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オーバーステイの代償 Chapter6 六本木ヒルズ

2009年4月。俺は六本木ヒルズのゴールドマンサックスのオフィスの常駐警備員になった。セキュリティオフィサーとかいうポジションだ。俺は28歳になっていた。ロビーの隅っこでずっと立ってるのが主な業務だ。

6ヶ月間沖縄のマグロ漁船で漁師として働いた後、俺はマグロ漁船を降りて、和歌山にある実家に戻り、就職活動を再開した。英語力が活かせる仕事でヒットしたのが、東京の警備会社の求人案件だった。赤坂にあるオフィスで面接を受けた。後日メールで連絡があり、是非採用したいとの事だった。マグロ漁船を降りて、一月ほど後の事だった。

住む場所も見つかった。湘南の藤沢にカリフォルニアでルームシェアしたアメリカ人の友達が住んでいた。彼は日本でECCの英語の先生になっていた。彼が住んでいる3LDKのタウンハウスに、1部屋空きがあるとの事で、一緒に住む事になった。

2008年の9月に起きたリーマンショックで、ゴールドマンサックスも相当な数の人員削減が行われたらしく、オフィスには空きスペースが結構あった。六本木ヒルズには以前リーマン・ブラザーズのオフィスがあったが、そこは野村證券のオフィスにかわっていた。48階のトレーディングフロアにはゴールドマンサックス社員専用のスタバが入っていた。43階にはジムがあって、日中そこでパーソナルトレーナーを呼んで、トレーニングをしている社員がいる。

ゴールドマンサックスの社員は生粋のエリートといった感じだった。完全な勝ち組。男性社員は高級そうなスーツに、高級そうなネクタイ。いかにも仕事ができそうな感じだ。女性社員は、黒のスーツに靴底が赤いヒールを履いている女性が目立った。クリスチャンルブタンというブランドの靴だということは、後で知った。トレーダーの連中は、鞄を持たずに手ぶらで出勤する。ピンク色の英語の新聞を片手に、自信に満ち溢れている様だっった。彼らの様な日本のトップエリート達は、まるで異次元の住人の様に思えた。生まれた場所、育った環境、家庭環境や世帯収入等、一体どんな生い立ちだったのか?、どうすれば彼らみたいになれるのだろうか?なぜ彼らはエリートになる方法を知っていたのだろう?等と想像を膨らませた。

俺はただロビーの隅っこで立っていれば良かった。真っ直ぐ前を見て、セキィリティゲートを通過する社員をひたすら見ていた。俺に会釈や挨拶をする社員は殆どいなかった。俺も決して媚びは売らない。愛想笑いをする事など、殆どなかったし、警備員の愛想など、ゴールドマンサックスでは求められていなかった。ただひたすらシフトをこなし、夜勤も日勤も働いた。24時間勤務をすることもあった。稼いだ金を使う機会はあまりなく、ゆうちょの貯金額は増えていった。

東京で仕事する事も、関東に住む事も、最初は違和感を感じていた。関西で育った俺には、首都圏の空気感がストレス要因になった。日本にいながら、カルチャーショックを受けることが多かった。ある朝、満員の東海道線の車内で、突然立ちくらみし、失神した。なんでこんなに電車が混んでいるのか?なんでみんなこんなこと毎日できるんだ?こんな毎日がいつまで続くのか?マグロ漁船に比べれば、なんてことはない。そう自分に言い聞かせ、耐えた。慣れるしかなかった。

仕事は上手くいっていた。外資金融企業という場所であるが故に、英語力を存分に活用できる環境だった。俺は異例のスピードで昇進し続け、ロビーで立ちっぱなしの業務から、中央監視室のオペレーターになっていた。いつか自分もゴールドマンサックスのエリート社員の様になりたい。そう思うようになった。そんなある日、夜勤を終えて帰宅中の恵比寿駅のホームで、顔見知りの社員男性と一緒になった。まつうらさんだ。彼は為替の部署に所属していて、いつも夕方に出勤して、朝帰宅していた。彼は俺に会釈してくれる、数少ない社員さんだった。いつも日焼けした肌に白いラルフローレンのボタンダウンシャツを着ていた。彼はいつも白いシャツを第2ボタンまで開けていて、ちょいワルな雰囲気だった。

まつうらさんは、俺に気づいて、人懐っこい笑顔で話しかけてくれた。話を聞くと、俺と同じ藤沢に住んでいるとの事だった。しばらく近所ネタで盛り上がっていると、藤沢方面に向かう湘南新宿ラインが到着した。グリーン車に乗ろうとするまつうらさんに、俺は「お疲れ様です、また」と挨拶した。するとまつうらさんは、「いやいや、俺払うからさ、一緒に乗りましょうよ」と言い、俺はお言葉に甘える事にした。生まれて初めて乗るグリーン車だった。

その日から俺はグリーン車で通勤するようになった。満員電車で体力を使うのは、非効率的だと考えたからだ。エリートになりたければ、エリートの真似をしてみようと思った。そうすれば、エリートに近づけるかもしれない。実際、グリーン車で通勤し始めると、世界がガラッと変わった。グリーン車での通勤は殆ど眠っていたが、その代わり仕事では高いパフォーマンスを出せるようになっていった。

ゴールドマンサックスでの警備員生活も2年が経とうとしていたところ、シティバンクの正社員ポジションに推薦された。セキュリティマネージャーというポジションだ。ゴールドマンサックスでのセキュリティオフィサーとしての実務経験を評価され、俺はシティバンクから採用のオファーレターを受け取った。年俸570万円。終身雇用が明記されたオファーレターにサインした。2010年12月の事だった。手錠をかけられてLAXまでエスコートされた日から、3年が経っていた。

続く

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