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【第2部29章】至高の騎士、最強の刃 (13/16)【屍山】

【目次】

【未来】

 数え年で、齢5つのときだったと思う。

 イクサヶ原の片隅の貧村を挟んで、サムライ同士の小競り合いが起こった。100人に満たぬ足軽、10騎足らずの騎竜。

 戦とも言えぬほどの規模の衝突は、日が暮れるまえに終わり、貧村は地図のうえから消える。イクサヶ原の残酷な、しかしありふれた出来事。になるはずだった。

 3日経っても、配下の足軽はおろか、戦況を知らせる伝令すら戻ってこないことを不思議に思った片方の陣営のサムライは、家中のものから腕利きを護衛につけ、自ら現場へ向かった。

 うらさびれた貧村には、死体を見慣れた武士の目にも信じられぬ光景が広がっていた。農民も、足軽も、飼い慣らされた恐竜も、生きているものは、なにもいなかった。

 ただひとつの例外は、血塗れたなまくらの包丁を手にして屍の山のうえに座る、ひとりの子供の姿だった。

 浮き世離れした気配をまとう童に対し、鬼か妖のたぐいに違いないと斬り捨てようとする護衛を制止して、主人はなにが起こったのか尋ねた。

 稚児は、自分の住む村をサムライたちが蹂躙し、皆殺しにしたので、皆殺しにしかえしてやった、と言う。にわかに信じられる話しではない。

 子供故の妄言に決まっている、とわめく護衛の反対を押し切って、それでも主人は童を連れ帰り、養子として育てることにした。その言葉に偽りがなければ、恐るべき武人の天稟を持っているはずだ。

 主人は、童に衣食住を与え、最低限の教養と礼儀作法を教えた。しかし、肝心要の斬術だけは、教えることはできなかった。

 木刀を手にしただけで、齢に似合わぬ鬼神のごとき強さを発揮し、家中のものは誰も歯が立たない。高名な剣の師範を遠方から呼び寄せるも、結果は変わらない。なかには童に打ち負かされて自信を失い、武士の道をあきらめるものまでいた。

 稚児は、結局、ひとりで素振り稽古ばかりしていた。あるとき、庭に生えていた大木を打ちつけたところ、そのまま根本からへし折れた。庭石を叩けば、木っ端みじんに砕け散った。

 屋敷から抜け出し、夕刻に血塗れになってきたこともあった。野生の肉食恐竜を、木の枝で殴り殺してきたという。主人は無断での外出を固く禁じ、他の者は聞かなかったふりをした。

 齢、10になるころ、少年は小間使いとして合戦場に同行した。養父の仕える主君である大名が、ニンジャに暗殺されそうになり、手近にあった小柄を使って返り討ちにした。

 剣に愛された童の話は、大名家の家臣や配下のサムライにも知れ渡っていった。皆、稚児の才能をたたえ、同時に恐れた。

 やがて、少年は元服の歳を迎えた。養父とともに主君の大名屋敷に招かれ、祝宴が開かれた。

 名もなき貧村の産まれから、いずれイクサヶ原に並ぶものなきサムライとなることを願い、「登龍左衛門<とりゅうざえもん>影光<かげみつ>」という名を、刀とともに賜った。縁起の良い名だ、と養父は喜んだ。

 かつてニンジャの襲撃から命を救われた恩もあり、元服した少年に対する主君の覚えは良かった。ほろ酔いの大名は、童だった青年に対し、なんぞ望むものはないか、と尋ねた。

 登龍左衛門<とりゅうざえもん>という名になった少年は、主君との真剣での手合わせを所望した。童のころの彼と稽古したことがあるものたちは、一斉に息を呑んだ。

 養父が額に冷や汗を浮かべ、大名のそばに歩み寄り、なんぞ耳打ちする。主君は、笑いながら首を振り、己の刀を手にすると庭に降り、少年と向かいあった。

 主君と若武者が、刀を構えて対峙した刹那、大名サムライの首が飛んだ。噴き出す鮮血が庭の白石を汚し、祝宴のゆるんだ空気が一変した。

 サムライどもが杯を投げ捨て、刀を抜いて、登龍左衛門<とりゅうざえもん>のもとへ殺到する。皆、口々に「謀反もの!」「恩知らず!」「恥を知れ!」と血相変えて叫んでいる。

 元服したばかりの少年が刃を振るうと、束ねた稲藁のごとく数人まとめて両断される。血飛沫をあげる屍をかきわけて、さらに次のサムライが近づいてくる。

 そのなかには、養父の姿もあった。顔は青ざめ、わなわなと全身を震わせていた。「なんということをしでかした!」と怒鳴っている。

 登龍左衛門<とりゅうざえもん>は、横薙ぎに刀を振るう。養父の上下半身が分かたれ、臓物の破片が散らばった。

 元服したばかりの少年は、周りの人間たちの感情が理解できなかった。大名……すなわちサムライを従えるサムライならば、どれだけ強いのかと思い、試してみたかっただけなのに。

 登龍左衛門<とりゅうざえもん>は、たんたんと作業でもするかのように刀を左右へ振り続けた。ひとつの円弧を切っ先が描くたび、血が飛び散り、複数個の屍が増えた。日が沈み、月が昇り始めたころ、大名屋敷には血染めの少年以外、動くものはいなくなった。

 登龍左衛門<とりゅうざえもん>は、女子供までは斬るつもりはなかった。情けというよりは、単純に斬るに値するほどには強くない、と思ったからだ。

 しかし、小刀や薙刀を手にして、向こうから飛びかかってきた。「殿の仇!」「死んでわびろ!」などとわめきながら。

 少年の間合いに入った瞬間、命が散ったのは向こうだった。そうでない人間は、自害していた。ふつうは逃げるものだろう、と登龍左衛門<とりゅうざえもん>は思う。サムライや、その周辺の人間が考えることは理解できない。

 欠けた月が背を照らすなか血染めの少年は、ほとほとうんざりしたという様相で、ため息をつく。あまりに弱い。弱すぎる。まるで楽しくもなんともない。

 せっかくもらった刀は、それなりの業物だったろうに、刃こぼれし、血糊にまみれ、すっかりなまくらと化していた。

 登龍左衛門<とりゅうざえもん>は、賜った剣を無造作に投げ捨てると、屍のなかから多少はましな刀を探し出して、鞘に納めて、腰に差した。

 着替えは見つからなかったので、血を吸った小袖を身にまとったまま、少年は動くもののいなくなった屋敷をあとにした。かくして、イクサヶ原の大名家がひとつ、一日にして消滅した。

 主君と養父を手にかけ、仕える家すら滅ぼした少年のうわさは、元服のおりに賜った『登龍左衛門<とりゅうざえもん>』の文字を置き換えた『屠龍斬ヱ紋<とりゅうざえもん>』という忌名でささやかれるようになり、それすらも不吉だと略して「トリュウザ」と呼ばれるようになった。

【血河】

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