【第2部2章】震える闇夜のその果てに (3/3)【鍛錬】
【魂跡】←
「それでは、よろしくお願いいたします。龍皇女陛下」
岩肌の地面のうえに正座するミナズキは、両手をつき、深々と頭を下げる。正面には、巫女装束のエルフと同じ姿勢で座するクラウディアーナの姿がある。
「こちらこそ、ですわ。ミナズキは、すでに相当な魔術の修練を積んでいるようですから、問答形式で互いの知識を交換しましょう」
「恐悦至極にございます……」
「ディアナさまー! 本当にだいじょうぶなのね!?」
ミナズキのか細い声と重なるように、メロがかしましく叫ぶ。龍皇女は、優美な仕草で背後を振りかえる。
クラウディアーナを挟んでミナズキの反対、龍皇女の背中側には、魔法少女の姿に変じて、得物のフラフープを両手ににぎるメロの姿がある。
「うふふふ。上位龍<エルダードラゴン>を甘く見てもらっては困るのですわ。わたくしに一撃を当てるつもりで全力で攻めてきなさい、メロウ」
ふたたびミナズキのほうに向きなおったクラウディアーナの背に、白銀の燐光を放つ龍翼が一枚だけ現出する。
「メロウの慣れ具合にあわせて、少しずつ羽を増やしていきます。わたくしへの遠慮は無用ですわ」
背中を向けたまま、しかも本来なら六枚あるはずの翼を一枚だけ、というハンディキャップは、魔法少女のプライドを少しばかり傷つけたようだった。
「むむむ。いくらディアナさまとはいえ……ケガしても知らないのね!」
メロは、手のなかで二輪一対のフラフープを高速回転させて、クラウディアーナに向かって駆けこんでいく。
「それでは、ミナズキ。こちらもはじめましょう」
「は、はい……メロは、だいじょうぶかしら」
「とりゃあぁぁーッ!」
薄桃色の華やかな装束をはためかせながら、魔法少女は左右のリングをクロスするように振りおろす。
刹那、龍翼の先端がつつくような動作で攻撃の軌道をそらす。クラウディアーナの動き最小限だったにも関わらず、メロの細腕が大きくはじかれる。
「まずは、魔法文字<マギグラム>の基本文法から。わたくしの世界では、対象と現象をこのような形式で書き記しますわ」
「此方が修めた符術でも、おおむね、同じような文法です。あの、ですが、メロは……」
「ええーいッ!!」
魔法少女は大きく振りかぶって、フラフープを投擲する。ぎゅん、と回転速度を増す大輪は弧を描く軌道で、防御をかいくぐろうとする。
対するクラウディアーナの龍翼は、先回りするようにリングの進行路をふさぐ。正面から受け止めず、あえて受け流すような動きだ。
「魔術体系の共通点よりも、相違点に着目したほうが、知見があるかもしれませんわ。たとえば、このような術式の場合は?」
「は、はい。確かに、その場合は違います。符術巫は基本的にこのように……しかし、メロが……」
「あわわわ──ッ!?」
龍翼によって軌道をずらされたフラフープは、持ち主であるはずのメロに向かって迫り飛翔する。
大振りで投げつけたため体勢を崩していた魔法少女は、すんでのところでリングをかわし、それでもなお、回転軌道が追いかけてくる。
「ミナズキ、聞いていますか。気をそらしてはいけませんわ。それとも、長旅の疲れが出てきましたか?」
「申し訳ありません、龍皇女陛下。やはり、メロのことが心配で……」
「ぐぬぬううぅーッ!!」
魔法少女は、己の正中線に命中しそうになった高速回転するフラフープを、片割れのリングを両手でかまえて受け止める。
持ち主に襲いかかるフラフープは、火花を散らしつつ、上方にはじき飛ぶ。執拗な逆追跡はようやく止まるが、メロもたまらず尻もちをつく。
「今日はここまでですわ、メロウ。明日は、もう少し粘れるように」
「……これだけハンディをもらったのに、ぜんぜん歯が立たなかったのね」
