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【ブルーハーツ】甲本ヒロトはなぜ宗教批判をしたのか『ヒューストン・ブルース』にみる怒り【THE BLUE HEARTS】

・はじめに

この記事は『夕暮れ』の歌詞考察のあと、追記と補足として書く予定だったものを長くなりすぎたために別記事としてまとめたものです。
こちらを単体で読んでも問題ないですが、『夕暮れ』の記事を読んでもらえると話が理解しやすいと思います。


・甲本ヒロトはなぜ宗教批判をしたのか


私は自身が宗教に詳しいということもあって、ブルーハーツ・ヒロトの代表的な曲である『情熱の薔薇』『夕暮れ』の歌詞を宗教批判のものとして考察しました。

このことについて私なりに、その理由をこれから述べたいと思います。

そもそもブルーハーツというバンドは何かといったとき、それは間違いなくパンクです。
そして、ブルーハーツにおけるパンクのメッセージは偽善的な社会や大人に対する反抗です。

これは初期ブルーハーツの歌詞を見れば明らかで、どちらかというとヒロトよりもマーシー(真島昌利)によく見られる歌詞の傾向です。

ブルーハーツの曲が心に響くのは、そうした反抗的で攻撃的なメッセージの裏に、弱者に対する彼ら独特のヒューマニズムな愛情とやさしさがあったからです。

しかし、この社会に対する反抗という姿勢は3枚目のアルバム『TRAIN-TRAIN』あたりから徐々に無くなっていきます。

なぜでしょうか。それには色々な理由があれど、おそらくブルーハーツが社会的に成功してしまったというのが一番の理由ではないかと思います。

ブルーハーツの楽曲、その反骨的で反抗的なメッセージは何も持たざる純粋な若者が歌ったからこそ、心に響くものでした。
ところが、そのブルーハーツは社会的に成功して、経済的にも物質的にも満たされてしまった。
あれだけ反抗してた大人の社会にブルーハーツも組み込まれて、その享受を受けてしまったわけです。

そうなればヒロトやマーシーのような嘘や偽善を嫌う者にとっては、もう社会に対する直情的で反抗的なメッセージの歌詞など、とても書くことはできなかっただろうと思うのです。

ところで人が経済的、物質的に満たされたあと、次に求めるものは何でしょうか。
それは精神的な満足でしょう。
精神的な満足を得るために、次に人が手を出すのが宗教です。

だから、ここで宗教が関わってくるわけです。
特に欧米を例に挙げればチャールズ・マンソンをはじめ、ロックとカルト宗教との繋がりは昔からとても深い。

素晴らしい音楽、特にロックというものは聴衆を熱狂させ、陶酔させるものです。
そのカリスマ的なイメージで信者を集めて莫大な利益を生むロックスターカルト宗教の教祖はビジネスモデル的にも構造がとても似ています。

しかし本来、ロックミュージシャンなんてものは売れる以前はどこにでもいるただの若者に過ぎません。
そんな普通の若者が突如として、莫大なお金と信者を獲得してしまえば、メンタルコントロールが不十分な人間であれば心を病むに決まっています。
(よく知られた例がニルヴァーナカート・コバーン

そのとき、必要とするものが宗教になるわけです。
悲しいことに、純粋な人ほどこの宗教にのめり込んでしまう。
ミュージシャンに限らず、ハリウッド俳優なども宗教にハマって話題になるのは同じような理由でしょう。

ブルーハーツが強い影響を受けたビートルズもやはり心を病んだことで、ヨガヒンドゥー哲学に傾倒しました。彼らはわざわざインドに赴いて、マハリシ・マヘシ・ヨギいう有名な導師に指導を仰いでもいます。

余談だが、ジョン・レノンはそのマハリシが気に入らなかったらしく、『セクシー・セディー』という彼をこき下ろす楽曲を作っている。 
ジョンのこうした権威的なもの、偽善的なものに対する嫌悪の姿勢はブルーハーツともよく似ていて、特にマーシーはその影響を受けている。

