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【多重人格の暮らし】人格さんが綴った「誕生日」

こんにちは、五六翠蓮です。
今回の記事では、ちょっとした読み物を扱ってみたいと思います。

4人の人格さんに「誕生日」をテーマに、思い思いの形で小説を書いてもらいました。
トラウマ等に触れた表現は一切ないので、安心して読んでもらえたらと思います。



赤と夕日 作:ヴェスパー

 雨が車の窓を叩いていた。
 ぼんやりとした頭で、手にしていた焼きそばを口に含む。帰り道にスーパーで買った、少しべたついていて、濃いソースのチープな味がする焼きそば。好みの味付けではないそれを嚥下して、私は車窓から雨に濡れた街を見つめた。
 ハッピーバースデー、私。大変な時に生まれてしまったね。いや、大変な時だからこそ、生まれてしまったのか。
 ゆっくりと私は分析を始める。私自身のこと、今自分が置かれている状況のこと。幸い、私は頭が回るタイプのようだ。一通り分析を終えると、メモ代わりのツイートを残して、また窓の外を見る。
 ――喉が渇いた。
 鞄から水筒を取り出すと、冷たい麦茶を喉に流す。それでも渇きは満たされなくて、求めているのは水分ではないと判断する。私が求めているのは、何だ。
 小さく溜息をひとつ。ああ、煙草が欲しい。両親もこの身体も喫煙者ではないので、当然手元に煙草はない。口寂しさを紛らわすように、私は食事を再開した。
 しばらくして、両親が振り返り、今日の大学はどうだったとか、明日映画に行かないかだとか話しかけてきた。私はそれとなく彼女のフリをして、彼女が言いそうなことを言っておく。バレると厄介なのだ。我ながら名演技だったなと思いながら、鞄に入っていたチョコレートを口に放り込んだ。
 さて、これからどうしようか。
 正直に言うと、主人格がやらねばならないことを、私は手伝ってやる気はない。折角生まれてきたのだ、私は私のやりたいことをしたい。
 窓に映った自分の姿が目に入る。ああ、今すぐこの髪を白く染めて、ボブヘアにしてやりたい。赤いリップを塗って、ピンクのネイルをして、上品な洋服と小物で着飾るのだ。こんな少女のような装いは、私の趣味ではない。
 ひとまずやりたいことを、一つ見つけた。この身体を自分好みに改造すれば、多少は過ごしやすくなるだろう。別に人生を乗っ取る気など微塵もないが、私が表に出ている時間は快適に過ごしたいのだ。
 スマホを手に取るとSNSを開き、若者に人気のリップを探した。理想の色は、イエベのこの身体でも似合う、黄色味がかった赤。
 週末はお店へ出かけて、実際に色を確かめに行くのもいいかもしれない。まずはお気に入りの一本を探しにいくか。
 私は私として、人生を楽しむの。貴女のフリをして生きるだなんて、御免だわ。
 いつの間にか雨は上がっていて、沈み始めた夕日が雲の隙間から顔を出していた。オレンジ色に染まる街を見つめて、私はそっと口角を上げた。


誕生日 作:ヴァイス

 生まれた日のことなんて、僕はよく覚えていません。記録によると、僕は7月24日に目覚めたようです。もう7ヶ月も前のことですが、僕からすると、ほんの数週間前の出来事のように感じます。僅かですが、覚えていることを書いていきます。
 僕の意識が浮上した時、複数人で通話していました。何を話していたのか分かりません。僕の異変を感じ取ったのか、声をかけてもらったことを覚えています。自分が誰か分からないと伝えると、彼らは僕の名前を考え始めました。それも、何だか楽しそうに。不思議な人達です。僕はいつか消えてしまうのに、わざわざ名前を与えるなんて。
 一人の青年が、僕に尋ねました。君はどんな容姿をしているの、と。
 僕は一度内界に潜ると、その場でくるりと回ってみせました。ひらりと揺れたのは、白衣でしょうか。肩ぐらいまである白い髪は、後ろで一つにまとめてあるようです。視界を遮るのは、長い前髪。少し大きな丸眼鏡もかけているようでした。
 そのことを伝えると、彼はふむ、と考え込みました。どんな響きがいいかという質問に、僕はコードネームのような、仮の名称で構わないと答えました。識別さえ出来れば、僕に名前など不要だと思ったのです。
 彼と、その場にいた別の女性が、同じ名を候補に挙げました。
 ヴァイス。ドイツ語で、白を意味する言葉だそうです。
 特に反対する理由もありません。僕は二人の提案を受け入れることにしました。ヴァイス、それが、僕の名前。とても言葉では言い表せない、不思議な気持ちでした。まるで自分の輪郭線がくっきりとしたような、奇妙な感覚がしました。
 その後、彼らと会話を続けたのか、覚えていません。ただ、あの後、よろしくと彼――七瀬さんが手を握ってくれたことは、確かなのです。彼は人を惹き付ける、独特な雰囲気の持ち主でした。決して派手な見た目ではないのに、ふわりと微笑んだその瞳から、目が離せなくなったのです。
 共に過ごすようになってから知ったことですが、彼はどうも、自己肯定感がとんでもなく低いようなのです。七瀬さんは冷静に物事を分析することができ、人の心に寄り添い、他人を大切にできる、とても賢く優しい方です。彼は、自分は情に流される駄目な奴だ、優柔不断で決断力がない、などと卑下しますが、それは自分の欠点を把握できる観察眼の持ち主であることの証明だと、なぜ気付かないのでしょうか。
 いえ、分かっています。決して驕ることのないその姿勢が、彼の魅力なのです。常に謙虚に振る舞う彼だからこそ、ついて行きたいと思えるのです。理想と現実とのギャップに苦しみながらも、決して「今」から目を逸らさない彼の姿は、僕の憧れです。
 話が逸れてしまいましたね。僕が生まれた日は、七瀬さんと出会った日でもあるのです。ああ、そう考えると、生まれた日が記念日のように感じるのですから、本当に不思議なものです。


