【第2部22章】風淀む穴の底より (8/8)【焼却】
【熱量】←
「バカなッ!? 二酸化炭素を充填した最下層に、『死禁錠<デス・ジェイル・ロック>』も付けずに入ってきて、なにを涼しい顔をしているのさ!!」
「……二酸化炭素? のんべんだらり、空気の淀みがあんまりひどいものだから、入れ替えさせてもらっているのよな……」
「できるわけねえのさ、そんなことッ!!」
征騎士ロックは、腰のホルスターからサブウェポンの拳銃を引き抜き、着流しの女に向けてトリガーを絞ろうとする。
──ズガアンッ!
「あギがッ!?」
男の握りしめたオートマティック・ピストルが、右手ごと破裂する。あまりの高熱環境のため、弾薬が暴発した。
「さもありなん……機械ってのは、こういうとき不便なのよな」
「なめたこと、言ってくれるのさ……女ァ!!」
征騎士ロックは、着流しの女に格闘戦をしかけようと駆けこんでいく。相手は、間合いの外から刀を振るう。刃から炎の筋が放たれ、消えることなく男の両足首を焼き切る。
「アが……!!」
男は、勢いあまって顔から転倒し、切断された両足とともに床に転がる。極度の高温環境にとどまり続けた結果、己の四肢は乾燥しきり、骨と皮だけといった様相になっている。
征騎士ロックは露骨な戸惑いを覚え、表情をゆがめる。眼前に転がっている自分の身体の一部は、まるで墓のなかに納められたミイラだ。
「のんべんだらり……アンタ、自分だけは死なない、って思っているのよな。アタシが、いっとう嫌いな男だよ」
氷のように冷め切った灼眼で男を見下ろしながら、着流しの女は言葉を投げかける。征騎士ロックは、うつ伏せに這いつくばりながらも、相手をにらみ返す。
「それが、どうしたってのさ……オレな、死ななくなる転移律<シフターズ・エフェクト>を選び取ったんだ……ソイツを有効活用して、なにが悪いッ!?」
「さもありなん。問答しても、無駄なのよな……鏡があったら見せてやりたいよ。いまのアンタ、干からびちまって、とても生きている人間の姿じゃない」
着流しの女の言葉を聞いて、死刑宣告を言い渡されたように、男は心臓を鷲掴まれた冷たい感触を覚える。
征騎士ロックの『死禁錠<デス・ジェイル・ロック>』は、人を死ななくするが、肉体の損傷や変質までは干渉できない。
オーブンの内部のような高熱の地下室に居座り続けた身体は、いま、どうなっている? 完全に水分の蒸発した筋肉は、ジャーキーのように乾燥している。おそらく、血液も完全に凝固しているだろう。
いま、自分のなかに──生物学的な意味で──生きている細胞は、残っているのか? 無くなったのならば、それは生きていると言えるのか?
死ぬような重傷を負っても、猛毒に冒されても、ひとつでも細胞が生きていれば、プロフの再生手術によって肉体を修復できるだろう。だが、すべての体細胞が死んでいたとしたら、どうなる?
征騎士ロックは、ぶんぶんと首を左右に振る。いま、考えることではない。それに、プロフの技術力を舐めてはいけない。
征騎士序列2位の技術局長どのが、旧セフィロト社からもたした導子技術の数々は、グラトニア帝国における多くの不可能を可能にした。いけ好かないが、『魔女』の操る魔法<マギア>も底が知れない。
「……で、女。ここから、どうするつもりなのさ? オレのことを、八つ裂きにでもするか?」
「のんべんだらり……それじゃあ、アンタ、死なないだろう? けしかけられた犬だって、そうだった……」
「なら、どうする気なのさ……酸素が存在しない、二酸化炭素を充填した最下層で、オマエな、お得意の火を使うことは……」
「……できる」
着流しの女は、鋭利な刃物のように短く言い切る。倒れ伏す男は、思わず気圧される。
「アタシは、鍛冶職人だ。仕事柄、炉の構造や、火と風の間柄については修業時代から、イヤと言うほど叩きこまれたのよな……」
女は、男を灼眼で見据えつつ、淡々と言葉を告げる。
「炉のなかで火が燃えるためには、風の入口と出口が必要なのよな。生き物が、息を吸ったり吐いたりするのと同じだ」
「ガキの理科の授業か? だから、オレな、空気の通りようのない地下の底に籠城したのさ」
征騎士ロックの反論に対して、着流しの女は無言で頭上を指さす。男はつられて、視線をあげる。破壊されて、地表まで貫通する穴が開き、薄雲にかすむ空が見える。
「これが、ひとつめの口……そして、ふたつめは……」
灼眼の女鍛冶は、自分のうしろを親指で指し示す。破壊された隔壁と、その奥に伸びる階段が見える。着流しの女の背後から風が吹きこみ、馬の尾のように束ねられた黒髪がたなびく。
「さもありなん。天井を砕くのも骨だったが、全部のからくり落とし戸を壊すのも手間だったのよな……」
「蛮人が、馬鹿げた理屈を言うのも大概にしな! 穴がふたつあるだけで空気が通るなら、苦労はしないのさ!! オマエな、二酸化炭素の比重を知っているか!?」
征騎士ロックは、灼眼の女鍛冶の言葉をさえぎるように声を荒げる。着流しの女の呼吸と表情は、いささかも乱れない。
「のんべんだらり。逆に聞くが……熱した風は、どこへ行くのよな?」
男は、はっ、と目を見開き、頭上にあけられた穴をあおぎ見る。女が落とした瓦礫たちは、いまだ強い熱を帯びて、しゅうしゅうと音をあげている。
「そう。熱気は、昇っていく。煙突の穴が、うえにある理由なのよな。そして……アンタの頭上は、いまや煙突だ」
征騎士ロックは、左腕一本で身を支えて立ちあがろうとして、転倒する。灼眼の女鍛冶の背中から、一陣の強い風が吹きこんでくる。
熱された二酸化炭素は上昇気流となって地表へと逃げだし、代わりに女の背側の穴から大量の酸素が供給される。
「あギぎガガ──ッ!?」
男は、断末魔の声をあげる。リンカが手を出すまでもなく、征騎士ロックの肉体は『死禁錠<デス・ジェイル・ロック>』とともに自然発火し、ぼうっと火柱になって一瞬のうちに消し炭と化した。
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