日本においても80年代はカルト系の新興宗教が急速に力を付けて信者を増やし始めた時期です。90年代にオウムをはじめとした新興宗教が色々と問題を起こして社会に大きな影響を与えたことは皆さんご承知の通りでしょう。

では、そうしたカルト宗教とブルーハーツとの繋がりはどうだったのでしょうか。

驚くことに、ブルーハーツというバンドには、ベースの河ちゃん(河口純之助)幸福の科学に。ドラムの梶くん(梶原徹也)阿含宗という仏教系の新宗教に入信しています。
なんとメンバーの二人が新興系の宗教に入信しているんです。
(ちなみに阿含宗はオウムの麻原が過去に在籍しており、その教義の一部はオウムにも引き継がれている)

さらに驚くのは、ブルーハーツの歌詞には神様というワードがロックバンドとは思えないほどに登場します。
曲を挙げると、『1985』『シャララ』『君のため』『青空』『インスピレーション』の5曲です。
(ただし『インスピレーション』河ちゃん作詞
他に神様ではないけど『チェインギャング』にはキリストも登場します。

このうち『1985』『シャララ』の2曲がヒロト作詞の楽曲で、どちらもブルーハーツ初期に作られた曲です。ここでは歌詞の内容には大きく触れませんが、見ようによってはかなり宗教的とも取れる内容です。

こうした事実を考えるとき、ブルーハーツ周辺において、つまりヒロトやマーシーにもそうしたカルト的な宗教の勧誘や誘惑、あるいは上から目線の宗教的教説を垂れる者がかなりいたのではないかということが推測できるのです。

誤解のないよう言っておきますと、ドラムの梶くんはブルーハーツ加入前からの阿含宗の信徒で、彼は自身の宗教とブルーハーツとの活動はちゃんと切り離していました。
問題は、ブルーハーツ途中から幸福の科学にのめり込んだ河ちゃんのほうで、彼はそれをブルーハーツにも持ち込もうとしたから問題となった。
この話はブルーハーツの解散理由に必ずといっていいほど挙げられる有名な話ですが、メンバーはこれが直接的な解散理由である旨は一切明言せず、その真偽は不明のままです。

そうしたとき、ヒロトはその宗教的な勧誘や教説に対して何を思ったでしょうか。あの何物にも縛られたくないヒロトの性格ですから、痛烈にムカつく思いがあったんじゃないでしょうか。

そうであればブルーハーツというバンドには元々、権威的なものに対する反抗心、反骨心があるわけですから、当然その思いを歌詞にして曲に仕上げても不思議ではないわけです。

しかし、実際にはあからさまな宗教批判をしたブルーハーツ・ヒロトの楽曲は一曲しかありません。
それがラストアルバム『PAN』に収録されている『ヒューストン・ブルース(月面の狼)』という曲です。
歌詞を見てみましょう。

天国なんかに 行きたくねえ
天国なんかに 行きたくねえ
ただ月面を散歩したい

天国なんかに 行きたくねえ
天国なんかに 行きたくねえ
月面の狼

神様なんかに あいたくねえ
神様なんかに あいたくねえ
月面で吠える 狼 

生れ変わったら ノミがいい
生れ変われるなら ノミにしてくれ
もっと広々暮らしたいぜ

『ヒューストン・ブルース(月面の狼)』

これは誰が見ても、痛烈に宗教を皮肉った歌詞内容であることが分かります。
一応、月面、狼という意味深なワードでややぼかしている感じはありますが、それでも明らかに宗教批判の曲です。

ちなみになぜ月面なのか。私の推測ですが、月というものは古来から神秘的な象徴を持つものとして太陽と同じく宗教によく取り入れられてきたモチーフです。
しかし、その月は絶対不可能と思われていたアポロ計画による月面到着であっさりと征服されてしまった。
それによって月の神秘性が失われたことをヒロトは皮肉るようなかたちでこの詞にしたためたのかなと私は感じました。
あと狼はヒロト自身を指していると思います。