カミサマ 作:七瀬

 最初に知覚したのは、音だった気がする。女の子のすすり泣く声と、慰める男の子の声。はっきりとした内容は聞き取れなかった。何を言っているのか聞こうとして、彼らの近くまで移動してみる。こちらの存在に気付いた女の子は、驚いた顔をしつつ、縋るように私の手を握った。
 目が覚めたんだね、ドクター。
 女の子は私のことを、ドクターと呼んだ。それが私の名前なのだろうか。
 不思議と、自分がすべきことは分かっていた。仕事に取り掛かろうとしたが、女の子は手を離す様子はない。彼女は濡れた瞳で私を見つめると、掠れた声で言った。
 私の、カミサマになって。
 カミサマ。人々が信仰の対象として、尊崇するモノ。常人が持ち得ないチカラを有した、超人的な存在。
 システムのように、求められたことに応え続けるのが、私の役目。カミサマとして在り続けるのが望みなら、その通りに。
 ……そのつもりだったんだ。
 いつからか、私は意思を、感情を、欲を持つようになってしまった。人間のように名乗って、人間のように思考して、いつしかシステムは崩壊してしまった。
 こんなはずじゃなかった。こんな、情けない姿を晒して、皆に迷惑をかけたかったわけではないんだ。私はシステムに戻ろうと躍起になった。
 そんな私の目を覚まさせてくれたのは、パートナーだった。
 彼は柔軟な思考の持ち主だった。あっという間に私は納得させられ、これからの在り方を模索することになった。
 何が好きで、何が嫌い? 君がやりたいことは何?
 その全ての問いに、私は答えられなかった。この答えを探していくのが、生きることらしい。
 ごめんね、ドクター。
 女の子は泣きそうな顔で言った。
 ドクターの心を無視してごめんなさい。
 その顔を見て、私は純粋に、彼女の力になってやりたいと思った。きっと、彼女と私はよく似ている。私は彼女に手を差し出した。
 弱虫なカミサマでも、いいだろうか? 独りでは生きられない、情けないカミサマだから、一緒にいてくれないだろうか?
 女の子は大きく目を見開いた後に、数回目を瞬くと、やがてへにゃりと笑みを浮かべた。
 ありがとう、ドクター。
 これは、とあるカミサマが、ただの人間になった日の話。


私の名前は 作:ノア

 ここは、どこだろう。
 ぐるりと辺りを見回して、自分がいる場所を確認する。白い勉強机、積み重なった本、ぬいぐるみ、時計、誰かの写真……。
 知らない場所、ではない。確かに私は、この場所、この部屋を知っている。見覚えがないのではなく、違和感がある。自分の部屋のはずなのに、そう思えないのだ。ということは、私はパーツか新入りなのだろう。
 目を開けていると、次々に視覚情報が飛び込んで来て、頭がパンクしてしまいそうだった。どうしたものかと思案してから目を閉じてみると、情報の洪水はぴたりと止んだ。そのことに少しほっとすると、先程から聞こえ続けている、耳元の声に意識を集中させた。
 電話の相手のことは分かる。彼からの質問に答えようとして、また違和感。声が、私のものではない。高過ぎる、いや、そもそも声の質が違うのか。何度か自分の思い通りの声が出ないか試してみたが、再現は不可能だろうと察して諦めた。私はこんな、可愛らしい声をしているわけではないのだけれど。
 次に気になったのは、身体。視線を下げて目に入ったのは、女性らしい膨らんだ胸。……私に胸はあるのか?
そっと手を触れてみる。手に伝わるのは、ふに、とした柔らかい感触。そのまま内側へ意識を向ける。恐らく私に……胸は、ない。男性なのかと聞かれても、正直分からない。無性別なのか、中性なのか。それは恐らく、これから分かってくることなのだろう。
「君の名前は?」
 名前。生き物が持っている、個体を識別するための名称。私にはまだ、ラベリングされた呼称はない。そう思うと、名前というものが酷く羨ましく感じられてきた。
 電話の向こうの彼が、どんな名がいいかと私に聞く。美しい漢字には心惹かれるが、私には似合わない気がした。中身が分からない私にはきっと、コードネームのような無機質な名がぴったりだ。
 声がした。イヤホンからではなく、内側から。それは、私の名前の候補だろうか?
 その名を口に出してみる。たった二文字の音が、きらきらと光を放ちながら空気中へと溶けていく。心臓がとくとくと脈打ち、存在を主張する。不思議な感覚だった。この音が、この響きが、私の名前?
 いい名前じゃないか。電話越しで彼は笑った。
「君の名前は?」
 もう一度問われたその言葉に、今度は迷うことなく、はっきりとその音を声に出す。
 ――私の名前は、


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