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【多重人格の暮らし】複数の人格と生きるということ

こんにちは、五六翠蓮です。

今回は、解離性同一性障害当事者である、私たちの生活について書いていきたいと思います。
※あくまで「私たちの場合」を書きます。全ての当事者が当てはまるわけではないので、そこだけは勘違いなさらないようにお願いします!




人格の数と、彼らについて

現在私は、26人の人格と共に生活しています。
と言っても、普段の生活を全員で送っているわけではありません。
私を含めた5人を中心に、毎日を過ごしています。
今回は、その主要メンバーを紹介したいと思います。

主人格 灯(あかり)
生活のほとんどは、主人格である私が送っています。
抽象画を描くのが好きで、五六翠蓮という名前で活動しています。

交代人格からは、能天気だとか、頭がハッピーだとか散々な言われよう……。


紫乃(しの)
口は悪いけど、困った時は助けてくれる優しい男の子。
私が鬱で動けない時に、家事をやってくれたりしていました。
うちで一番声が低いらしい。


ひなたちゃん
うちの最古参。物心ついた頃から、一緒に育ってきました。
お淑やかで頼れる優等生。
どうやら、恋愛のことになるとポンコツになるらしい。


七瀬(ななせ)くん
通称ドクター。
冷静でちょっぴりネガティブ。だけど、とっても優しい。
猫が大好きで、よく口説いている。


ヴェスパー
通称姉さん。
煙草とお酒が大好きで、性格は大雑把。
よく灯ちゃんのお金を使う。


主要メンバーだけでも、性別や性格、年齢、好みはバラバラ。
みんなが出来るだけ快適に過ごせるように、喫煙者のために煙草を買ったり、メンズ服や地雷系などいろんなお洋服を用意したり、甘いものから辛いものまでお菓子をそろえたりしています。

他にも生活を助けてくれる子はいますが、また機会があれば紹介したいと思います。


人格交代とその認識

生活の8割は、主人格である私が送っています。

でもたまに、目が覚めた時の意識が姉さんだったり、猫の動画を見ているとドクターと交代したりします。

私たちは一般的な解離性同一性障害(DID)の方とは違って、人格交代した際にあまり記憶が飛びません。
交代する時は、頭痛や目眩に似た症状が出ます。脳がぐるりと回るような、ちょっぴり気持ち悪い感覚です。
交代しても、記憶が地続きなことがほとんど。

では、どうやって交代したと認識するのか?
私たちは、感覚の変化、思考パターン、味覚などで人格交代を把握しています。

人格交代をすると、私たちは一人称が私から俺になったり、さっきまで飲んでいたブラックコーヒーが飲めなくなったり、身体の性別に違和感を持ったり、いろいろな変化が出ます。

そういった変化から、今自分は紫乃だ、ひなただ、と認識するのです。
……などと言葉で説明してみましたが、実際はもっと感覚的なところで判断しています。
なんとなく感じていることを言葉にしようとしてみましたが、あまり伝わっていないかもしれませんね……。

一番分かりやすい確かめ方は、誰かを会話することだったりします。
声のトーン、話し方、話す内容は特徴が出やすいので、他者からも「今は○○だよね?」と判別してもらうことができます。

中には、あまり変化が見られない人格さんもいます。
変化がなければ解離性同一性障害(DID)ではない! という意見もお聞きしたことがありますが、同じ人格から生まれた(派生した)といった場合には共通点の方が多かったりしますし、変化の大きさはそこまで重要ではないと思っております。


日常生活での困りごと

複数の人格で生活していて、困ることはないのか?
正直なところ、そう聞かれても「困っていない」と答えてしまいます。

記憶が飛んだり、性別に違和感を持ったり、不自然な態度を取ってしまったりとか、もちろん困っていることはあります。
でも、私たちにとってそれは「当たり前のこと」なので、悪い意味で慣れっこなんです。
主治医に「大変なんだね」と言われて、初めて自分が苦労していることに気が付きました。

解離性障害で、昔からこれが当たり前だったから、困りごとだと認識するのに時間がかかった、という方も少なくないのでは?

「困っている!」という認識がゆるゆるな中で思い当たることと言えば、

  • 性別に違和感を持つ。 (男性人格の時、女性トイレに行きづらいなど)

  • 一貫した態度を貫けない。 (人格によって意見がバラバラで、主体性がないと言われる)

  • ぐったりと倒れてしまうので、人前で交代すると心配をかけてしまう。

この3つが大きいかな、と思いました。

様々な困りごとに対して、きっと多くの方が独自の工夫をしてらっしゃると思います。
こういう事に対して、こんな対策をしているよ~ということがあれば、ぜひ教えていただきたいです。


複数の人格と生きるということ

物心ついた頃から解離していた私にとって、人格たちは、生きていくのに欠かせないパートナー。
家族や友達とはちょっと違うけれど、大切で大好きな人たちです。

今この身体には、26人分の人生が詰め込まれています。
それでも、与えられた時間は、他の人と同じ人間一人分だけ。

とにかく時間が足りないです。みんなが、自分の人生を楽しむ時間が。
きっと、これは、解離性同一性障害の多くの方が感じていることではないでしょうか。
「全員」で幸せになりたいけれど、それはとても難しいことなのです。

複数の人格で運営されている私たちの生活は、各々の配慮と思いやり
で回っているのでしょう。
ある目的のために協力して、時に我慢して。

私は知っています。
主人格である、私の人生が何より優先されていることを。
自分だけの人生が欲しいと泣いていた人格の存在を。
私の幸せのために、統合を受け入れてくれたあの子のことを。

複数の人格で生きるということは、誰かが差し出してくれた優しさを消費して、たった一人が息をするということかもしれません。

私の解離を知らない人たちは、「私」のことだけを見ます。
両親は、「私」に幸せになってほしいと言います。
お医者さんは、人格は全て「私」に統合させるべきだと言います。

私も、「私」だけのことを考えて生きていけば良いのかもしれません。
それができたら、どれだけ楽だったでしょうか。

私はみんなのことが大好きです。
困っていたら助けてあげたいし、楽しいことがあれば共有したい。
みんなで幸せになれる道があるのなら、いばらの道でもそちらを選びたい。

今日も私は紫乃のマフラーを巻いて、鞄に姉さんの煙草を入れて、時に道端でぐったりしながら生きています。

目指す未来は「共存」と「ハッピーエンド」です。

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