この歌詞を見れば、ブルーハーツ時代にヒロトが宗教(おそらく偽善的な)に対してかなりの苛立ちを持っていたであろうことが予想できます。でなければ、こんな歌詞を普通は書かないはずです。

しかも、ヒロトという人は元々マーシーほど、そのつくる曲の歌詞に反抗的な姿勢や攻撃的なメッセージは入れない人です。

ヒロトのつくる歌詞はどこか曖昧だったり色々な解釈ができたり、おふざけのようなユーモアの効いた歌詞が多く、直接的に何かを貶めたり傷つけるような歌詞を彼はほとんど書かないのです。

ところが、この『ヒューストン・ブルース』はそれまでのブルーハーツ・ヒロトの歌詞傾向とはあまりにも異質な感じがします。
なぜ、これほどまでにストレートなアンチ宗教の歌詞をヒロトは書こうと思ったのかちょっと不思議に思うのです。

もちろん、これは情熱の薔薇』の記事でも言及した、幸福の科学にのめり込んだ河ちゃんに対して向けられたもの、ということは間違いないと思います。
しかし、それでもこの『ヒューストン・ブルース』はあまりに露骨すぎではないかという感じがするのです。

おそらくその理由はラストアルバム『PAN』が、既に解散が決まったなかで、契約上仕方なく作ったアルバムであることが関係しているのだろうと思われます。

ヒロトは解散が決まってからのブルーハーツの活動にかなり消極的です。
アルバム『PAN』も各メンバーがそれぞれがソロで作った曲を詰め合わせただけのアルバムで四人で一度もセッションしてません。

つまり、解散が決まってもうメンバーとも会うことのないお別れの曲になるわけですから、ヒロトにとってはもうその気持ちを隠すことなく思いっきり宗教批判ができたというのが『ヒューストン・ブルース』を作った理由じゃないでしょうか。

逆に言えば、それ以前ブルーハーツというバンドをまだ続ける意志があったときには、やはり河ちゃんや梶くんに対する面目があったことや、メンバー間でギクシャクすることを避けたい意図があったのだろうと思います。
それが理由で、表向きはストレートな宗教批判だと分かるような曲は書きたくても書けなかった。

でも『ヒューストン・ブルース』の歌詞を見ても分かるように、その思い、特に河ちゃん(幸福の科学)に対する批判的な思いはかなり強かったのだろうと思われるのです。

だから、『情熱の薔薇』『夕暮れ』の歌詞において、そうした偽善的な宗教に対する批判的な思いをそれとは知られずに隠すようなかたちで、あるいは無意識のうちに歌詞に載せてしまったのではないのかと私は推測したのです。

この考えは当初、自分でもかなり大胆な推測で、憶測の域を出ないなと考えていましたが、こうして一つ一つ順を追って考察してみると、見事にピースが組み合うようにうまくハマった感じがありました。
皆さんはどう思われたでしょうか。

この2曲は、どちらもシングル・カットされているブルーハーツ・ヒロトの代表的な楽曲です。
その歌詞は意味深ながら心に突き刺さるもので、ファンにとっても特に思い入れの深い人気曲にあたります。
その意味でもこの2曲は、ヒロトが練りに練って考えて作った歌詞であるように思います。

実際この2曲をつくったときのヒロトの気持ちはどうだったのでしょうか。気になるところですが、おそらくヒロトは否定も肯定もせずに、もう忘れたなんてとぼけたことを言うんでしょうね。
そうした、のほほんとしたキャラがまたヒロトの魅力なんですが。


ここまで長々と書きましたが、これらはあくまで私個人が考えた妄想や推測であり、事実とは異なる可能性があることはあらためて言っておきたいと思います。

歌詞はやはり、ヒロトも言うように聴いた人がそれぞれに感じたことがその人にとっての正解になるからです。


最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

また機会があれば、懲りずにブルーハーツの歌詞考察などしてみたいと思います。それでは!

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