【第13章】夜明け前戦争 (1/12)【正妻】
「うふふふ……あはははっ!」
玉座のうえの龍皇女は、膝掛けに身を預け、腹をよじる。突如、笑い出した君主に、側近龍たちは呆然とする。アサイラと『淫魔』も同様だ。
戸惑う面々の視線に気がつき、玉座のクラウディアーナは姿勢を正す。
「いえ、失礼いたしました。うふふ、なるほど。そういうことですか、『淫魔』……たしかに、その通りですわ」
龍皇女は、目元に笑みをたたえたまま、一人納得したかのように何度もうなずく。他者の表層意識を読むことができる『淫魔』は、したり顔で腰に両手をあてている。
もっとも、アサイラも側近龍たちも、クラウディアーナと『淫魔』のやりとりの結果を、いまだ呑みこむことができずにいる。
「失礼ながら申し上げます、龍皇女殿下……どのような結論に至ったということでしょうか? 我々一同、なにがどうなったのか、さっぱりなのですよ……」
同僚の側近龍たちを代表して、一歩前に出たアリアーナが君主に問う。龍皇女は、優しげな微笑みを浮かべて、家臣を見おろす。
「うふふふ。ごめんなさい、勝手に話を進めてしまって。わたくしがしたことと同じことをするのは、我が伴侶にとっても当然の権利、ということですわ」
なおも首をかしげる側近龍を横目に、玉座のうえで背筋を伸ばすクラウディアーナは、『淫魔』のほうに視線を向ける。
「つまり、わたくしとそなたとで、我が伴侶の正妻の座を競い合う、と。そういうことでよろしいですわね、『淫魔』?」
アサイラは絶句し、側近龍たちは目を丸くする。かまう様子もなく『淫魔』は龍皇女を見あげて、会話を続ける。
「ぬふっ。だいたいあっているけど、競争相手は私だけじゃないのだわ」
「まあ、わたくしとしたことが……うふふふ。『英雄色を好む』という言い回しは本当だった、と」
「おい、クソ淫魔! これは、どういうことか!?」
にたり、とした視線で玉座を見あげる『淫魔』に対して、アサイラはゴシックロリータドレスの襟をつかむ。『淫魔』は、青年の腕を右手で払う。
「あのねえ、アサイラ? シルヴィアやリンカのことは、どうするつもりなのだわ」
「グヌ……」
しごく真剣な眼差しで、『淫魔』はアサイラに問う。青年は、思わず気圧される。紫色の装束に身を包んだ女をにらみつけながらも、黒髪の青年は言葉に詰まる。
『淫魔』の言葉には、道理があった。職人気質で独立心の強いリンカはともかく、アサイラにひどく依存しているシルヴィアは、放り出されれば路頭に迷いかねない。
「おとりこみ中のところ、失礼いたしますわ。お話は、まとまりまして?」
横から差し挟まれた第三者の声のほうを向くと、至近距離の位置に玉座から降りてきたクラウディアーナの姿がある。
龍皇女は、スカートのすそをつまむと、アサイラに対して優雅に一礼する。
「あらためまして、我が伴侶。このクラウディアーナ、そなたの正妻に選んでいただけますよう、全力を尽くす所存ですわ」
顔をあげた龍皇女は、青年に対して咲き誇る花園のような笑顔を向ける。『淫魔』は、茶化すように肩をすくめ、わざとらしくため息をつく。
「あのな、皇女どの。俺は……」
「そんな、他人行儀な呼び方はなさらないで? 名前で……そうですわ、長くて口にしにくいのならば、ディアナ、とでも」
「柄にもなく色目を使っているんじゃないのだわ、龍皇女」
当惑した表情を浮かべて言い淀むアサイラと、醒めた視線を投げかける『淫魔』を後目に、龍皇女は気品あふれる仕草で背を向ける。
クラウディアーナは、側近龍たちに目で合図し、玉座の間の出口に足を向ける。
「まずは、所望の品の場所まで案内しますわ。我が伴侶」
銀細工のように精緻に編みこまれた後ろ髪を輝かせながら、龍皇女は家臣たちを引き連れて、一足先に広間から退室していく。
