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【第2部18章】ある旅路の終わり (10/16)【誤断】

【目次】

【殴打】

(いまのトゥッチの拳……銃弾は見あたらなかった……ッ!)

 質量体によって真横方向へ身体をはね飛ばされながら、いましがた喰らった一撃について『伯爵』は思案する。

 コーンロウヘアの男の転移律<シフターズ・エフェクト>は、銃弾を石柱に変じるもの……その判断に、瑕疵があったか。

 満身創痍の伊達男の肉体が地面にバウンドし、ごろごろと重力の沼へと向かって転がっていく。踏みとどまろうにも、四肢が言うことを聞かない。そのまま、足場の縁まで運ばれていく。

「くう……ッ!」

 ぼろ布のようになった『伯爵』の躯体が、足場のうえから眼下を満たす漆黒の力場のうねりへと落下しそうになる。かろうじて動いた左手一本で地表をつかみ、身を支える。

 重力兵器の残滓である、エネルギーの淀みに足の指先が触れる。無数の亡者の見えざる手がからみつき、深淵の底へと引きずりこもうとする。

 満身創痍の伊達男は、スズメの涙ほど己に残された力を振り絞り、必死に生存へとしがみつく。もし落下すれば、二度と生きて浮上することはかなわないだろう。

「ふむ……決して相容れない価値観の持ち主同士ではあったが……死に際のオワシ社長も、このような心持ちだったかね……?」

「往生際の悪さは、戦場では美徳……だったか? おじん。無様だぜ、これがな」

 顔をあげた『伯爵』の視線の先に、さげすみと苛立ちの混じった表情で見下ろしているトゥッチの姿がある。

 コーンロウヘアの征騎士は、右足をあげると、満身創痍の伊達男の文字通り命綱となっている左手の甲を踏みつける。

「うグォ……ッ!?」

 死に体の『伯爵』は、苦悶の声をこぼす。足場と重力が不安定な戦場に対応するためか、トゥッチのブーツの靴底にはスパイクが仕込まれていた。鉄爪が、満身創痍の伊達男の手に傷を刻む。

 このままコーンロウヘアの征騎士にいたぶられ、重力の沼のなかへと突き落とされるか。踏みにじられ、血のにじむ左手の痛みに『伯爵』は耐える。

「そう簡単には殺さねえよ、おじん。おたくのことは、セフィロト時代から気に喰わなかったって言ったぜ、これがな」

 トゥッチが、足をどける。皮と肉を引き裂かれ、赤く染まった左手の甲に、四角形をふたつ重ねたような『印』が浮いている。先刻、殴りつけられた拳にも見えたものだ。

「おじん。おれっちの転移律<シフターズ・エフェクト>──『質量押印<マス・スタンプ>』のことを勘違いしているようだから、教えてやるよ。冥土のみやげってヤツだ、これがな」

 冷酷な声音で告げたコーンロウヘアの征騎士は、ぱんと両手を叩き、『伯爵』に向かって手のひらを広げて見せる。その表面に、小さな『印』が浮かんでいる。

「おれっちの『質量押印<マス・スタンプ>』は、導子力を『印』として封じ、質量体……つまりは石柱として解放する能力だ、これがな。銃弾を利用していたのは、媒介として使いやすかっただけだ」

 トゥッチの手のひらのうえに、先ほどまでの戦闘で現出した石柱のミニチュアサイズが生じる。コーンロウヘアの男は、小型の質量体でジャグリングしてみせる。

「ふむ……貴公は、セフィロトエージェントの頃から、なにかと質量兵器にこだわっていたが……なにかトラウマか、それともコンプレックスでもあるのかね?」

「おじん。これから先、少しでもマシな運命をたどりたいんだったら、言葉に気をつけることだ、これがな」

 トゥッチは、手のひらのうえでもてあそんでいたミニチュア石柱を『伯爵』の顔面に投げつける。満身創痍の伊達男の指がすべり、思わず滑落しそうになる。

「おいおいおい。勝手に死ぬんじゃねえぞ、おじん。おたくの生殺与奪は、おれっちの権利だ、これがな」

「ふむ……まだ、我輩を生かす理由があるのかね……?」

「減らず口はつつしめよ、おじん。おれっちがその気になった瞬間、おたくの左手の甲に刻んだ『印』から石柱が生えて、手首から先を押しつぶすわけだ、これがな」

 コーンロウヘアの征騎士は腰を落とし、『伯爵』と顔を近づける。相手を威圧する獰猛な輝きが、双眸に宿る。

「最後通牒だ、おじん。ここで全面降伏するなら命だけは助けてやる、これがな」

「ふむ……貴公、我輩のことを嫌いだと言っていたが……これは、かつてセフィロトエージェントの同僚だったよしみ、というものかね……?」

「勘違いするなよ、おじん。おれっちは単純に自分の手柄を大きくしたいだけだ、これがな。死体より、生きた身柄を持ち帰ったほうが使い道は多いだろうさ」

 トゥッチは立ちあがると、どうする、と問うかのように満身創痍の伊達男へ両腕を広げて見せる。当の『伯爵』は指先が、しびれてきた。石柱を使われずとも、そう長くはもたない。

「……我輩がグラトニアの軍門に下ったとして、どのような扱いを受けるのかね?」

「反抗的な態度をとり続けるのなら、プロフのモルモットにでもまわされるだろう。だが、皇帝陛下は寛大な御方だ。忠誠を誓えば臣下として認められかもしれねえ、これがな……グハハハハッ!」

 コーンロウヘアの征騎士は感情を爆発させたかのごとく、突然、耳障りな笑い声をあげる。

「ハハッ! ハハハ……それでも、おじん。おたくが、おれっちよりも出世することは未来永劫あり得ねえんだ、これがな。せいぜい、こき使ってやるよ……負け組<ルーザー>!!」

 嘲笑し続けるトゥッチを、『伯爵』は侮蔑の眼差しで見あげる。満身創痍の伊達男の視線に気づいたコーンロウヘアの征騎士の顔から、感情が消える。

「おい、おじん。あまり、おれっちを待たせるな……このシチュエーションで、選択の余地があるか? とっと返事を聞かせるんだ、これがな」

「ふむ……さあて、どうしたものかね……」

 苦悶の表情を隠せず、額から脂汗を垂らしながら、なお満身創痍の伊達男は明確な返答を口にしない。もとより、降伏する選択肢などない。

 グラトニア帝国は、背面服従を許すような甘い組織ではないだろう。投降すれば、おそらく長期間、厳重に身柄を拘束される。それでは、『伯爵』は目的を果たせない。

 さりとて、現状もチェックメイトの一歩手前だ。だが、完全に詰んだわけではない。トゥッチは圧倒的優位をまえにして、勝利以上の利益を引き出そうとしている。

 コーンロウヘアの征騎士のことは、セフィロト社のエージェント時代からよく知っている。相も変わらず、詰めの甘い男だ。

 万にひとつでも致命的な隙を見せる可能性があるならば、そこに賭ける。どれだけ細い糸であっても、たぐりつづける。あきらめの悪さは、戦場では美徳だ。

「……もういい、面倒になった。終わりにするぜ、おじん。ハメ殺しだ、これがな」

 トゥッチは、指を鳴らそうとする。石柱を現出させる合図だ。ここまでか。『伯爵』は死を覚悟しつつも、無念に歯ぎしりする。

「──ッ!?」

 だが、質量体が満身創痍の伊達男の左手を押しつぶすことはなかった。なにかイレギュラーな事態が発生したのか。コーンロウヘアの征騎士はとっさに振りかえり、『伯爵』に背を向けた。

【足音】

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