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【第15章】本社決戦 (9/27)【遅馳】

【目次】

【無粋】

「『伯爵』──ッ!」

 大きく胸元が開いたドレスの女は、一瞬、息を呑むと、スーパーエージェントに向かって橋のうえを一直線に駆けはじめる。一人、二人……全部で、五人。

「『淫魔』。貴女のことは報告書でよく見ているが、五人姉妹だったのかね?」

 シルクハットの影に冗談めかした笑みを浮かべる『伯爵』は、手近なところに浮かんでいた鉄球をステッキの先端で突く。

 力場でバウンドした球体は、空間に浮かぶほかの球体に次々と衝突し、弾き飛ばす。質量体は、散弾のように五人の『淫魔』へ向かって飛来する。

「……ふむ?」

 興味深げに、『伯爵』はあごをあげる。鉄球が衝突した『淫魔』たちは、霞のように姿を消滅させる。

「なるほど、幻覚を利用した分身かね。十八番の戦術というわけだ」

 本体である『淫魔』は、黒翼を広げ、スーパーエージェントの上方の死角に飛来する。このまま、『伯爵』の頭部を翼で包みこみ、幻覚で精神を掌握する。

 シルクハットの真上まで肉薄した『淫魔』に、伊達男は視線を向けることなくステッキを突き出す。硬質素材で加工された先端が、したたかに女のみぞおちを打つ。

「おぐゥ……!?」

 うめきながら橋梁のうえに不時着した『淫魔』は、痛打に身悶えつつ、前屈みにひざをつく。とっさに、顔をあげる。『伯爵』の姿が、ない。

 ロングウェーブヘアを振り乱しながら女が左右の様子を探っているとき、燕尾服の伊達男は、一本橋の裏側にいる。

 引力フィールドを展開して、天地反転した状態で立つ『伯爵』の頭上には、見通せぬ闇をたたえた深淵が顎を広げている。

「フン──ッ」

 スーパーエージェントは、シルクハットのなかから鉄球を取り出すと、ステッキの先端で真横に打ち出す。複雑に張り巡らされた力場に従い、ジグザグの軌道を描く。

 橋梁の上面にいる『淫魔』の耳にも、鋭い風切り音が響いてくる。

「あぅ……ッ!!」

 複雑なカーブで飛翔する小型の質量体が、『淫魔』の華奢な身体に真横から叩きつけられる。ゴシックロリータドレスの女は、円筒空間の壁面まで弾き飛ばされる。

 背中の黒翼を大きく広げ、壁を蹴り、『淫魔』は一本橋のうえへと舞い戻ろうとする。できない。強力な磁石で張りつけられたように、背中が離れない。

「……ふむ。ずいぶんと、やんちゃなレディであることかね。当社とのいざこざがあるとはいえ、貴女はここまで無茶をするとは思っていなかったが」

「グリン──」

 悪態をつくような表情で、『淫魔』は真正面をにらみつける。涼しい顔の『伯爵』が、まるで平らの道を歩くかのように、悠々と橋梁のうえへと戻ってくる。

 その間、ゴシックロリータドレスの女はなおももがくか、その身は微動だにしない。目前の男が操る引力フィールドによって、張り付けにされたことを理解する。

「我輩としては、『社長』への手みやげが増えたとあって、望ましい限りだが……貴女にとっては、残念きわまりないところかね」

 感情が読めぬ声音で、『伯爵』が『淫魔』に話しかける。その目元は、シルクハットのつばでおおい隠されている。張り付けの女は、舌打ちする。

 スーパーエージェントの操る力場が符を媒介とするように、『淫魔』の幻覚も自由自在とはいかない。発動のための条件が、存在する。

(この男……初めからわかっているのだわ)

 幻覚能力を100%発揮するためには『肉の接触』が、次善の条件としては『視線の交錯』が必要になる。この前提を満たさない場合、効果は極端に低下する。

 ゴシックロリータドレスの女を十分な距離をとって束縛した『伯爵』は、シルクハットで目元を隠し続け、決して視線をあわそうとしない。

 それでも『淫魔』は、悪あがきするように、『伯爵』を凝視し続ける。

「さて、貴女のほうは投降する気はあるかね? 我輩にくだるのであれば、レディに対してこれ以上の蛮行を避けることができ、望ましい」

「『伯爵』……あなたの使うこの重力制御、召喚術じゃないかしら。引力と斥力を、どこかから『召喚』している……違う?」

 張り付けの女が口にした指摘を聞いて、双眸をうかがえないスーパーエージェントの肩がぴくりと揺れる。『淫魔』は、なおも言葉を続ける。

「あなたの持つ黒い札……最高品質のユグドライトから削りだして作った特級品の召喚符じゃない? それを数十枚も所持して、使いこなすなんて大したものだわ」

「……いまさら、我輩をおだてたところで譲歩を引き出せるとは思っていないだろう。単純な好奇心というのなら、お得意の読心で確かめてみたらどうかね?」

「召喚符ってのは、要するに小さくて限定的な『門』だわ。本質的なところでは、私が使っていた『扉』や、セフィロト社の『ゲート』と変わらない」

 右手の違和感に気がつき、『伯爵』は視線を落とす。人差し指と中指のあいだに挟んだ『重力符<グラビトン・ウェル>』の一枚が、小刻みに震えている。

「はじめから、あなたのことなんか『見て』いないのだわ。どうせ、視線をあわせてなんてくれないでしょ?」

「『淫魔』……ッ! なにをしているのかね!?」

「ずっと疑問だったのだわ。私の感覚では、アサイラはすぐそこにいるはずなのに、姿が見えないのだもの……収納したわね、そのなかに」

「なにをしているのか、と質問している……ッ!!」

「おあいにくさまだわ。いままでの経験で、『門』の扱いにはこなれちゃったの」

 所有者の意志とは無関係に、スーパーエージェントの手の内にある漆黒の札が励起する。『伯爵』の意志を、受け付けない。

「『淫魔』……さきほどから貴女が凝視していたのは、我輩ではなく……この『重力符<グラビトン・ウェル>』のほうだったというのかね!?」

「もちろん、完全な掌握なんて無理、だけど……本来の用途とは違う、無茶な使い方しているでしょ? だから……少しだけ乗っ取れば、十分だわ」

 にやり、と口元をゆがめながら、なおも『淫魔』は視線から魔力を注ぎ続ける。極度の集中から生じた汗の粒が、額に浮かぶ。

 張り付けの女が凝視する黒い符の、表面に刻まれた魔法文字<マギグラム>が、『伯爵』の手の内で淡い光を発しはじめた。

【窮鼠】

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