料に作られた料理だ。牧場主夫妻が皿に取りわけると、女たちは食器とともに各人に回していく。
全員に食事が行き渡ると、たき火にかけられた鍋を中心に、それぞれ思い思いの場所に腰をおろし、昼餉を取り始める。
「わあっ! すっごい美味しいってことね!!」
「今日は、御亭主の料理をこちらも手伝ったのだな」
「グッド。ミルクも卵もとれて、騎馬にもなるなんて……ヒポグリフってやつは、万能過ぎだろ」
「本当。シェシュさんとエグダルさんには、よくしてもらって。いくら感謝してもしたりないのだわ」
満面の笑みでスプーンを口のなかに運ぶ女たちを見て、牧場主夫妻の表情もほころぶ。髭面のエグダルの口元は、いささかわかりにくくはあるが。
「あははは、ほめ殺しはやめなよー。姫さまの命令だし、なによりこっちだって、みんな働き者で助かっているんだから」
「うっひっひ……こうして賑やかな食事を囲めるのも、すこぶる楽しいものたんも。わてらは、二人暮らしだったから……」
「こんなにぎやかな暮らしもいいよ、いいよ。子供が産まれたら、みんなの名前をもらおうかねえ」
「グリン。シェシュさんとエグダルさんには、子供がいないのだわ? ヤることは、ヤっているんでしょ」
「たたっよたったたた。リーリスお姉ちゃん、『ヤること』ってなあに?」
「ひょこっ! 日が高いうちにする話題ではないのだな!?」
「さあ、おかわりもあるよ。いいよ、いいよ。どんどん食べなよー」
シェシュは、返事も聞かないまま空になった器にシチューを継ぎたしていく。
温かくとろみのある白い液体が器に満ちていくの見ていたララは、ふと顔をあげて、おたまを手にした女主人を見る。
「ねえ、シェシュさん。まえから気になっていたことがあるんだけど……」
「ん? いいよ、いいよ。なんでも聞きなよー」
「……シェシュさんは、どうしてエグダルおじさんと結婚したの?」
「ララちゃん、それはデリケートな話題だわ」
リーリスが間髪入れず、ぴしゃりと言葉を挟む。少女は、ゴシックロリータドレスの娘の言わんとすることを理解できず、首をかしげる。
ララは、なれそめやロマンスのことではなく、単純に異種族が夫婦であることを疑問に思ったのだろう。伴侶に選ぶなら、同族を選ぶのが普通だろう、と。
ヴァルキュリアとドヴェルグ、二つの種族に関して多少ならず知識のあるリーリスも同様の疑問を抱いてはいた。
ヴァルキュリアは男を必要とせず、女王が単為生殖する。ドヴェルグは他の種族同様に、男女の性別があるはずだ。
そうでなくとも、自由恋愛を許される次元世界<パラダイム>のほうが数は少ない。異種族間の婚姻となれば、なおさらだ。
たいてい、種族間の複雑な因縁や力関係が絡みあっている。シェシュとエグダルの夫婦仲は、ぱっと見たかぎり悪くはなさそうだが……
「いいよ、いいよ。そんなふうに、へんな気を使うのはやめなよー」
女牧場主は、変わらぬ笑顔を振りまいてみせる。その伴侶であるエグダルの表情は、あいかわらず三つ編みのひげにおおわれて、うかがいがたい。
シェシュは、シチューの残りが少なくなった鍋のなかにおたまを突っこむと、自分の器のそばに腰をおろす。
「あたいたち、戦乙女<ヴァルキュリア>はね。基本的に、戦士か魔術師になるんだけど、引退したらドヴェルグの夫をもらうならわしなんだよ」
女牧場主は、自分の背中にはえた羽の付け根を撫でる。古傷だろうか。心なしか、少し曲がっているように見える。
「息子はドヴェルグに、娘はヴァルキュリアになる。ある程度、大きくなったらそれぞれの居住区に引き取られる決まりたんも」
エグダルは、この次元世界<パラダイム>の習慣を補足する。
「戦士には向いていなかったんだよねえ、あたいは。かといって、魔術師にもなれなかったし……まあ、おかげいい旦那をもらえたよ」
「うっひっひ……わても、いい嫁と一緒になれて満足たんも」
「あたいには、こうして牧場でヒポグリフの面倒を見るのが性にあってたんだよ。おかげで、みんなとも出会えたしね」
シェシュは、使っていなかった食器を手にすると、ふたたび立ちあがる。
シチューとオムレツの残りを、大量に盛りつける。山盛りの二つの食器を盆に乗せると、リーリスに差し出す。
「アサイラ、って言ったっけ? あの男に持っていってやりなよ。洗い物は、あたいたちにまかせなよー」
シェシュの碧眼がウィンクする。呆然としていたリーリスは立ちあがると、うなずきを返し、盆を受け取る。
女牧場主をはじめとした皆の視線を背に受けながら、リーリスは早足でアサイラが休息をとっている離れ屋へと向かう。
残された五人は、上空を滑空する豪奢な輿のしつらえられたヒポグリフ、リーリスと入れ替わるように牧場へ降下してくるその影に気がついた。
→【距離】
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