その場に立ちすくむアサイラの脇腹を、無言の『淫魔』が肘でつついた。
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「わたくしの『庭園』ですわ。我が伴侶が望むものは、この先に」
「てっきり、宝物庫みたいな場所にあるのかと思っていたが……」
「うふふふ。わたくしの『龍剣』には、特別な役割があるのですわ」
クラウディアーナと側近龍たちは、アサイラと『淫魔』を宮殿の裏口へと案内した。白亜の城の裏手には、緑したたる瑞々しい森林が広がっていた。
一同は、樹々のあいだを歩き出す。原生林を思わせる大木が背を伸ばしながら、陽光はさえぎられることなく、燦々と地面に降り注ぐ。
たっぷりの日差しを浴びて、下草は青々と茂り、色鮮やかな花々がほころんでいる。生命力にあふれた『庭園』のなかで、アサイラは落ち着きなさげに周囲を見回す。
青年を中心に、右手側には『淫魔』、左手側には龍皇女。さらに周囲をぐるっと巡るように、側近龍の面々。いつのまにか、そんな位置関係になっている。
(もしかして、俺が逃げださないように包囲しているのか……?)
護送船団のごとき隊列のただなかで、アサイラの脳裏にそんな思考がよぎる。
青年の胸中を知ってか知らずか、微笑みのヴェールで顔をおおったクラウディアーナは、アサイラにぴったりと身を寄せ、不機嫌そうな『淫魔』もそれに対抗する。
森のなかだというのに、歩きにくい──というアサイラの懸念は、すぐに的外れだと気づく。まるで繁茂する植物たちが自ら道をあけているかのように、足場がよい。
これが、『龍皇女』という存在の持つ力なのだろうか。青年は、ちらりと左手側を見る。クラウディアーナと、視線が重なる。
「我が伴侶。『龍剣』を渡すまえに、わたくしたちの次元世界<パラダイム>の歴史をお伝えしたいですわ。よろしくて?」
「ああ、かまわない。皇女どの……」
「うふふふ。ディアナ、と呼んでいただきたいですわ」
「……ふんっ」
これ見よがしにわざとらしく鼻を鳴らした『淫魔』を無視して、アサイラがうなずくのを確かめた龍皇女は、視線を前に向けてゆっくりと語り出す。
「千年以上は昔の話ですわ。この次元世界<パラダイム>には、わたくしを含めて四頭の上位龍<エルダードラゴン>がいました……」
クラウディアーナの表情から微笑みが消え、真剣な目つきへと変わる。
「四頭の上位龍<エルダードラゴン>は、多くの人々や他のドラゴンたちを巻きこみ、覇権を巡って激しく争いました。そして、最後に勝利したのが……」
「……龍皇女。あなたでしょう?」
茶化す様子もなく、『淫魔』が至極まじめな声音で相づちを打つ。クラウディアーナは、返事をするかわりに、深くうなずく。
「わたくし以外の三頭は、他の次元世界<パラダイム>に逃れました。その後のことはわかりません。深い傷を負っていたので、命を落とした龍もいたかもしれません」
正面を見据える龍皇女は、いつのまにか憂うような表情を浮かべていた。アサイラは、クラウディアーナが言葉に詰まっていると気がつく。
「世界中を巻きこんだ上位龍<エルダードラゴン>同士の紛糾……のちに『龍戦争』と呼ばれた事態によって、大地は引き裂かれ、深刻な荒廃を招いたのですよ」
君主の言葉を引き継ぐように、前方で一同を先導するアリアーナが、静かな声音で語り出す。側近龍の金色の髪が、風に揺らぐ。
「龍皇女殿下は、大地の崩壊を引き留め、再生を促すために、自らの尾を斬り落とし、その骨で『楔』を造られました。それが、我々の『龍剣』なのですよ」
→【湖面】
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