「ミナズキも、メロウに気を取られすぎですわ。仲間思いは感心ですが、わたくしとの問答は、精神集中の鍛錬でもあると思うように」
「は、はい。申し訳ありません、龍皇女陛下……」
「それでは、二人とも休息をとりましょう。わたくしたちの目的は、虚無空間を抜けること。ついでの鍛錬で疲弊してしまっては、本末転倒ですわ」
クラウディアーナは、ミナズキとメロに微笑みかける。二人の少女は恥ずかしそうにうなずき返すと、龍皇女の翼のなかへと潜りこんだ。
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「これも、龍皇女陛下の魔法<マギア>によるものかしら……」
淡く優しい光を帯びた龍翼の天幕のなかで、ミナズキはつぶやく。気を抜けば心と体が霧散して消えてしまいそうな虚無空間にあって、この空間は安らぎをもたらしてくれる。
巫女装束のエルフは、短い時間ではあったが、さきほどのクラウディアーナの教唆を頭のなかで整理しようとする。
符術の師匠でもある己の養父の教えと、上位龍<エルダードラゴン>の姫君の言葉。その共通点と相違点を、反芻し、比較していく。
そうこうしているうちに、次第に目が冴えてきてしまう。すぐに自分を呑みこむかと思っていた眠気が、いまはどこか遠くに離れてしまった。
「普段は、考えごとをしているうちに眠くなるものだけど……旅の疲れが、気を昂ぶらせているのかしら?」
ミナズキは、龍翼のそとの気配をうかがうと、這い出ていく。岩肌のうえに座った姿勢で目を閉じる龍皇女の姿がある。小さくメロの寝息も聞こえてくる。
上下左右、全方位は漆黒に染まり、静寂に満ちて、遠くに存在する無数の次元世界<パラダイム>が、星のような輝きを放っている。
「なにかしら……?」
立ちあがったミナズキは、妙な、漠然とした胸騒ぎを覚える。星々の瞬きが、まるで、なにかにおびえ、ざわついているかのような……
巫女装束のエルフは、不安を断ちきるように首を振る。その場でしゃがみこむと、人差し指を地面の岩肌に伸ばす。
龍皇女が刻んだ魔法文字<マギグラム>と基礎的な講義、そこに足りない知識は符術の経験で補足して、見よう見まねで魔法陣を描く。
ミナズキが小さな円陣を刻むと、ぽっ、とろうそくのような灯火が現れる。その明かりを頼りに、懐にしまっていた自分の手荷物をあらためる。
とはいっても、大したものではない。符術巫の仕事道具である、筆と硯くらいのものだ。ミナズキは、小さくため息をつく。
消耗品の損失は、さらに深刻だった。符を描くために使うインゴット状の霊墨は残り一丁のみ。
描きためた符はとうに使い切り、新たに作るために必要となる霊紙も、セフィロト本社の決戦ですべて尽きた。
「この先、どこかで補給できるかしら……」
巫女装束のエルフは、ふたたびため息をつく。霊紙は、霊脈上に生える植物を特殊な製法ですきこんで作られる。陽麗京以外で手にはいるとは思えない。
符術が使えないとなれば、自分は足手まといにしかならない。となれば、龍皇女から新たに魔術を習いなおすか。だとしても、しばらくは素人だ。
「復習ですか、ミナズキ? 勉強熱心なのは感心ですが、徒歩の長旅においては休息も重要ですわ」
三度目のため息をつこうとしたミナズキに、クラウディアーナが声をかける。メロを起こさぬよう潜めた声が、それでいて虚無空間に凛と響く。
「ミナズキ、そなたが手にしているユグドライト──霊墨ですけれども、その使い道にひとつ、案がありますわ。わたくしのアイデアに乗ってみませんこと?」
龍皇女の申し出に、巫女装束のエルフは目を丸くする。クラウディアーナは不安を吹き飛ばすように、にこり、と笑いかけてみせた。
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